私のひとりごと

気に入ってるバンドの事や日々の愚痴などここで気が向いたら書きこみます。

エストリスの海辺で

2008年12月17日 11時27分31秒 | ひとりごと
私が今回ポルトガルのエストリルショーに出向いた時は、悲しみのどん底だった。
今までの日常がすべてむなしくなり、生きてる事にさえ嫌気がさし、またそう言う事を言うと、生きてなきゃだめですよといわれるのがもっと嫌だった。
そんな暗い湿った気分の中でも、青空に生えるエストリルの名前を覚えられなかったのだが海が美しかった。
どんなに人間を嫌いになっても、自然を嫌いになる事はないんだなと、改めて心が癒された。
暖かい日差し、岩に押し寄せる波の音、紺碧の宝石のような海の色。
すべてが私を受け入れていてくれた。
他の誰も私の事など気にかけなくても、その自然たちは平等に美しさを分け与えてくれていた。
惜しげもなく、つつみかくさず。
私が誰であろうと関係なく、やさしく、厳しく、いつもどおり接してくれていた。
宗教を毛嫌いする人がいるけれど、これらを創造したものが必ず存在するのは事実だし、それを神と信じる事は、心の支えを持つ事になる。
一昨日の夜、手術の傷の痛みで私は怒りくるっていた。
何もかもに腹が立って、何かにぶつけたくてもぶつけるものすらない。
とうとう、夫が「ためしにお祈りしてみようか?」と持ちかけた。
まるでお祈りの気分でもなかったけれど、他に何も出来そうな事も考え当たらず、祈ってもらった。
夫は心から祈ってくれた。その言葉の中に、「あなた様の愛する娘が今、ここで痛みに苦しんでいます。どうぞ、あなた様の愛をあなた様の娘に注いで上げてください。あなた様が彼女をどんなに愛しているか、感じる事が出来ますよう、癒しの力を与えてあげて下さい。」

祈りは長かったのだけれど、私は私も神の愛する娘の一人だと言われ涙があふれた。
子供の頃から愛情の薄い家庭に育ち、いつも愛に飢え、寂しさと戦って来ていたので、今までもその言葉は何度も耳にしてはいたけれど、その夜の夫の言葉から出たあの言葉は、神が彼を通して伝えてくれたメッセージだとはっきり感じ取れた。
神が、「まだ、私のモトに戻ってくる時ではないのだから、頑張りなさい。私がそばについているではないか。お前はいつも私に見守られているのだよ。」といわれた様に感じる事ができた。

この世で一番必要なのは「愛」だと確信するひと時だった。
人間は愛されていないと死んでしまうとマザーテレサが言ったのを覚えている。
本当に死にそうだった。
毎日悲しくて、寂しくて。
家族がいようと、夫がいようと、彼らは彼らの事で必死で、私の事など眼中にもないように思えていた。
こんな事が無い限り、こういう経験が出来ないのも悲しいものがあるけれど、少なくとも私は神様に目いっぱい愛されてると感じられて良かったと思う。

小さい頃は、祖父が私と姉を非常にかわいがってくれていた。
しかし、私が5歳の時他界してしまった。
彼らのもとに帰れる日まであと何年あるのか分からないけれど、もしその日が来たなら、すぐにでも会いに行きたいものである。