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第二次パープル問題

<15代目フーシェ>が管理人のハンネです 

豚政連(とんせいれん)って知ってましたか?

2015年11月27日 | 日記
政治団体・日本養豚政治連盟(トンセイレン)参加についてのお願い



  漸く春を感じる季節となりましたが、枝肉価格の低迷、飼料、燃料など生産資材の高騰等、業界として明るい話題が聞かれない中でのTPP参加に向けた動きは何としても阻止していかなければなりません。また、益々厳しい生産環境が想定される中で生産現場の声を高め強く発信していくためのロビー活動は不可欠と考えます。

 今回JPPA役員(生産者)が中心となり『日本養豚振興政治連盟』が組織されました。参加資格は個人であります。

 将来の養豚産業を維持・発展させるためにも、ナイスポークチバ推進協議会会員一人一人がこれに会員として参加願いますようお願い申し上げます。

             ナイスポークチバ推進協議会 会長  平野 拓歩  






                                   平成24年3月25日

      JPPA会員  各位

                

                発起人:(順不同)

                     北海道:富樫  儀禮   ・  中岡    勝

                     青森県:山崎   伸 ・ 岩手県:遠藤  啓介

                     秋田県:丹尾 久剛 ・ 福島県:中野目 正治

                     栃木県:星   正美 ・、群馬県:都丸  明浩

                     埼玉県:松村 昌雄 ・ 千葉県:平野  拓歩

                     神奈川県:志澤  勝 ・ 長野県: 川上 康治

                     愛知県:稲吉  弘之 ・ 大阪府: 川上 幸男

                        岐阜県:栗木  鋭三   ・  橋枝   浩

                     愛媛県:竹内 日出男 ・ 長崎県:上野 孝幸

                     熊本県:中尾  正弘 ・ 大分県:福田   実

                     宮崎県:日高  省三   ・  香川   雅彦

                     鹿児島県:大迫  昭蔵 ・沖縄県:我那覇 明

    政治団体・日本養豚政治連盟(トンセイレン)参加のお願い

  我国の養豚を取り巻く状況は年々厳しいものがありますが、今般のTPP加入問題で、もし我国が参加と言うことにでもなったら、国内の養豚の70%は廃業に追い込まれると農水省が試算しています。しかしこの試算が正しいでしょうか。



 現在は輸入豚肉に差額関税制度が国境措置として、国内養豚の保護を目的に設定されています。裏ポーク事件の多発はあるものの、安い海外豚肉の輸入への歯止めになっている事も事実であります。しかし、TPPで完全に国境措置が廃止されますと、枝肉換算でキロ当たり200円以下の豚肉が国内になだれ込んできます。そこで価格競争になっても銘柄豚は残るというのが農水省の試算ですが、養豚を含む畜産農家の大幅減少でエサや資材のコストが上昇し、出荷頭数の減少でと場の運営が困難になること等、どのように考えましても我国の養豚が大変な窮地におちいることは明白であります。



 このような議論をJPPAの役員会等で何度も話し合いを行い、この危機を回避するためには、自助努力を十分に尽くすことは当然ながら、やはり政治の力に頼るしかなく、政治家と密に連携を取った行動が必要であるとの結論に達しました。今までのJPPAでもこのような見地から、例えば100億円規模の全国肉豚事業獲得等の畜政活動を行って参りましたが、政治資金規正法等の法律から活動は制限されていました。そこで生産者が政治団体を組織してダイナミックな畜政活動を行う目的で『日本養豚振興政治連盟』をこの度、私共発起人で設立申請を行うことと致しました。



 つきましては、次世代へ我国の養豚産業を引き続き守っていくために、お一人でも多くの同志の方がこの主旨に賛同されて、『日本養豚振興政治連盟』へ参加されますことをお願いいたします。

 尚、お問い合わせやご意見は、発起人の一人でもあるナイスポークチバ推進協議会又は事務局までお問い合わせください。

 なお、お近くの仲間へも呼びかけ頂ければ幸いです。









 日本養豚振興政治連盟規約

   1.名  称 本会は日本養豚振興政治連盟(略称:豚政連)と称する。

   2.事務所 本会の事務所は、東京都内に置く。

   3.目 的 本会は、我が国の養豚産業の振興を図るために、養豚生産者が主体となって必要な政治活動を行うことを目的とする

   4.事 業 本会の目的を達成するために、次の活動を行う。

 (1)研究会、講演会の開催

 (2)関係方面への要請・宣伝活動、及び印刷物の発行

 (3)その他目的達成のために必要な事業

   5.会 員 本会の目的に賛同する養豚生産者及びそれに関連する者を会員とする。

   6.役 員 本会は次の役員を置く。

   会長(1名)、副会長(5名以内)、幹事長(1名)、幹事(30名以内)、会計責任者(1名)、会計職務代行者(1名)

           役員の任期は2年間とする。

           但し、設立初年度は任期を1年とする。

    7.会 議  本会は、会員を招集して年1回の総会、並びに必要に応じて臨時総会を開催する。また、役員による執行部会議、幹事会を随時開催する。

    8.経 費 本会の経費は、会費、寄付金、その他の収入をもって充てる。

    9.会 費 本会の年会費は1口10,000円以上とする。尚、計算目安は、経営規模に応じて、飼養母豚1頭当り200円とする。

   10.会計年度 本会の会計年度は毎年1月1日から12月31日までとする。

11. その他

       附則:本規約は平成24年3月1日より実施する。



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 自民党とつながりがあり、献金してきたようです。

そもそもタレーランってどんな人物?

2015年11月27日 | 日記
シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord, [talɛrɑ̃ perigɔr] 発音例1発音例2, 1754年2月13日(2月2日説も)[1] - 1838年5月17日)は、フランスのフランス革命から、第一帝政、復古王政、七月王政までの政治家で外交官である。ウィーン会議ではブルボン家代表となり、以後も首相、外相、大使として活躍し、長期にわたってフランス政治に君臨した。日本では一般に「タレーラン」と略される。

姓はタレーラン=ペリゴールで、現代でもフランス有数の大貴族であるが、ブルボン王政ではオータン司教、第一帝政ではベネヴェント大公であった。日本語でのカナ表記はタレーランまたはタレイラン[注釈 1]。有名な画家ウジェーヌ・ドラクロワは、その容貌、容姿の酷似やフランス政府の保護などから、息子ではないかといわれる。フランス第二帝政の政治家シャルル・ド・モルニーは孫。



目次 [非表示]
1 生涯
2 評価
3 エピソード
4 語録
5 脚注 5.1 注釈
5.2 出典

6 参考文献
7 関連書籍
8 関連項目


生涯[編集]

シャルルマーニュの末裔ペリゴール伯爵の直系子孫を自称する名門貴族の家柄で、タレーラン侯爵の次男の伯爵家の長男として生まれたシャルル=モーリスは、内反足で片足に障害を持っていたため、父の職責であった連隊長の後を継ぐことができず、父の指示で聖職者の道に進んだ。パリのサン・シュルピス神学校とソルボンヌ大学で神学を修め、1775年、ランスのサン・ドニ修道院長の職に就いた。1779年に司祭に叙階され、当時から反ローマ的な風潮の強かったフランスの教会においてもガリカニスムの急先鋒として知られた。一族の影響力によって順調に出世し、1788年にルイ16世によってブルゴーニュのオータン司教に任ぜられた。

1789年に三部会の第一身分(聖職者)議員に選出され、自身が司教でありながら教会財産の国有化という反カトリック教会的な政策を推進した(万国共通の単位の制定〈後のメートル法〉を国民議会に提案したのも彼であると言われている)。1790年に国民議会議長に選出されるとともに司教職を自ら辞したが、ローマ教皇ピウス6世から、それまでの反カトリック教会的行為を咎められて破門されている。

1792年に外交使節としてイギリスに派遣されるが、フランスでジャコバン派による恐怖政治が吹き荒れたのでそのまま亡命し、アメリカ合衆国に渡った。

1796年にフランスに帰国し、当時愛人だったスタール夫人の推薦により総裁政府の外務大臣となるが、1799年に辞任する。ナポレオン・ボナパルトのブリュメール18日のクーデターの陰謀に参加し、成立した統領政府で再び外務大臣となり、リュネヴィルの和約およびアミアンの和約の成立に貢献し、ナポレオンから高い評価を得る。1803年、ナポレオンの指示でサントル地方のヴァランセ城 (fr) を購入・所有し、外賓の接待に使用した。ナポレオンの皇帝就任後は侍従長も兼ねたが、ヨーロッパ列強の勢力均衡を図ろうとする彼の考えと、ナポレオンのヨーロッパ支配の拡大戦略とは相容れず、1807年に外相を辞任。帝国顕官(フランス語版)副大選挙人、元老院議員に就くも、ジョゼフ・フーシェとともにナポレオンの失脚を計画した。

1814年にナポレオンが失脚すると、連合国に請われて臨時政府の代表となり、ルイ18世の即位後は再びフランスの外務大臣となり、ウィーン会議に出席した。この会議では、正統主義を唱えて列強の利害対立を利用し、巧みな外交手腕でフランスの国益を守った。1815年にナポレオンの百日天下のあと、一時首相となったが、過激王党派にフランス革命期の政治活動を非難され失脚した。

1830年の7月革命ではルイ・フィリップの即位に貢献し、この年から1834年までイギリス大使を勤めた。1838年、肺壊疽により死亡。自らの居城だったヴァランセ城近郊にあるノートルダム礼拝堂に埋葬された。

評価[編集]

「タレーランは、金儲けに精を出していないときは、陰謀を企んでいる」と酷評されたが、一方で敗戦国が戦勝国に要求を呑ませたことで敏腕政治家・外交家としての評価が高い。

ナポレオンとタレーランは、互いの天才的な才能を認めあったが、必ずしも親しい関係ではなかった。タレーランの老獪な政治手法をナポレオンは「絹の靴下の中の糞」とこき下ろすこともあった。タレーランは、変節の政治家として嫌われることも多いが、名外交官としてオーストリアのメッテルニヒと並び称され、今も評価が高い。メッテルニヒとともに外交の天才と称されることもある。タレーランは、長年対立関係にあったイギリスとフランスの同盟関係を固め、19世紀と20世紀の200年続く両国の協調と同盟の基礎を作った。両国の同盟関係により後の第一次世界大戦と第二次世界大戦のフランスを勝利に導いたのはタレーランの外交の遺産であった。

タレーランが提案したメートル法が世界の多くの国で度量衡の基準として広く用いられている。

現在でも、欧米では交渉の場で卓越したものの代名詞として使われる。

エピソード[編集]

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。(2015年4月)
美食家として知られ、シェフとしてアントナン・カレームを雇い、ヴァランセ城に居住させた。重複のない、季節の食材のみを使用した1年間のメニューをつくる事を命じている。ウィーン会議の間もたびたび夕食会を主催し、そこで出された料理は出席者の評判をさらい、カレームの名をヨーロッパ中に広げるきっかけとなった。
あるとき、タレーランは2匹の大きな鮭を入手した。これは、当時としては大富豪でもなければ不可能なことだった。さっそく客たちにふるまうことにするが、しかし2匹同時に食卓に出せば自慢と受け取られ、反発されることも予想される。そこで、1匹目の鮭を客の目前でわざと皿から落として料理を台無しにしてしまった。残念がった客に2匹目の鮭を持ってこさせたため、客はおおいに喜んだといわれる[2]。

語録[編集]

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。(2015年4月)
1789年以前に生きたことのない人に、人生の甘美さはわからぬ。
カフェ、それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い[注釈 2]
快楽さえなければ、人生はきっと耐えうるものだろう。
誹謗中傷よりも酷いことがひとつある。それは真実だ。
言葉が人間に与えられたのは、考えていることを隠すためである。
暗殺とは、ロシアでもっともよく用られる免職方法である。
私はナポレオンを裏切ったり、陰謀を企んでいたことはない。私自身が人生において策略を用いたとすれば、フランス人が共犯であった時に限られるのであり、私は救国を望んでいた……誓って言うが、ナポレオンより危険な陰謀家はいなかったのである。
ルイ18世はおよそこの世で知る限り、きわめつきの嘘つきである。1814年以来、私が王と初対面の折りに感じた失望は、とても口では言い表せない。……私がルイ18世に見たものは、いつもエゴイズム、鈍感、享楽家、恩知らず、といったところだ。
(ルイ18世は)何も学ばず、何も忘れず。
私は不徳義漢で権謀術数の徒であると見られているが、実は物に動じないで人間を見下していただけなのだ。
私がどんな人間だったか、何を考えていたのか、何を望んでいたのか。それを数世紀間にわたって論議してもらいたいのですよ。
あのような偉大な方がここまで育ちが悪いとは、残念ですな。(ナポレオンに面罵された直後の言葉)
(ナポレオン死去の報を聞いて)それは事件じゃない。ニュースだ。
感受性が強すぎると不幸をもたらし、感受性が無さすぎると犯罪に導く

珈琲店タレーランの事件簿 漫画化

2015年11月27日 | 日記
珈琲店タレーランの事件簿

漫画:峠比呂 原作:岡崎琢磨

tag: 岡崎琢磨峠比呂珈琲店タレーランの事件簿



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ストーリー

累計165万部突破の大人気ミステリー、ついにコミック化!
京都の路地裏、小さな店――バリスタは今日も謎を挽く。

京都の片隅にひっそりとたたずむ喫茶店・タレーラン。偶然、この店を訪れた青年・アオヤマは、タレーランの女性バリスタ・美星の淹れるコーヒーに魅了される。
美星とアオヤマ――2人はやがて、タレーランに持ち込まれる日常の些細な謎へと挑んでいくことに……。