あの頃映画 「五番町夕霧楼」 [DVD] | |
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戦後間もない昭和25年ごろ、丹後の寒村・樽泊の木樵の娘・夕子は、貧しい父、肺病の母と3人の妹のために京西陣の色町・五番町夕霧楼に自ら売られて遊女となる。西陣の織元である好色な老人・甚造の贔屓を得て、1年後には夕子は五番町で一、二を争う売れっ妓になっていた。だが夕子には同郷の幼友達であり、恋人である青年僧の正順がいた。だが夕子を妾にしようとしていた甚造は、正順が住み込んで修業している鳳閣寺の住職に彼の廓通いを密告する。夕子はその頃から体の不調を訴え、肺病(当時は死病だった)を患い入院してしまう。
WOWOW ★★★☆
1980年当時の松坂慶子は、その美しい肢体を徐々に見せる方法をとって我々を喜ばせてくれたものでした(笑)
まずは、「配達されない三通の手紙」で美しいお尻をみせ、この「五番町夕霧楼」でも素晴らしい全身ヌード・・・ただしこれもお尻(笑)をみせ、東映に呼ばれて撮影した「青春の門」でやっとこぶりなおっぱいを見せてくれました(笑)その後「道頓堀川」で真田広之を手玉に取り、「蒲田行進曲」でも惜しげも無くおっぱい見せてくれました(笑)これらの代表作は1980年から1983年の4年間・・・当時彼女が28歳から32歳までの頃です。彼女もこの7月20日でついに還暦を迎えますが、彼女の50代の10年間は本当に優しい、ちょっと太めのおばちゃんになりましたが、これはこれでとてもいい味を出してくれています。
WOWOWで午前中にこの放送があり・・・おいおい(笑)朝からこの映画はちょっときついだろ?なんて思いながらも、彼女が一番美しい頃のこの作品はDVDを持ってなかったので(上にあげた他の4作品は持ってたりして)お宝映画としてBlu-rayに落としておきますが(笑)
「五番町夕霧楼」については、三島由紀夫の「金閣寺」とテーマが同じだしおなじみのお話なのであえて語りませんが、この映画の舞台になったのは昭和25年(1950年)・・・すなわち私が生まれる10年前の話なわけで。今現在からならたしかに60年を超える昔話ですが、この映画の作られた1980年からならたった30年前なんですね。もっとも佐久間良子の主演で撮られたものは1962年の制作らしいので、本当についこの前の話だったみたいです。
共演の奥田瑛二ですが、実年齢で彼のほうが松坂慶子よりも2歳年上。この映画当時32歳らしいのですが、10歳は若く見えますね。もちろん仏教の大学生で修行僧って立場なので特に若くみえるのかもしれません。この映画の原作でも「金閣寺」でもこの修行僧は吃音ってことになっていますが、これはこれらの原作の元になった本当の金閣寺放火犯がそうだったみたいです。それが彼のコンプレックスの一因であるように言われています。
私の頭の中では、松坂慶子は、あのドラマの敵役…
岡崎友紀と石館鉄男の恋路を邪魔するいやな奴…
なんです。
あのドラマから、もう40年ほど経ちますけどね。
彼女がメジャーになってからも、あのイメージから抜け出せない。
話は変わりますが、私の大学時代…
「愛の水中花」が流行りました。
友人があの歌詞を英訳してね、
"This is the Love.
That is the Love.
Perhaps Love..
Sure Love. …
なんて皆で歌っていました。
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私の松坂慶子初体験は・・・今調べたら1972年のNHKドラマ「若い人」です。当時20歳で先生を誘惑する奔放な女子高生をしてたっけ(笑)
そのあとは大河ドラマの国盗り物語での濃姫かな。
彼女が出世してから1960年代の「忍者ハットリくん」だとか「ウルトラセブン」でダリーって寄生虫に侵される少女役をやってたなんて過去を暴かれてました。
若い頃は大阪弁で言うところのイケズな役が多かったかもね(笑)しかし、結婚出産後はとても優しいお母さんって感じを受けます。
「愛の水中花」の頃は・・・27歳だったみたい(笑)
8歳年下の私は随分おばさんに見えたなぁ(笑)