前回の続きです。
万石橋から万石浦を見た写真です。
仙台駅17:02→仙台市営バス→木町通り2丁目18:07
店内には女性の店員さんがおひとり。何となくかやたんを思い浮かべながらラーメンと餃子を頂きました。
餃子の写真を撮り忘れ、ラーメンを啜り始めたのは18:30を回った頃。新幹線に間に合うためには18:47に県庁前からバスに乗るのが絶対条件でした。
今回で一番わぐわぐしてたのはなんだかんだここでした。
サン・ファン館のある高台を降りてタクシー出来た道を戻りながら石巻線の渡波駅へ向かいます。
万石橋から万石浦を見た写真です。
どことなく内浦に似た雰囲気があって思わず撮ってしまいました。
ちょっとした船着場が沢山あっていかにも漁師町といった雰囲気。
そこら中にまったりと釣りを楽しむ人々がいて、南浜地区のような殺伐とした様子はありません。
しかし、この地区も勿論津波に襲われています。
この万石浦の先にあるのが女川町。
時間さえ合えば行くつもりだったのですがやはり時間がなくて旅程から泣く泣くカットしたのでした。
女川町の津波の話も、先に紹介したサイトに沢山載っています。
万石橋を渡った先の渡波駅から石巻線に乗り石巻、そこから仙台へと向かいます。
渡波駅16:40→石巻駅16:54→仙台駅17:49
仙石東北ラインが開通する前はこの石巻線で小牛田を回るか仙石線で仙台、もしくは路線バスといったルートだったと思われますが仙石東北ラインによってかなりスピードアップがなされている様です。
帰りの電車はかなり混んでいました。
仙台駅に着いてから帰りの新幹線までは約1時間と20分。
やってやらんことはないとバスで「餃子の天ぱり」へ。
仙台駅17:02→仙台市営バス→木町通り2丁目18:07
店内には女性の店員さんがおひとり。何となくかやたんを思い浮かべながらラーメンと餃子を頂きました。
餃子の写真を撮り忘れ、ラーメンを啜り始めたのは18:30を回った頃。新幹線に間に合うためには18:47に県庁前からバスに乗るのが絶対条件でした。
今回で一番わぐわぐしてたのはなんだかんだここでした。
餃子がめっちゃ美味しかったのですが味わう余裕もなく。今度はもっとゆっくり食べに来たいと思います。
さっと会計を済ませ県庁前のバス停へ。
しかし時間通りやってきた仙台駅行きのバスな何故か通過。
プンプン怒りながらタクシーを止めようとするも数台にシカトされようやく18:55頃に乗車、仙台駅へ戻ります。
県庁前18:55頃→タクシー→仙台駅19:03
北海道へ帰る友人とはここで別れ、1人で新幹線に乗車します。
GWの帰宅ラッシュ、大宮まで座れなかったのはまた別のお話………
仙台駅19:10→やまびこ54号→東京駅21:12
今回、変なタイミングでWUGにハマったことで訪れた仙台と石巻。
第2章を彼女たちが進み始めた後でWUGを知って、仙台のこと、石巻のこと、そこで何があったのかを知りたいと思う人が僕みたいにこの後1人でも出てくるのならば、彼女たちが活動していた「意味」があるのかなって思います。
間違いなく、過去と今そして未来を繋いでくれた彼女たち。
いろんな曲の節々に震災を感じるフレーズがありますが、現地に行ってみらば街明かりが消えた夜、頼れるものもなく不安を募らせていた人がいた事。残酷な海に背を向け、未だ向き合うことの出来ない人がいること。沢山の今があります。一度嫌でもリセットされてしまったものを第2章に進めようとしている人達がいます。
事実、我々に何が出来るってわけではありません。
かと言って、頑張れなんて簡単には言えません。
でも、現実を見て、何か思うところがあるならばそれで十分だと思います。
こんな言い方でいいのか分かりませんが、動機はなんでもいいと思います。でも事実からは目を背けてはいけない。直接の当事者でないからこそ、しっかり向き合えると思います。向き合うための材料は全て揃っています。
東北で、いろんなことを見て、聞いて、感じて欲しいです。