前回の続きです。
日和山公園を海側に降りて、門脇地区通り抜けます。
門脇地区を抜けて、南浜地区に入ります。
左側の高台が日和山公園です。
そのまま石巻港方面に進み、突き当たった先に経つのが「南浜つなぐ館」です。
少し見づらいですが、緑色の札の位置が今の南浜つなぐ館。先の基礎だけになってしまった民家や用水路の通る道はこのつなぐ館の前の通りを旧北上川方向に進んだ所にあります。
その方向を見たのがこの写真。TUNAGOのMV冒頭で吉岡茉祐さんが歌っているのもこの場所です。
真ん中に見える、黒ずんでしまった白い建物が旧門脇小学校跡です。
日和山公園を海側に降りて、門脇地区通り抜けます。
この付近は新しい住宅もわずかながら存在し、嵩上げ工事も盛んに行われています。
道路も新しく舗装し治されたようでした。
門脇地区を抜けて、南浜地区に入ります。
この地区は、『石巻市南浜地区復興祈念公園(仮)』が整備されることになっています。
そのため、現在は瓦礫が撤去され少し造成が行われた程度で建物はほとんど無し。今はこの後向かう南浜つなぐ館がポツンと立っているのみ。
日和山の高台にあった日和幼稚園の園バスが被害にあったのもこの南浜地区に隣接する門脇小学校の近くでした。
左側の高台が日和山公園です。
この辺りは建物の基礎が残っている場所もあります。
見切れていますが、画像下に用水路のようなものが通っています。
工事の関連で通したのかな?なんて思っていたのですが、これは震災前からこの場所にあったようで。
今は本当になにもないこの場所も沢山の民家が並ぶ、住宅街だったようです。
そのまま石巻港方面に進み、突き当たった先に経つのが「南浜つなぐ館」です。
この中に、かつての南浜地区と門脇地区のジオラマがありました。
少し見づらいですが、緑色の札の位置が今の南浜つなぐ館。先の基礎だけになってしまった民家や用水路の通る道はこのつなぐ館の前の通りを旧北上川方向に進んだ所にあります。
その方向を見たのがこの写真。TUNAGOのMV冒頭で吉岡茉祐さんが歌っているのもこの場所です。
つなぐ館の中では当時の映像だったり、震災前の石巻をVRで探索したり、、、
また、日和幼稚園の園児の身につけていた、丸焦げになってしまっている遺品も展示されています。
僕がいた数十分の間でも、館の中で多くの人が涙を流していました。
ただ更地になった街を見るだけでなく、そこに潜む沢山の「生」と「死」をつなぐ館でほんの一部分ですが感じることが出来ました。
あの日の夜、テレビで流れていた海が燃えている映像。
燃えていたのは海ではなく、海水に飲まれた門脇地区、そして南浜地区でした。
百聞は一見にしかず。8年たった今でも石巻はあの日起きたことを僕達に教えてくれます。
真ん中に見える、黒ずんでしまった白い建物が旧門脇小学校跡です。
この小学校を巡る話も、南浜つなぐ館の中で展示されています。
このエリアの津波の話はこちらで纏められています。
このブログの写真と証言を合わせて見て頂くと、少しだけよりリアルに感じられるかと思います。
祈念公園が完成する前の、今の何も無いタイミングで訪れることが出来る方は是非一度足を運んで見て欲しいです。
大規模な工事現場の真ん中を歩いているような感覚に陥りますが、未舗装でもれっきとした公道なのです。
瓦礫が撤去され本当に何も無くなった街の姿が自分にとっては一番寂しく、悲しく思いました。
続きます。
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