先日「瞳の奥の秘密」というアルゼンチンの映画を見に行ってきました。
基本はミステリー。
ブエノスアイレスで起きた、強姦殺人事件を担当した刑事裁判所に勤める男と、彼が思いを寄せる上司の女性と、被害者の夫の話。
事件から25年後に小説を書こうという、回想から始まる作品。
ミステリー部分はあんまり書くと面白みがなくなるけど、今期あってたドラマのJOKERに近い感じ。(法で裁けない犯罪者をどうするかみたいな)
でも愛情が深すぎて、殺すことは忘却に繋がる。
忘れてしまえば良いと言いながらも、未来は空虚だという絶望。
それに大人のロマンスが絡んでくるんだけど、決して声を大にして愛してるとか言うこともなく
セリフの合間の描写で伝わってくるんです。ぼんやりと。
タイプライターのAのような伏線もすっきりするし
冒頭と最後も見事に繋がって、結局ハッピーエンドみたいだし見終わってのモヤモヤが無い。
ハッピーエンドかどうかは、結論出てないけど。
ストーリーも人物も問題提起もバランス良くて、そこらへんアカデミー賞は納得な作品。
自分の過去をどうやって乗り越えるかは人それぞれで、どれが正解でもない。
「瞳の奥の秘密」っていう邦題も良いな。
言葉じゃ言わなくても目が語っているっていうね。
アルゼンチンの司法制度とか腐敗した政治とかその背景に詳しくないのでちょっと理解するまで時間かかったりはあったけど。
あ、あと言うなら25年の歳月を同じ役者があまり変わらない雰囲気でやってるので、ちょっと時系列の整理に苦しむとことか。
列車を追う演出も、えぇーと思いはするけど、イリーナは「美化しすぎ」みたいに言ってるから小説の一部ってことで。
まあ犯人逮捕の経緯はちょっと証拠も無さすぎだし、推測の結果が強引にそうなるだけだけど
当時の警察?刑事?はそんなもんだったんだろう、ということにしておく。
ミステリーにしてはリアリティに欠けるしペラペラなので、ヒューマンドラマと思ってみるのがいいな。
あの事件とその犯人逮捕までは、人間を描く為の過程の一つに過ぎない。
アルゼンチンの女性は綺麗だなぁ。映画だったらエビータのエバ・ペロンが有名だけど。
ちょうど先日、マドンナがこの役を自らの手で掴み取った、とTVであってたな。
と、書いたとこでこんなのはどこかでレビュー見ればもっとマニアックな人達の意見が載ってるのでどうでも良くて
昨日書いてた、冒頭に出てくるショッキングな強姦殺人の遺体の話。
これがね、すごく綺麗だったんです。(画像探してみたけどやっぱり無かった)
なかなか死体が綺麗って言っても理解してくれないと思うけど、この映像なら誰か分かってくれるような気がする。
映画のはもちろん死体役の作りモノなんだけど。
興味がある人だけでいいから、せっかく何か映画見るんなら見て。
久しぶりにそういうのを目にしたので、良い機会だし書こうかと思う。
そういやこの手のことを書くのは久しぶりか初めてか。
知ってる人は知ってるだろうけどパンドラの箱みたいなとこなんで、あえて書いてなかったかも。
ネクロフィリアじゃないよ、と念の為言っておきます。勘違いされても困るし。
10年以上前かそれくらいに死体写真家の釣崎清隆氏のこれを見て美しいと思って以来、そういうのに多少なり惹かれるものがあるんですが、好きとかともまた違う何か。
(サンタフェデポゴタの殺人事件現場)
見たくない人もいると思うので、画像は小さくしときます。(携帯からだと少し大きいかも知れないけど勘弁して)
釣崎氏はいつもこんな綺麗なのばっかり撮ってるわけじゃなくて、ロシアとか中南米やタイとかで轢死や殺人事件やグロテスクなのも全部含めて死体が伝えてくるものをそのままフィルムに残してるんですが。
とは言ってもこれが一番印象深い一枚。
死体モチーフのアートで言えば、Joel-Peter Witkinとかね。

これ、最近の作品らしい。
モノクロが多かった前の作品より色味が増えてちょっとオシャレ。
行ったことないけど、お祭りの見世物小屋に近いようなそんな感覚も無いとは言えない。
刺激的なものとして。
でも廃墟の写真が好きなのもどこか繋がってるような気もする。
あるがまま。
生きてた頃を彷彿とさせるような、でも息をすることも無く、そのままの物質として生の終わった姿。
人間の最後でもあり、みんなが忘れ去りたいし出来れば見たくないと思っているもの。
というか。
いや、難しいな。グロとも違うんですよね。グロが悪いとか嫌いとかでもなくて。
でもって釣崎清隆さんの写真と、ウィトキンの作品は全然違う。
ただ死に向き合っているという一つの共通項はあるんだけど。
まあいいや。別に悪趣味だけどこれはアートだ!って言うつもりも到底なくて。
これが真実の姿だとか善悪がとか、モラルがとかでもなく、ただ死というものの一部。
興味ある人は何かの時に直接話せばいいことだからこれぐらいで。
でも、ネクロフィリアじゃない、とだけはもう一回言っとく。
切り取られた映像の中で見てるのと、実際にそこに居るのとは全然違うし。
嗅覚が良い方なので、現場に居ると匂いでたぶん吐く。
話は戻って、映画は良かったのでその死体の映像も含めておすすめです。
もはや映画の話じゃなくなったな。しかも死体の話も引っ張った割に適当ですいません。
あのシーン、もう一回見たい。
基本はミステリー。
ブエノスアイレスで起きた、強姦殺人事件を担当した刑事裁判所に勤める男と、彼が思いを寄せる上司の女性と、被害者の夫の話。
事件から25年後に小説を書こうという、回想から始まる作品。
ミステリー部分はあんまり書くと面白みがなくなるけど、今期あってたドラマのJOKERに近い感じ。(法で裁けない犯罪者をどうするかみたいな)
でも愛情が深すぎて、殺すことは忘却に繋がる。
忘れてしまえば良いと言いながらも、未来は空虚だという絶望。
それに大人のロマンスが絡んでくるんだけど、決して声を大にして愛してるとか言うこともなく
セリフの合間の描写で伝わってくるんです。ぼんやりと。
タイプライターのAのような伏線もすっきりするし
冒頭と最後も見事に繋がって、結局ハッピーエンドみたいだし見終わってのモヤモヤが無い。
ハッピーエンドかどうかは、結論出てないけど。
ストーリーも人物も問題提起もバランス良くて、そこらへんアカデミー賞は納得な作品。
自分の過去をどうやって乗り越えるかは人それぞれで、どれが正解でもない。
「瞳の奥の秘密」っていう邦題も良いな。
言葉じゃ言わなくても目が語っているっていうね。
アルゼンチンの司法制度とか腐敗した政治とかその背景に詳しくないのでちょっと理解するまで時間かかったりはあったけど。
あ、あと言うなら25年の歳月を同じ役者があまり変わらない雰囲気でやってるので、ちょっと時系列の整理に苦しむとことか。
列車を追う演出も、えぇーと思いはするけど、イリーナは「美化しすぎ」みたいに言ってるから小説の一部ってことで。
まあ犯人逮捕の経緯はちょっと証拠も無さすぎだし、推測の結果が強引にそうなるだけだけど
当時の警察?刑事?はそんなもんだったんだろう、ということにしておく。
ミステリーにしてはリアリティに欠けるしペラペラなので、ヒューマンドラマと思ってみるのがいいな。
あの事件とその犯人逮捕までは、人間を描く為の過程の一つに過ぎない。
アルゼンチンの女性は綺麗だなぁ。映画だったらエビータのエバ・ペロンが有名だけど。
ちょうど先日、マドンナがこの役を自らの手で掴み取った、とTVであってたな。
と、書いたとこでこんなのはどこかでレビュー見ればもっとマニアックな人達の意見が載ってるのでどうでも良くて
昨日書いてた、冒頭に出てくるショッキングな強姦殺人の遺体の話。
これがね、すごく綺麗だったんです。(画像探してみたけどやっぱり無かった)
なかなか死体が綺麗って言っても理解してくれないと思うけど、この映像なら誰か分かってくれるような気がする。
映画のはもちろん死体役の作りモノなんだけど。
興味がある人だけでいいから、せっかく何か映画見るんなら見て。
久しぶりにそういうのを目にしたので、良い機会だし書こうかと思う。
そういやこの手のことを書くのは久しぶりか初めてか。
知ってる人は知ってるだろうけどパンドラの箱みたいなとこなんで、あえて書いてなかったかも。
ネクロフィリアじゃないよ、と念の為言っておきます。勘違いされても困るし。
10年以上前かそれくらいに死体写真家の釣崎清隆氏のこれを見て美しいと思って以来、そういうのに多少なり惹かれるものがあるんですが、好きとかともまた違う何か。

見たくない人もいると思うので、画像は小さくしときます。(携帯からだと少し大きいかも知れないけど勘弁して)
釣崎氏はいつもこんな綺麗なのばっかり撮ってるわけじゃなくて、ロシアとか中南米やタイとかで轢死や殺人事件やグロテスクなのも全部含めて死体が伝えてくるものをそのままフィルムに残してるんですが。
とは言ってもこれが一番印象深い一枚。
死体モチーフのアートで言えば、Joel-Peter Witkinとかね。

これ、最近の作品らしい。
モノクロが多かった前の作品より色味が増えてちょっとオシャレ。
行ったことないけど、お祭りの見世物小屋に近いようなそんな感覚も無いとは言えない。
刺激的なものとして。
でも廃墟の写真が好きなのもどこか繋がってるような気もする。
あるがまま。
生きてた頃を彷彿とさせるような、でも息をすることも無く、そのままの物質として生の終わった姿。
人間の最後でもあり、みんなが忘れ去りたいし出来れば見たくないと思っているもの。
というか。
いや、難しいな。グロとも違うんですよね。グロが悪いとか嫌いとかでもなくて。
でもって釣崎清隆さんの写真と、ウィトキンの作品は全然違う。
ただ死に向き合っているという一つの共通項はあるんだけど。
まあいいや。別に悪趣味だけどこれはアートだ!って言うつもりも到底なくて。
これが真実の姿だとか善悪がとか、モラルがとかでもなく、ただ死というものの一部。
興味ある人は何かの時に直接話せばいいことだからこれぐらいで。
でも、ネクロフィリアじゃない、とだけはもう一回言っとく。
切り取られた映像の中で見てるのと、実際にそこに居るのとは全然違うし。
嗅覚が良い方なので、現場に居ると匂いでたぶん吐く。
話は戻って、映画は良かったのでその死体の映像も含めておすすめです。
もはや映画の話じゃなくなったな。しかも死体の話も引っ張った割に適当ですいません。
あのシーン、もう一回見たい。
O75Dさんのブログで合ってますでしょうか?
はじめまして。
僕も音楽をやってるものです。
以前、山口であったライブを観に行ったんですが、自分のホームページで紹介させていただきました。m(_ _)m
一応ご報告までにコメントで書き込ませていただきました。
http://novelsounds.jp/label/?p=815
ライブ良かったですよー。
これからも音楽頑張ってください!
では~
夏の思い出、周南だ。
ありがとうございます!
レーベルやってらっしゃるんですね。
075Dでギター弾いてます。みんな個人でblog持ってたりするのでここが075Dのってわけじゃないんですが、オフィシャルとかも何にもないので(笑)
ライブも拙い演奏にも関わらず見てもらいありがとうございます。
あんなおもしろいイベントに呼んでくれたゼロのみんなには感謝です。10/10の福岡でのライブでちょっと止まりますが、頑張ります!
半年以上前の記事ですが、この映画を先日初めてDVDで見て、ググっていたらここに辿り着きました。
死体の話ですが、私もあれは美しいと思いました。
もちろん、私もネクロフィリアとかではありません(笑)
ただ、私は本物の死体写真を見てもそう感じるわけではないので、もしかしたら感じ方が違うのかもしれませんが‥‥
こういうミステリーものの映画って、死体を印象的に見せることが大事だと思うのですよ。
グロでも確かに印象に残りますが、あんまりグロテスクに見えるとやはり多くの人には恐怖や嫌悪感が先に立ってしまうと思います。
この映画の場合、被害者を愛してやまなかった夫に心を動かされてしまう主人公に共感できなければ、話について行けなくなるでしょうから、それではいけません。
だからこそ、残酷ながら美しいと感じてしまうような画にすることで、その女性がいかに愛されていたか、ということをすんなり納得させる効果があったのではないでしょうか?
あと、美しいものの死って、儚さが伴いますよね。
それだけに悲しさを共感できるのではないのかと思います。
私はこんな風に感じたのですが、どうでしょうか?
長文失礼しました。
映画に関しては、美しいに越したことは無いと思うので同感です。残酷さと美しさの紙一重具合が素晴らしかったです。近年の映画の中ではダントツの美しさだったのであれで一気に映画の中に入り込めた気がします。
漠然と思うのは、たとえばあれが顔が潰されたり、切断されていたりと嫌悪感で一杯になりそうな画だとしたらどう印象を受けたかな、と。
あれは映画だから美しいものの死(愛している人の死)=儚さ を伝えたい画であり、それが叶った作品でいいんですが、映画のようにストーリーの無い死体写真のように常に死が美しいものとは限らない中での死体の捉え方が課題というか、なんというか。
そこまで美化して議論するとこでも無いような気がするんですが、全世界に居る死体写真家の認識とか、見る側の認識とか、各々違うんだろうなと。
ただ、見た時にその人の生前のストーリーが想像できるような写真に心は惹かれます。
と、映画の中の1シーンと本物の死体写真は意識するところが違うので一緒くたにすべきじゃないかも知れません。