戦場の女たち [IF DVDシリーズ1 今、平和と戦争に向き合う] | |
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〈解説〉
日本人慰安婦山内馨子(芸者菊丸)が慰安婦になったのは1942(昭和17)年で、ここではなぜ慰安婦になったのかを証言している。
日本人慰安婦問題を考える上で重要なこととして軍属と靖国神社というものがある。この2点は他の国の慰安婦の証言には出てこないもので、日本人特有のものである。
人身売買を根幹とした公娼制度からの脱却と、死んでも自分の魂は靖国神社へ行けるという思いから自ら志願し慰安婦となった日本人女性が多数いた。ここで紹介する山内馨子さんもその一人である。
菊丸さんがトラック島に渡ったのは、一九四二年(昭和十七年)三月、満十八歳の春である。東京・西小山で芸者をしているとき、朋輩の五十鈴ちゃんと二人で、一人前五十銭のカキ・フライを食べながら決めた。その話を持ってきたのは五十鈴ちゃんで、置屋の借金を軍が肩代わりしてくれると聞いて、一も二もなく決めてしまった。
十二歳のときから仕込っ子として、置屋の借金に縛られてきた菊丸さんは、働いても働いても減らない借金から自由になりたかったのだ。多感な青春時代を、借金のために四六時中置屋に縛られていることは苦痛であった。ちょうど流行しだしたパーマも、自毛で日本髪を結っていたのでかけられない。たまに私用で外出しても、日本髪から芸者であることがわかり、人目をひいてなんども嫌な思いをしたという。
「あの当時で四千円近い借金があったの(葉書が二銭のころ)。芸者というのはお金がかかるのよ。着物一枚買うにも借金だし、踊りや三味線も習わなきゃならないでしょ。お座敷に出るときは島田に結うの。鬢つけだとか元結、たて長などを使うので、結うたびに一円近くかかってしまう。だから借金は増えるばっかりだったわ」
嫌な客と枕をともにしなければならないこともある。南洋の島で二年頑張れば、そんな生活から解放され、いくらか貯金だってできるだろう。そうしたら普通の娘さんのように、同じ年ごろの人と見合いして、仕合せな家庭を持とう……。
若かった二人は、そんな甘い夢を見てトラック島に渡った。まだ在世していた父親の反対は、「お国のためよ。誰かが行かなきゃならないものだし、行かせて」と、どこかで小耳にはさんだ大義名分で納得させた。″慰安婦”という職業がどんなものか、よくはわかっていなかった。どうせ芸者の延長みたいなものだと想像していたのである。
「それでも、トラック島に着くまでのなんともわびしい気持は忘れられないわ。横浜港を出て神戸に寄って、それから朝鮮の釜山。釜山では朝鮮の女性がかなり乗船したわよ。彼女たちはあたしたちと違って志願じゃないらしく、チョゴリを着て、『アイゴー、アイゴー』と泣く姿がなんとも悲しかった。わたしもつられて泣いてしまったわ……」(出典 広田和子『証言記録 従軍慰安婦・看護婦-戦場に生きた女の慟哭-』(新人物往来社 1975年11月15日) 18-19頁)
日本人「慰安婦」―愛国心と人身売買と | |
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「慰安婦」問題の言説空間: 日本人「慰安婦」の不可視化と現前 | |
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「慰安婦」問題の本質―公娼制度と日本人「慰安婦」の不可視化 | |
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ウサギたちが渡った断魂橋〈上〉―からゆき・日本人慰安婦の軌跡 | |
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姑娘 (講談社文庫) | |
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従軍慰安婦 (岩波新書) | |
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