私達関西人は、「知らんけど」と
言う言葉を、日々意識して使っている
わけではない。勝手に出てくるのだ。
無意識にサラリと言えなければ、
無責任な発言でしかない。
関西人同士なら、文化として根付いているので、
仮に目上の人との会話(雑談)でも自然と言える。
それで「コンニャロ、おめぇ!」とはならない。
目上の人の場合は、知らんけどではなく、
「や、知りませんけど」となる。もし
目くじらを立てさせたくなければ、
こんな表現もある。
「知りませんけど。ちょっと言うてみました。」
ほんとかよ、と思われるかも知れないが、
全く何のお咎めもないよ。
いや、それほどにまで挨拶感覚なのだ。
調べてみると、こんなものがあった。
①②は、まぁまぁ合っているが、
③など全く求めていない。
そんな教科書通りにいくと思っては
いけない。関西、殊に大阪では
どんな変化球が飛んでくるか予想もつかない。
そして、文献などで一番やってはいけない
「知らんけど」の典型的な例が一番最後。
関西人以外が読むと、
“あぁ、オチにこうやって持ってきたか”と
感心されるかもしれないが、最悪の例である。
素人丸出しだ。
ここは、敢えて「知らんけど」を書くべきではない。
書かないことによって、
「…や、ここで使わんのかーい!」という
見えないツッコミが入れられるのだ。
流行り言葉は、TPOを選ばず
使いたがるミーハーが出てくる。
思い返せば、
柴田恭平の【関係ないね】や
小島よしおの【そんなの関係ねぇ】がそうだろう。
【知らんけど】は、万能な言葉に
思われるかもしれないが、使いなれてなければ
凶器になるから取り扱い注意だ。
意識して使った時点で、もう
“作為的知らんけど”になってしまうのだ。
『ほんま、殺したろか』という、
一見オドロオドロしいセリフも、
オオサカン・ピーポーにとっては
日常会話だ。
「殺したろか」と「知らんけど」を場に応じて
無意識に使い分けられる能力がないと、
本物の知らんけディストとは言えない。
つまり、DNAに刻まれていない者は
踏み込んではいけない世界なのだ。
使うなら、関西に魂を売るつもりで
使ってほしい。
あと、トドメにもう一つ。
アクセントがなっていない!
エセ知らんけディストは、
知らんけど、と発音する。
違う!違うのだ!
知らんけど、だ!
ついでに言っておくと、
なんでやねん、ではなく
なんでやねん、だよ。
知らんけどなんて流行り、
はよ廃ってくれ、ほんま。
聞きなれない人にとっては
不快だろうしね。
はい、ほな本日の講義これで終わり。
ではでは、またね!
…なんて記事、本気にするなよー!
真剣な内容に見せかけて、実は冗談と
いうのが私のブログの売りだからね。
そこんとこ宜しく〜!
えっ!?
違う違う、そうじゃ、そうじゃな〜い。
そう、これこれ。