#オリンピックは?
やれるのか、やれないのか?
単にそんな単純な問題ではないことをわたしは知りました。
・先ず、オリンピックには健常者のアスリートと身体障害者のアスリートがおり、一年に冬季スポーツもあり、それ以外の暖かい、暑い時期のもあります。
彼等、アスリートはめげているより大会が有っても無くても毎日練習しています。
良く言われる順調な時だけのアスリートなんて本物では無いのかも知れません。
スポーツや運動競技にはアクシデントや災害などは付き物であり、それに左右されるメンタルでは本来、本物の選手なのだろうかとわたしは常日頃感じていました。
自分の成績が上がらないから、得点が伸びないから、だけで『スランプ』のスパイラルに落ち込み、振り回されているなら、子供や素人と余り変わらないと言えません?
厳しいことを言う!と思いますか?
わたしの友人に絵画の画家がいます。
処が、右手で今まで描いていた処、その大切な手首を傷めたのです。
あぁ、それは致命的だ!
と多くの方は思われるでしょう。
わたしのその画家はお弟子さんがおられるほどの方です。
素人絵描きさんなどではありません。
今まで、一度も使ったことの無い自分の左手で絵画が行えないかとチャレンジし始めたのです。
右手が使えるまで通院治療だけではなく、
異例の左手絵画をです。
そして、何ヵ月も経過した時、わたしはその方の絵画風景のビデオを見ることが出来ました。
取材でインタビューのビデオのその方の声も聴けました。
わたしは嬉しくてその方にメールを英語で入れました。
そしたら、感謝のメールの返信が来ました。
その方とは2017/2018年の頃からの知り合いです。
結果は?
今では、故障した本来の右手の怪我も治り、左手も自由に動かせて、
何と両手に筆を持ち両手描きをされているのです。
何とチャレンジ精神と言うより、メンタルが強いのでしょう。
そして、コロナ禍の中においても、その方はビデオを写してきて、そのビデオを見ながら、自分のアトリエで絵画をずっとしており、その間も生徒さんとはリモートを通して指導をしています。
指導と言っても私が聴いていると、励ましです。
生徒だからと言っても人間です。
感情があります。
動物でさえ感情があると言うのに、ましてや人間を動物のように見下げたりランクを付けたり差別はしません。
わたしはそれも見届けました。
本来、わたしの尊敬する先生はアスリートと言う人格者なのでしょう。
私と先生との知り合いの始まりは、わたしの素人絵画を見て、私に先生の方から『いいね!』👦🖼️(🧔👍️🎶)をしてくれた時から始まりました。
もう、足掛け4年になります。
・アスリートはそのように信頼され、尊敬され、愛されます。
ですから、自分の人生の中でめげるどんなことが有っても、立ち直れる道を自分で見つけられるものです。
オリンピック(パラリンピックを含む)選手たちも同じです。
何があっても、必ず自分で立ち上がる生き方のヒトたちなのです。
では、このオリンピック問題の根本的な問題はどこにあるのでしょう?
・それはオリンピックの
システムに問題要素が多大にある
と言っても過言では無いでしょう。
わたしが知り得た理由を少しだけ御紹介しましょう。
・国政アップの起爆剤としての効果。
所謂、オリンピック経済効果とかイザナギ景気とか言われています。
わたしが小学生の時、やはりこのオリンピックにより、日本経済の貧しさをどんどんいろんな整備の為に向上させて景気をアップさせてくれたのです。
🚅⇒🚄
わたしはその経過を年々観てきました。
だからそれを言えるのです。
見ないで言う人もおられますが、そのヒトはそのヒトなりのバイアスがあるからでしょう。
狼を観たことが無いのに『狼』の口は耳まで裂けており、と話を『聴いただけで狼は怖いものだ』と決めつけている方みたいな話です。
ご存じでしたか?
狼の中に、飼い犬を放したら、どうなりますか?🐺🐶
①興味も無くて狼は見向きもしない。
②飼い犬にちょっかいを出して弄びタクナル野生の本能があり自分が強いんだぞと狼はアピールする。
③狼は静かに様子を見守り、やはり何もせずに去っていく。
④やがてその飼い犬と親しくなり、2匹で雪の中、楽しく遊び始める。
さて、あなたの解答は?
答えは末尾で発表しますね。
その答えがどれかを考えるとヒトのバイアスとは何なのか分かると思います。
・ヒトは知らずに自己バイアスに支配されているのです。
・オリンピック支援ボランティア。
・オリンピック委員の給料200万円。
・スポーツ業界各団体への支援金分配金。
・オリンピック大反対者とその団体。
・オリンピックをするとお金が勿体ない。無駄使いだ!
・日本嫌いのヒト、反体制派のヒト、感染症拡大を理由にオリンピック景気を潰そうとするヒト。
さまざまな考え方の為に影で人々は動いています。
⏹️健全な精神はどこに宿る?
ギリシャ・アテネから始まったマラソン(マラトン)は昔『走れメロス!』の物語から始まり
その当時は『健全な精神』が宿っていました。
所にそれから2000年も経つと誇りが埃として、あちこち溜まるように、オリンピックにも埃が溜まりました。
健全な精神はどこへやら。
選手は他者を妨害してマラソンでも足を掛けられて転ばせるのです。
今ではビデオで後から判定できます。
昔は無かったビデオ監視システムはギリシャ・アテネの頃には無かったと思います。
それだけ時代が経てば選手にも給料から国の名誉から、シガラミが出てくるのです。
ドービング問題もありました。
わたしの大好きな選手もそれで、干されました。
悲しかったです。
信頼とは紙切れなのでしょうか?
麻薬を使っても芸術か、と言う議論が昔ありましたが、この問題には今も二派います。
芸術は純粋であるべき、と言う意見と、
何をしてもそれも芸術だとする意見の人とがいて、何百年してもその問題に決着も付けられないのです。
これが人間が抱えるシステムの上の問題の数々です。
皆さん、こうした話って頭が痛くなりませんか?
何だかバカらしいです。
馬と鹿が並んで来るとそうなるのでしょうか?
上に掲げたシステムの諸要素を捉えない限り、トカゲの尻尾を捕まえてお話していても拉致がありませんよね。
得するワンポイント。
因みに余談ですがこの『拉致が』と言うことばの文字を良く見ると、
『拉致監禁』からことばの由来が来ているそうですよ。
それで、地方のことばに変えると『拉致アカン』と成ります。
それは、『拉致は駄目』と言う意味になります。
オリンピック問題も良いですが、一番大切なのは日夜、陰日向無く毎日、自己鍛練、訓練の継続をしておられる選手やアスリートの方々に敬意をわたしは払いたいと思います。
彼等の心は利得よりも頭にあるのは、スポーツ大好きであることしか眼中に無いところにその彼等の喜びが存在していることを見詰めてあげましょう!
そこには打算、計算などの『算』よりは、自己実現、全うすることに心の着眼点が絞られているのです。
©️Shanxi394Japan.26 December 2020.
#オリンピックを想う。
お断り。写真はこの本文とは無関係の場合があります。
悪しからず。
最後の質問の答え/
野生の狼のいる雪原に飼い犬を放ったらどうなるのか?
の答えは④番でした。
それを裏付けるビデオが投稿されており、最初、犬の飼い主が偶然、野生の狼に遭遇し呆然としていました。本物の狼です。
すると飼い犬が狼に近づいて行き、飼い主は黙って事の成り行きを観ていました。
それから、狼の方も飼い犬に近づいて、所謂犬系同士の鼻の挨拶です。
その後、狼は飼い犬とじゃれ合って遊びだしたのです。
そこで主人はビデオを廻し始めたのです。
その出来事を友達に話し、ビデオ投稿したら瞬く間にファンが付いて、『わたしも見たい』と言うビデオマニアも現れて、雪原には多数の人集りが出来ました。
ルールを決めて狼との至近距離をかなり離すこと、近づきすぎないことを決めて、ギャラリーの中、再び飼い犬を放すと野生の狼と同じく戯れ始めたのです。
それにより、狼と犬のフレンドリー動画が出されました。
『一定の至近距離』とは自然界のルールです。
野生動物に近づき過ぎた人間には多くの禍と問題の数々が現れていると動物専門家、保護団体は述べています。
熊や狼は獰猛で危険だと言う理解も実は自然界のことを本当は良く知らない人間中心の見方のバイアスの為に、実は獰猛なのは野生動物の方では無く『人間』の方にあり、警告しています。
野生動物を(日本では出来ませんが)、小さい赤ちゃんの頃から世話して愛情を注げば、野生であっても『熊とお友達』のビデオもあるくらいです。
人間中心思考のバイアスをもう一度見直す時期なのかも知れませんね。
外れた方、ごめんなさい。
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