数年前から思ってた事だけど、例えば友人または友人らしい人に『友達』とゆう枠を飛び越えて『兄弟』、『兄貴』、『家族』、『師匠』等々の呼び方をされた時、謙遜しつつも嬉しかったりなんだりして、なんやかんやあって疎遠になってお互いそれぞれの時の流れを経て再び交わった時に当時の熱とは異なった温度に気付いた時の戸惑いったらないね。
『え?昔こんな感じじゃなかったじゃん…?』
みたいなね。
まぁ、でもそれもやはり時の流れや環境の変化等々で成される事柄の一つ、と思ってたんだけど、実は『いつまでも変わらないと思い込んで偶像を脳裏の片隅に置いていた』『シンプルに人に求め過ぎてた』とゆう事が1番大きいのかな?とゆう事に最近気付いた。
時の流れに身を任せていく中で、様々な感情が渦巻いていき次第に人の心は変わっていく、もしくは変わっていかざるを得なかったりするのもあるのかもしれない。
そして、それは人から見たら自分自身もそれらに当てはまるのかな?と思うと、そう言った事柄に戸惑うよりも「あぁ…まぁ、そうか、そうだな…」位にライトな感じでいた方が楽なのかもしれん、と思った就寝前。
よくわからない文章だけど、つまりはそうゆう事です。
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