心は私ではない。
心を自分だと思っている人がほとんどかもしれない。
でも、よくみてみると
あー、イライラすると、イライラしている心に気がついている。
ということは、心は見られているわけで
観ている方が、主(あるじ)ではないのか?
あの人嫌い!あの人好き!とか、思っている心に気がついている。
ということは、その心も見られているわけで
観ている方が、主(あるじ)ではないのか?
心はコロコロと移り変わり
楽しいかと思うと、思いたくないことも思うし
恐れや不安から、どんどん、妄想も膨らんでいったり
それも自分でやっているわけではなく、起きてくる
心を24時間だし続けることもできない。
心を出すには、空間がなければできない。
心とは、ホワイトボードに書かれた文字のようなもの
心が、本当の私なら
私は出たり消えたり、あっちに行ったかと思えばこっちにきていて
存在したりしなかったりすることになる。
心は、わたしではない。
真実の私とは、それを見ているものであり
その土台
永遠不滅に消えることのないホワイトボードのようなもの。
心に振り回されるのではなく
その心の土台、沈黙にくつろいでください。