石楯尾神社を訪問しました。
藤沢市鵠沼の石楯尾神社は、927年に編纂された「延喜式」神名帳に記録された
相模国の十三社のうちの一つ「石楯尾神社」の論社とされています。
「論社」とは、延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社のことをいいます。
いままでいくつか紹介してきた「石楯尾神社」の論社ですが、
藤沢市鵠沼の石楯尾神社は、鵠沼にある皇大神宮の境内社となってる点が他と大きく違います。
鵠沼にある皇大神宮はこちらでご覧いただけます。
皇大神宮です。
石楯尾神社はどこにあるかというと、拝殿に向かって左のテントの陰です。
別の角度から
手前が石楯尾神社で、奥が皇大神宮の本殿です。
808年ごろ、現在の皇大神宮のあるところに石楯尾神社が建てられたといわれています。
その後、烏森神社がの社殿が建てられ、900年ごろに相模国土甘郷の総社となり、
伊勢神宮に寄進した大庭荘の総鎮守となり皇大神宮と呼ばれるようになったそうです。
那須与一が屋島で射た弓と矢を奉納したともいわれています。
石楯尾神社の社号標と祠
正面から
延喜式内 相模国十三社の一覧はこちらでご覧いただけます。
藤沢市鵠沼の石楯尾神社は、927年に編纂された「延喜式」神名帳に記録された
相模国の十三社のうちの一つ「石楯尾神社」の論社とされています。
「論社」とは、延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔と推定される神社のことをいいます。
いままでいくつか紹介してきた「石楯尾神社」の論社ですが、
藤沢市鵠沼の石楯尾神社は、鵠沼にある皇大神宮の境内社となってる点が他と大きく違います。
鵠沼にある皇大神宮はこちらでご覧いただけます。
皇大神宮です。
石楯尾神社はどこにあるかというと、拝殿に向かって左のテントの陰です。
別の角度から
手前が石楯尾神社で、奥が皇大神宮の本殿です。
808年ごろ、現在の皇大神宮のあるところに石楯尾神社が建てられたといわれています。
その後、烏森神社がの社殿が建てられ、900年ごろに相模国土甘郷の総社となり、
伊勢神宮に寄進した大庭荘の総鎮守となり皇大神宮と呼ばれるようになったそうです。
那須与一が屋島で射た弓と矢を奉納したともいわれています。
石楯尾神社の社号標と祠
正面から
延喜式内 相模国十三社の一覧はこちらでご覧いただけます。