人の役に立つとは、リラックスしていること。
役に立つような行為をしても、しなくてもどちらでもよくて、そんなことより
リラックスして、今、ここにあること
人の役に立つとは、リラックスしていること。
役に立つような行為をしても、しなくてもどちらでもよくて、そんなことより
リラックスして、今、ここにあること
なんと、二日前に投稿していたとおもっていたのに
ブログにのっていない(笑)
岩木山に行ってきたことを書いていたのだが・・・・
どこに消えたかなあ?
それは、意識
全てが生まれ、消えていくところ
きょうは、全てがそんな風に生まれては消えていくんだなあとしみじみ思った。
そして、たとえ同じ言葉を使って文章を書いてみても
その時と今は違う。
一見同じに見えて、でも、同じことなんてあり得ないんだなあ
瞬間瞬間
同じにまばたきすることも
まったく同じに呼吸が行われることも
当たり前に思える日常だけれど
実は、奇跡の瞬間の連続
まさに神業
今、この瞬間を味わい切ることができますように
神様、奇跡をありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
夫と義母が、けんかした。
ちょうど、その間にわたしがいて、居心地が悪いどころか
心が右往左往する。
面と向かって言いあうというより
それぞれの場所で、怒ったり、聞こえるように文句を言っている。
どちらの気持ちもわからないではないのだけれど
要は、新しい環境で互いにストレスがたまっているのだろう。
以前の私なら、平和的に治めようと、何とかしようと
なぐさめたり、あれこれしたのだろうけれど
一人、静かにその場を立ち去った。(笑)
起きてきたことを何とかしようとするのは、もう、今までさんざんやってきたこと。
でも、それでどうなるものでもなく、誰が悪いわけでもない。
でも、心は恐れや不安が起きてくる。落ち着かない。
それを、ただ観ようと座った。
できるできないではなく、夫・義母・私の、全ての共通の意識の土台
全てが起きてくる源、土台、そこにあろうと
個人の私にできる事は何もない、全て委ねようと思えた。
すると、
ああ、二人とも、ストレスのガス抜きができてよかったななんて心も浮かんできて
次の日の朝、何と、あんなにああだこうだ言って
もう口をきかないとか言っていたのに
義母から、夫におはようととあいさつして、昨日のことも話していて
ちょっと、「義母やるなあ」と見直したりした。
本当に大変と思った時、
一度、リセットする。意識の所に戻ってみる
そのことの、大切さを、しみじみ学んだ出来事だった。
日常、様々な場面で
嬉しいこと楽しいことばかりではなく
嫌なこともあるのだけれど
そうすると、居心地が悪くて
その起きてきたことや、それについて思う心も
何とか解決したかったり、消してしまいたくて悪戦苦闘する(笑)
それも、起きてきていることでどうしようもないけれど、できれば、ただ見る。
そんな自分を認めて愛してあげること
何とかしようとするのではなく
それで、完全
それでよい。
大丈夫
委ねる
神の御心のままに
少し、腹がたつような出来事があって
こちらも、何の思惑があったわけではなかった。
起きてきたとしかいいようがなく、腹がたったことも
どうしようもなかった。
今までなら、何が悪かったのか?とか
反省してみたり、
相手の意味のわからない言動を攻めてみたり
心(エゴ)の葛藤があったのだけれど
起きてきたことに
自身をせめたり、何か取り繕う気持ちがなく、
それは、相手にとっても起きてきたことだなと
理解できた。
結局のところ、誰のせいでもなく
どちらが正しいかなんてどうでもよく
ただ、起きてきたこと
それが真実なのだなと思われた。