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台風一過、午前6時半の鹿児島は穏やかな朝を迎えました。
台風15号各地に無残な爪あとを残し、やっとこさ日本列島を抜けようとしています。
被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
私は鹿児島の東シナ海を望む薩摩半島の海沿い育ちですので、台風にはやはり敏感に反応してしまいます。
思えば、小さい頃、父は遠洋マグロ魚業でしたから一年を通してドッグの時だけ数日しか家におりませんでした、私達子供の運動会も一度も見たこともなく、台風時期には母と子供だけで家を守ることになりました。
小さい頃はよく大きな台風が来たものですが、台風前になると、雨戸を建てて外からつっぱりをしたり、玄関にも雨戸を建てるようになっていました、ローソクや懐中電灯、ヘルメットを準備し、雨戸を建てているため、異様に家の中が暗く生暖かい雰囲気に、子供心に怖いながらも妙にワクワクしたものです。今は茶の間で手に取るように台風の進路予想が見れますが、その頃はまだまだアバウトな予想図だったと思います。昔の家の造りは床下が高く、床下からの吹込みで畳が持ち上がるという経験もしました。
不思議と、玄関から風が入ってくる時は台風が来るけど、勝手口から風が入ってくる時は台風が逸れると母がいっておりましたが、ほぼその通りでした。
真っぽし来る台風の時は、中心が過ぎる時、風向きが変わりますが、これを鹿児島では あがい風(上り風)といい、この向きが変わったとき暫く吹く風が最も危ないと言われていました。
よく昭和26年のルース台風の話しも聞かされました、私が小学3年生の台風では中心の台風の目に入った時ぴたりと風が止み、外で星空を見た事があります、その後の吹き返しで、すぐ近くの漁港の水揚場がつぶれたことが記憶に残っております。
昨日は岐阜の娘に物干し竿を降ろしたり用心するようにと電話したとき、こっちの人達ってあまり台風って騒がないよと、やはり台風への感覚の違いがあるのかなと思うことでした。
引き続きの大型台風でしたが、そちらは被害が少なくて何よりでした。
かって薩摩半島に住んでいたとか。そちらの皆さんの台風に備えた住まいや配慮は、長い歴史と経験に裏打ちされているんですね。
北海道には今までほとんど台風は来なかったので、どう準備したり行動したら良いのかが分からないのです。私は寝る前に高い場所にあった植木鉢を下に下しただけでした。
こちら昨夜は大雨でしたが、風はそれ程でなく、ホッとしています。
そちらは何事もなくよかったでした。
こちらは台風の銀座通り、今では近代建築になりサッシの雨戸も片手で引け気密性耐風性も昔とは比べ物になりません。その地域に合わせた建築様式が防災の役目をしているといっても、この頃の想定外の自然の力にはかないませんね。
先人の伝え継ぐ智恵も時代とともに薄れていくのでしょうか。
南国の人達が不慣れな雪にあたふたするのと同じで、なかなか経験しないことはいろんな迷いや混乱が生じるものですね。
ついこの前の猛暑のひと夏が嘘のように、今肌寒い鹿児島です。
台風のご心配をおかけしましたが、うちの地域は無事でした。
娘さんの地区はたぶん水害の心配があまりないのでは・・・
名古屋をはじめ濃尾平野に位置する市町村で、河川近くや低い土地の方々は、
伊勢湾台風等々の被害を教訓にしていることが多いはずです。
しかし、住宅が増え、新しく移り住んだ人々が多い地区だと
やはり、水が出るとか、浸水しやすいなどの情報が、伝わりにくいので
危機管理の意識に差が出るのかもしれませんね。
夜詰めのお仕事もお疲れさまです。
住む場所が違うだけで運命をも分けるという感がします。
名古屋は伊勢湾台風がありましたね、今は若い世代の方達は実感が湧かず、さぞや河川の氾濫には驚かれたことでしょう。
岐阜の娘のところは、何てことなかったよと言ってました。
テレビでニュースを見るたびに、よもや自分の所は大丈夫と思っても、明日は我が身を覚悟しなければならない日本列島のように思います。