京都市右京区にある常寂光寺には、戦争や近現代史を考えるための遺跡がいくつかあります。
それを今回はご紹介しましょう。
「女の碑」
場所:右京区嵯峨小倉山
最寄り駅:京福電鉄嵐山、JR嵯峨嵐山
解説:15年戦争では多くの若者・男性が出征し戦死しました。そのため戦後の混乱期も含め結婚適齢期を逃し
最寄り駅:京福電鉄嵐山、JR嵯峨嵐山
解説:15年戦争では多くの若者・男性が出征し戦死しました。そのため戦後の混乱期も含め結婚適齢期を逃し
生涯独身となった女性(わだつみの女性)が多くいました。そのわだつみの女性が集まり結成されたのが「女の碑
の会」で、ここ常寂光寺に「二度と戦争をしない」という意味をこめて「女の碑」を建立しました。説明の石碑には
「1930年代に端を発した第二次世界大戦には、二百万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。その陰にあ
って、それらの若者たちと結ばれるはずであった多くの女性が、独身のまま自立の道を生きることになりました。
その数は五十万余ともいわれます。女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、これらの女性たち
は懸命に生きてきました。
今、ここに、ひとり生きた女の”あかし”を記し、戦争を二度と繰返してはならない戒めとして後世に傳えたいと
切に希います。さらに、この碑が今後ひとり生きる女性たちへの語りかけの場ともなることを期待します。
この碑は、独身女性の連帯の組織である独身婦人連盟の会員が中心となって、常寂光寺の支援のもとに建
立しました。
碑文揮毫 参議院議員市川房枝
一九七九年一二月 女の碑の会」とあります。
「志縁廟」
写真奥に見える建物は合祀墓の志縁廟で、「女の碑の会」の共同墓地・納骨堂です。現在では会のメンバーだ
けではなく独身男性、子どものいない夫婦、家の墓になじめない人なども受け入れられています。
「砂田明のレリーフ」
砂田明(1928~1993)は京都生まれの劇団俳優。石牟礼道子の『苦海浄土』に触発され水俣巡礼行脚を行う。そ
の後水俣に移り住み、水俣病をテーマとした一人芝居『天の魚』を全国で上演。その回数556回。これは砂田の
死後につくられた記念レリーフ。砂田の遺骨も上記の志縁廟におさめられている。
「日本国憲法第九条」
常寂光寺の入口に掲げてある。