少子化とはいえ保育園、幼稚園を合せ多くの親子が集まり、朝の9時から午後1時まで休む間もないほどの盛況だった。もっとも乗車賃は無料のため何回でも乗ることができなんと10回以上も乗って楽しんでいる子供を背負った元気なお母さんも見られた。
駿遠線遺構
その昔、藤枝駅を起点としここ静波を通り御前崎を経由して袋井駅に至る日本一長い軽便鉄道が走っていた。その名残が沿線のあちこちで見られる。http://www.geocities.jp/itotsune6286/snen.htm
勝俣川をまたぐ鉄橋跡は今はその橋脚を残し水道橋として活用されている。
鉄橋を渡った線路は国道150線を跨ぎ海岸線に入っていき相良に至る。
疎開の延長線上の話でしょうか? 「遊び小屋」のシーサーを作ってくれたすーさんも、相良町出身ですよ。
私も3年前の首都圏往復の自転車旅行の時この太平洋自転車道路を走り、昔の軽便鉄道線路跡だということを知って、旅がより楽しくなったのを想いだしました。
橋脚や線路跡を後世に活かすなど、行政にも粋な鉄ちゃんがいるじゃありませんか!
文字通り屋根にも跨り、デッキからあふれた人は必死に車外より手すりにしがみ付いた満載の客を運んでいた軽便線、戦争直後の粗悪な石炭を燃やし黒煙と火の粉をまき散らしながら走った豆機関車。私は静波駅からやっとの思いで機関車の後ろの無害貨車に載せて頂き、母の懐で屈み込み降り注ぐ火の粉をチクチクと首筋や腕に浴びながら藤枝駅にたどり着きさらに大変な思いで東京に向かった、そして最後の渋谷から乗った満員の玉電の中でしょってきた大事なリュックを失くしてしまった幼いある日を鮮明に覚えています。当時の国道150線はただの砂利の小道にすぎず要するに交通手段は軽便がすべてでした。私の汽車ぽっぽマニアはこんな印象から始まっているかもしれません。