愛川町にある勝楽寺の紹介です。
一般的には、半僧坊や田代の半僧坊と呼ばれています。
曹洞宗のお寺で、開山は天文13年(1544年)といわれています。
国道412号を跨いだ反対側にある門と石碑
山門ではありません。
この門と国道412号をくぐって進むと、目の前に大きな山門が現れます。
山門と参道わきのスギとつつじ
山門と杉立ちはあいかわ景勝10選に選ばれています。
山門の直下から
山門に掲げられた額
満珠山の文字が。
山門には仁王像があります。
右の阿像
左の吽像
山門をくぐった先にある中門と上の方が伐採されたイチョウ。
中門には葵の御紋があります。
本堂
本堂前の池
本堂の左に進むと、半僧坊があります。
遠州奥山方廣寺より勧請した半僧坊大権現が祭られています。
田代半僧坊の額があります。
半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に出会った
白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。
禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、老人は「私は半僧です。」と答えたことから
半僧坊と呼ばれるようになったそうです。
その後、無文元選禅師が亡くなると、姿を消したと言われています。
半僧坊は、鎌倉の建長寺の鎮守にもなっています。
鐘楼
山門の裏から
とても立派な山門でした。
一般的には、半僧坊や田代の半僧坊と呼ばれています。
曹洞宗のお寺で、開山は天文13年(1544年)といわれています。
国道412号を跨いだ反対側にある門と石碑
山門ではありません。
この門と国道412号をくぐって進むと、目の前に大きな山門が現れます。
山門と参道わきのスギとつつじ
山門と杉立ちはあいかわ景勝10選に選ばれています。
山門の直下から
山門に掲げられた額
満珠山の文字が。
山門には仁王像があります。
右の阿像
左の吽像
山門をくぐった先にある中門と上の方が伐採されたイチョウ。
中門には葵の御紋があります。
本堂
本堂前の池
本堂の左に進むと、半僧坊があります。
遠州奥山方廣寺より勧請した半僧坊大権現が祭られています。
田代半僧坊の額があります。
半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に出会った
白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。
禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、老人は「私は半僧です。」と答えたことから
半僧坊と呼ばれるようになったそうです。
その後、無文元選禅師が亡くなると、姿を消したと言われています。
半僧坊は、鎌倉の建長寺の鎮守にもなっています。
鐘楼
山門の裏から
とても立派な山門でした。