イメージ(制作意図:何を望むのか)
「意図するイメージ・浮かぶイメージ・沸き上がるイメージ」
イメージ力のない人は、思いやりにかける。 将来のビジョンやそれまでの経験を具体的にイメージできないと空しくなる。 イメージ力は、誰でもどこででも磨ける。 紙とペンさえあれば、漠然とした頭の中のイメージを描きながら具体的にしていける。
楽しむことは、本質にたどり着く。 本質を意識したり、気づいたりするだけで、脳が喜び生き返る。 絵を描くとき、ものやもの事を思い込みや観念でとらえている人と 本質でとらえる訓練をしている人とでは 描く線に違いがでる。
初めて訪れたはずなのに その土地の薫りに郷愁を覚えたり、初めてあった人に親しみを感じたりする。 それが浮かび上がる潜在意識。 「自信」それもまた潜在意識が起こす現象。 自信は潜在する。
アイデアが先ではない。 まずは、強い思いがあって大切なことに気づき、 掘り当てた情報の新鮮な組み合わせで 不快が快に変わる新しい価値を生み出す。 強い思いが、ビジョンに変わり創造となる。 だから、誰かを思うことからすべては動き出す。
やりたいことと違う。 空しい。子どもが泣く。犬が吠える。問題が起こる。 困ったことを解決しようとする前になぜそうなったのかを考える。 その思いを理解すれば必要なことが見えてくる。 まずは自分のできることから始める。 続けていると意図する筋道が繋がってきて 解決の糸口が見えてくる。
アトリエは自宅アパートの狭いキッチン。 しかもスーツ姿で描いていた庶民派サラリーマン画家マグリット。 キッチンの窓から見える風景やテーブルの上の果物などどこにでもある身近なものから想像を膨らませ世界中を驚かせる新鮮な絵を描いていた。
思い出す音 「太陽がみえる!きて、ママ。…きれいだなあ〜」とかわいい声が聞こえた。 言葉も心地よい音のように曲のように聞こえる時がある。
線一本描くにしても集中力とイメージが大切。 クロッキー力は、書道や華道、茶道,料理、スポーツ、音楽など様々なことに繋がっていく。 上達させるには描く枚数も大切ですが、 やはり何を意識して描くかで随分と成長の仕方に違いがでてくる。
音楽を聞いたり奏でたり、絵を観たり描いたり、詩を読み解いたり楽しんだりする時間やお金を無駄と思う方がいるが、 人は文化的ことから本当に満足するもの、望んでいることを手に入れている。 厳しい状況でも日常や将来に文化的なビジョンをもつ生活は心が満たされる。
今さらながら、科学と共に野生の思考を獲得することが 今、必要と気づきはじめているが、 呪術的神秘的なことと分けた、哲学や学問として捉えると複雑になっちゃう。 ので、子供と向き合い寄り添うこと、自然に触れ、動物と戯れることで 開放され、心地よく気づいていることを信じればいい。
役に立たないものはない。新鮮な視点をもつことで新しい価値が生まれる。 誰からも気にされていなかった物も人も事も 意外な組み合わせで新鮮に生まれ変わる。
知らないものには共感できない。 見慣れたものでもこれまでになかった視点と組合せでまったく新しいものになる。 視点の新鮮さがすべてを劇的に変える。 画家マグリットはみんなが知っているもの、身近なものの新鮮な組み合わせで世界を驚かせた。
物と同じように考え方や知識も劣化していく それまでの知識やスキルで備えても状況の違いや変化に 適応していかなければ役に立たなくなる。 新しい情報や視点を組み合わせていくことで活きていく。 水がよどむと濁ってしまう。 清流のように穏やかに流れ続けることで 新鮮で安全な水が得られる。
雨も風情に変える日本人。西洋の画家を驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。日本では当たり前の不快を快に変えてしまう情緒文化は先人が気づかせてくれた。気がついていない画期的、革命的なことがまだある。
ぼーとしなさい。忙しく働いている時よりもぼーとしている時の方が数倍も速い速度で頭が動いているらしい。ゆったりとした時間が多かった日に有意義な夢を見ることがある。意識している以上に情報が整理され、解決の糸口まで見つかっている。
モノクロでも色を感じることができる。 世界的な映画監督の黒澤明は、モノクロ映画の撮影時にもセットの配色にこだわっていたから白と黒の幅があり、色の奥行きを感じる。 彼は絵画、特にゴッホが好きで、映画の絵コンテを絵画のように描いていた。
若冲の「群鶏図」にみられるような驚異的な細密描写と、オディロン・ルドンの顕微鏡で覗き見るような絵の世界観には共通点がある。いづれも表面的な写し描く作業ではなく、追及による洞察と具体的なイメージ力でリアルな仮想世界にまで到達している。
知識量やスキルなんて他より劣っていてもいい。 今の自分を十分に見直して、新鮮な視点で使いこなしていけば 他にはマネができない独創的なものに成長する。
見えないものが見えるようになる。若冲の「群鶏図」にみられるような驚異的な細密描写と、オディロン・ルドンの顕微鏡で覗き見るような絵の世界観には共通点がある。いずれも表面的な写実描写に留まらず、リアルな仮想世界にまで到達して描いている。
気づきが増えてくるほどに 人に対しても物事にも丁寧に接するようになり、時間も大切にしていく。 ぼ~っとしている時は、考えないで感じている。 何でもよく観たり感じたりするようにして 五感を磨く習慣がついていくと感動することが増える。 それは日常の中の奇跡に気がついているということ。
「話せばわかる。」は、その通り。だが、論破することではなく、お互いの話を聞き合って、双方に視点が変わる意識がないと解決しない。論破するための教育ではなく、共生の意識を持てる教育で人は成長できる。知識よりも良識を持つ教育に未来がある。
絵を描いたり、ものを造ったりしているときの充実感は 子供の頃、時を忘れてずっと遊んでいた時間に似ている。 思考(イメージ)と行動の繰り返しが人を成長させ、 充実させていく。 楽しいから集中し、思考量が増えて具体的な行動に移れる。 本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられる。
無駄に悩む必要はない。 ”悩む”と”考える”は違う。 漠然と悩むよりは、必要な情報を集め選択し視点を持って思考していく。 思い込みを取り外し問題点を発見し、具体的に解決していく時間が大切。 その方が判断も速く、積極的に行動できる。
自分の視点が変わることで世界の見え方が変わる。アートに触れることで、日常を非日常に変えるのではなく、あまりにも日常的で普通のこととして見過ごしていることに気づいたり、見つけたりして、結果的に今までの日常が変わる。
アートに触れることで日常を非日常に変えるのではなく あまりにも日常的で普通のこととして見過ごしていることに視点を向けたり 気づいたりすることで考え方や意識が変わる。 アートに触れることで五感が機能して、結果的に今までの日常が変わる。
世の中に動画というものがない時代に動画的な視点で描いていた絵描きがいた。若冲、 宗達、広重…、そして北斎。 日本の絵師は瞬間を捉えるのではなく、連続性や構図で時間の流れを捉える”映像”を描いていた。
何者にもこびないで生きている聡明で 文化レベルの高い人たちがたくさんいる。 中央やトップにいると思い込んでいる人ほど そのことに気づいていない。 田舎や自然、現場で生きる人たちの中に入り、 現実を直視することで、それが分かる。
月の引力の影響が海や人の血流までにおよぶことや 地球の自転で水の流れが変わったり、 宇宙に存在する(可視できないものも)すべてがねじれていたりと 素直に考えると存在するそれぞれが宇宙の構造を持っていると感じる。 夜空や青空だけではなく 人の意識や感情にも宇宙を感じて面白い。
気づきも発見も興味をもつことから始まるが、その対象への愛情の深さの違いで見えてくるものも変わってくるのだろう。
胎児は産道を最も効率よく生まれでるための 理想的なかたちへと成長し 宇宙と同じ動きであるスパイラル(ねじれ)を描きながら生まれ出てくる。 その後の成長は 生きるために違った理想へと向かう。 生きていくための理想のかたちは、変貌していく。 成人までが成長ではない、 老いもまた成長。
創造力と免疫力。 体温が上がることで免疫力も高まる。難問を解いている時や解決に向かって工夫している時は集中しながらも気が高まっている実感がある。作家に年齢を感じさせない活力を感じるのは創造意欲や向上心で、免疫力が高まっているのかも。
未来は、きっと良くなると信じること。 明日が来てくれる奇跡。 自分次第で、奇跡を何度も見られる。
相手に依存するほど 怒りや憎しみが増し落ち着かない。 最初から見返りではなく 与えるつもりで寄り添っている人が多いいほど 心が穏やかでいられる。
芸術を愛するフランス人の働くこと、トラバーユ【travail:仏】は 痛み、労苦、苦悩を意味する。 フランス人の社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースは日本人の仕事に対する考え方、特に地方の民芸、職人の創造性のある仕事に興味を持ち 日本の仕事をtravailと訳せないと言った。
生意気なぐらいがいい。 与えられたもの、知識やスキル、教えは有り難く、ありがとうと感謝していただく。 与えられたものは消えやすく答えではなく、きっかけにすぎない。 自分で気づき考え、やれることから行動しなければ意味を持たない。 それぞれ、未来も答えも自分で創造するもの。
意図 どんなに位の高い人でも茶室にお辞儀をして入るように「躙り口」を考えた。 お茶を飲み比べて楽しんでいただけの文化を「身分を超えて、おいしいお茶を飲んでもらいたい。」そのためにどうしたらいいのかを考えた千利休は茶道をデザインした。
「どんな友達が欲しい?」 と小学生の息子から聞かれ「仕事で知り合った人と仲良く出来るといいかな〜」と答えると「僕は、自然と仲良くなりたい。風とか海とか。」とスケールのでかいことを言われ 自分の返答に後悔。子どもとの会話は油断禁物。
表現って素晴らしい。 小学生の息子は、トイレにいきたくなると 「お便りが届いている。」といいながら走っていき、 漏れそうなときは「ポストがあふれそうだ。」と言って走っていく。
不満に思ってしまう相手にほど依存している自分がいる。 人のやることには限度があり78%が上限で100%になることはない。 できなかった28%は次回にトライしていけばいい。 誰だって人に迷惑をかけてしまうし自分だけで背負わずに誰かに頼ることも必要。 だから、相手を許す気持ちが大切。
できるようになると、できなかった頃の気持ちが分からなくなる。 できていないことは意識するが、できていることには意識しなくなる。 できていることを意識したほうが、今の自分を活かせる。 いつでも主人公であれ!
日本人は、不快を快に転じることのできる文化を持っている。 西洋の画家たちを驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。 当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。今、当たり前のものとしてみている、感じていることは先人が気づかせてくれた。
それまでの西洋画家が描いてきた写実(リアリズム)絵画と 全く違う思考だったマグリットが、絵に描いたのは 「言葉では語れない詩」
たまに思い出して気持ちが新鮮になる言葉 「私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである」 by アインシュタイン
やさしくて強くて潔くて、記憶に残っている言葉 「花は咲くときを知っているのよ。」
西洋は脳を刺激し成長させていく論理思考文化を追及した。 ルネサンス以降は特に写実が栄え、現実をいかに正確に写し伝えるかが研究された。 日本では脳を休める情緒思考文化が栄えた。江戸期に見られるような日常の風情に感動して癒される浮世絵。
「何を知っているのか」 「何を知らないのか」 「何を知らなければならないのか」 思い込みに惑わされないように よく観ることからはじめて 本当のこととは何かを考え続ける。
世界で初めて、降る雨を線で描いて可視化した広重。 世の中に動画というものがない時代に動画的な視点で描いていた絵描きがいた。 宗達、広重、北斎、若冲… 日本の絵師たちは、瞬間を捉えるのではなく時間の流れを捉える映像を描いていた。
成長を続けることも止めることも自分次第。 文化に触れることで 見過ごしてしまいがちな毎日の奇跡を感じとることができる。 年齢を重ねていくことで 次々に体験したことの無い喜び、嬉しさをみつけられる。 無事に年を重ね、日常を普通に過ごせていることが奇跡。 些細な成長でも奇跡と気づく。
「どんな表現をしたいですか?」 という問いに対して 「写真、絵画、映画、彫刻…がしたい。」など、モチベーションではなく限定された創作手段を答えてしまう。 「どんなことがしたいですか?」と質問をかえると 「冒険、開発、旅、人助け、物語、教育…」それこそ表現の活躍の場。
これまで 今いるA地点からB地点をめざし、「効率」を第一に考えて、 B地点という正解に速くたどり着くことが求められてきた。 これからは 今いるA地点から、先に見えているB地点をめざすのではなく、 まだ存在しないB地点を創造するための思考力が求められていく。 「効率」よりも「想い」
帰宅をすると 「おかえりなさい。お仕事の匂いがする」と玄関まで迎えてくれて 「おやすみなさい」と寝る前に声をかけてくれて いつも疲れを癒してくれる息子。 「お便りがきた」とトイレに駆け込み 「大自然と友達になりたい」と話してくれていた息子が中学に入学。 嬉しいことはあっという間。
地球上のすべてのものが魂を持つという考え。 日本人はロボットや道具を相棒、友だちと考える。 「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」 この仏教思想がロボットや二次元キャラクター達に命を吹き込んでいる。 草も木も土や風に至るまで地球上のありとあらゆるものに仏が宿る。
ぼ~とイメージするだけでも創造性は磨かれる。 穴を掘るだけでも可視化される創作は更に心が満たされていく。 誰かの気持ちを開放できたり、心を元気にできたりすれば ひとしおいい。そんな時間を無駄だと思い込まないこと。
胎児は、お腹の中ではえら呼吸をしている。 生命の始まりである海と同じ成分(ミネラル)を含む羊水の中で泳ぐように 生物の進化を経て 生まれた瞬間から肺呼吸になる。 本能は進化の過程の記憶であり 成長の中で新たに学んでいる思考も 覚醒ではなく思い出しを繰り返していると考えると面白い。
NOではなく、YESと答えると人生が好転していく。 同じ状況で似たような経験をしても ある人は疲労し、ある人はリフレッシュしている。 同じ環境でもすべての人が同じ時間を過ごしているわけではない。 出来事をYESと受けとめて自分を成長させていく努力をしていくと 問題が解決していく。
所有しやすいサイズに描かれた『モナリザ』 この絵だけは何度も加筆し執着していた。解剖学によりイメージだけで人を描くスキルがあった。貧しい農村での幼少期の思い出。中国人奴隷だった母親の暖かくも侘しい表情。ダ・ヴィンチにとって最も大切な面影だから、一生大切に持ち歩いていたのだと思う。
考え事は絵を描きながらがいい。 絵を描くと頭がクリアーになる。 頭の中のイメージを実際に紙面に描き、 視覚で確認していった方がイメージを具体化できる。 発想も具体的に展開していきやすくなるので 理想の現実に近付けていくことができる。
⑤エスキース(効率:計画性レベルの高さ)
「イメージを具現化する・思い描く理想を実現するための構想」
絵に描くと心が折れにくくなる。 サムネイルやアイデアスケッチは漠然とした「夢」を具現化するというより、 内なる欲求を吐き出す作業といえる。 目的やアイデアが視覚化されると積極的に行動できる。
ポテンシャルの高い人は、不安な点や分からないことは悩む前にすぐ調べて、集めた情報で洞察し予測し行動計画を設計する。後は迷わず問題を解決するための工夫を繰り返す。余計な心配や悩んでいる時間が少なく、目的に前向きな明快な生き方。
よく観てなくて、思い込みで判断していたことに 気づいた時にはすぐに見直す。 その想いが変わらないで、その強さが増していくことは 何度でも掘り下げて考え続けていく。 本当のことはごまかせないけどすぐには分からない。 考え続けるしかない。
”絵画や小説など芸術の手法は「異なった日付のさまざまな出来事や小さな事件を現在という時間のなかに呼び出し混合する」” by レヴィ ストロース ピカソだけが理解し評価していた画家アンリ・ルソーの植物園でのスケッチと動物写真集と知人の旅行記のブリコラージュで描いていた絵を思い出す。
パリの画家アンリ・ルソー 異国のジャングルや森の中を描いていることからナポレオン4世のアフリカ遠征に同行したなどとうわさされていたが実際には近所の植物園でのスケッチとお気に入りの動物写真集と旅行をしてきた知人の話を参考に描いていた。
未発表作品 目が覚めた後に夢の続きをみれないように 一瞬のひらめきは、見える化しておかないと その夢の意図を知ることはない。 ひらめきを写真に残すことはできないが 絵に描くことはできる。 頭の中の出来事は絵に描くしかない。
妻と子育て、家事をして共に働いているので、妻の行きたいところへ旅行にでも 連れて行きたいが、なかなかできない。 近場の散歩かドライブしかできないくても喜んでいる妻を見ると申し訳ない気持ちになる。 だけど、一緒に将来の計画を立てながら毎日、旅行していると思うと それはそれで楽しい。
「どうしよう」と漠然と考えると不安になる。 「どうしていこう」と具体的に計画すると楽しくなってくる。 同じ状況でもちょっとした捉え方、考え方の違いで、 未来に不安を感じるのか、希望を感じるかに分かれていく。
創造のコツは、それがどこから得たものかわからないようにすること。 個性とは、選択して構築してきた情報の違い。 独創性とは、心揺さぶられたこと、欲求、興味で選んで記憶している情報素材を新鮮な気持ちになれる組み合わせで再構成されること。
親が子供に望むことと子供本人が望むことは違う。 自分の思い込みと相手が思っていることとは違う。 相手をよく観て、相手を想う気持ちが 自分を生かすことになる。 独りでは生きていけない。 人はコミュニケーションを必要とする生き物だから 他人の反応よりは、自分がどう反応できるかが大切。
分かりやすく、普通に見えることほど凄い。 複雑で、分かりにくく感じるものは 芯、軸、骨格、システム、本質を見抜いて、シンプルに捉えればいい。
劣等感を感じたら何も考えないですぐにぼ~とする。 一度寝た後、自分のいいところを思い出して見直す。 劣等感を感じると空しくて悔しくて、辛いものですが、 そんな対象が具体的に存在しているほど 競って無理して乗り越える必要はなく、 自分にできることをよく見直してみる機会にすればいい。
面倒で無駄なものに思えていたことが 自分の成長に繋がっていくことを実感した人は 面倒や壁にぶつかるときこそ「チャンス!」と感じるようになる。 むしろ、面倒に感じなくなってきたこと、時ほど停滞している。 好き、楽しいと感じることもよく考えれば 手間をかけ工夫を繰り返す面倒なこと。
つい考えてしまう。休みたいのにやり残していることを考えて 過ぎたことまで思い出して、脳の回路が開きっぱなしで疲労していく。 寒い、きつい、眠い…、実は不快な思いをしている時に 脳を休めている。 不快なことを我慢している間は無心になっている。 そんな捉え方で過酷な状況を乗り越える。
人の心を揺さぶる音楽や言葉は、大切な人と過ごしている時間や自然の中を散歩しているような効力がある。 一瞬で人の心を変えてしまう絵の威力も運命の人と出会ったように凄い。
数十年前からずっと続いていること。 時たま思い出しそうになることが とても大切なことだということは分かるが どうしても思い出せない。 数十年前からずっと続いている。 全く異なる経験が少しづつ整理されてきて 接点が観えてきて繋がってくる。 そんな時、大切なことを思い出しそうになる。
ぼ~っとしている時は、考えないで感じている。 何でもよく観たり感じたりするようにして 五感を磨く習慣がついていくと感動することが増える。 それは日常の中の奇跡に気がついているということ。 気づきが増えると人も物事も時間も大切にする。
誰かからすり込まれた知識や技術よりも 自身の先見の明やリサーチ力、分析力の差で 成果や精度、クオリティーの違いが出てくる。 そんな思考力を駆り立てていくのが 誰かへの想いだったり、思いやりだったり、 突き動かす衝動だったり、持ち続けている執着心だったり、 欲求の深さだったりする。
紙と鉛筆、手帳とペンさえあれば、いつでもどこでもイメージする無限の世界を可視化できる。 「僕らの仕事は技術的なことで成り立ってるんじゃない。アイディアってやつは、鉛筆描きのスケッチからだって生み出せる。いま、僕らがもっているいろんな道具がなくたってね。」 ウォルト・ディズニー
動物のしぐさに癒されることも心が揺さぶられて、 何かを好きになってしまう理由もなぜ出会うのかも解らない。 その答えも、自然の構造の中にあるのかもしれない。 意識も感情も宇宙の構造と同じ。
先の心配や行き過ぎた夢を持つと 無駄に悩むことになるから、今できることから着実にやることが 自信になる。 大きな夢を持って、一歩一歩、 少しでも前進することを毎日続ける。 自分らしく生きる。
ゲゲゲの鬼太郎は、リーダーシップを発揮している。 鬼太郎は妖怪から人間を守っているのではなく、身勝手な開発や自然破壊を続ける人間と風習や自然を守り伝承しようとする妖怪との間(文明と文化、開発と伝承)に立って最善の解決策を考えている。
人を想うことから始めるといい。 争い事は双方に正義があるので、善悪で判断している限りなくならない。 ルールも協定している関係でしか成立しない。 要は 協働か闘争かの選択になる。 協働していくためには相手を理解し双方の意見から最善策を導き出せる 創造性が必要となる。 創造は、想い。
視点を変えると世の中が新鮮にみえてくる。 名称で物事を決めつけないこと。 例えば『テーブル』は、平らな板に三、四本の足が付いている物体。 テーブルを初めてみる人にとっては、 ベッドになるし、 腰掛けられるし、 日よけにもなる。 横に倒せば壁にもなる。
必要なだけがいい、余ったものはお裾分け。 お金や物を新たに増やし続けていくことではなく 今、そこにあること、持っているもので上等。 有り合わせの料理のように工夫して 組み合わせ(ブリコラージュbricoleur)ながら 人も物も場も何度でも新鮮な心で 繰り返し活かしていく豊かさ。
役に立たないものはない。意外な組み合わせで誰からも気にされていなかった”もの”も”人”も新鮮に生まれ変わる。新鮮な視点をもつことで新しい価値が生まれる。
⑥アピール(個性:やりたいことを素直に表現できているのか。)
「自分の原点を再認識する・他者に物事を伝える力」
大半の日本人が絵を描けないと思い込んでいる。 才能が埋もれている。 絵を描くことに苦手意識があったり、美術が嫌いになったりするのは 日本の美術教育の影響。 世界の中でも日本人は絵が描ける環境にいることに気がついていない。 日本人は日常的に良質なクオリティ画像に囲まれて育っている。
写実絵画 見えている表層だけを写しているのではなく 見えない情報(声や音、におい、味、感触、歴史的背景、思想など)も 五感で捉えて描かれている。
絵は五感を使って描く。 対象をただ写し描くことが写実ではない。 光の入り方、その時間帯、季節感など対象物を取り巻く(多角的)世界をどれだけ広く感じさせることができているかが重要。その視野の広さで伝わるリアリティが違ってくる。
行動も絵も文章も一緒で 想いを伝える意識がないと相手に響かない。 線や色を言葉に置き換えて絵を描くように文章を考えるようになった。 最初は言葉のリズムや構成の美しさや心地よさを意識していたが、 絵を描くことと一緒で伝えることを大切にし始めてから 想いを表現しやすくなった。
成功ばかりを主張する人を信じない。 「わからない」「間違うこと」は恥ではない。 自身への評価より、いつでも周りが動きやすくなることを考えて 仲間と共に失敗を繰り返しながらも 強い想いで行動している人は賢い。 尊敬できる。 そんな人が仲間からの信頼を得る。
誠意が伝わればいい。 できることをやるだけ。 相手の反応を気にする前に 自分が、相手に反応できることが大切。
ハート型が装飾されている江戸時代の絵師 伊藤若冲の「老松白鳳図」は、 様々な心にヒットする。
面倒が起らないように、先に気づいて面倒くさいことをやっておくことと 面倒が起きてから面倒くさいことをやらされることとは違う。 積極的な「面倒くさい」は「やりがい」に代わる。 積極的に動いたことだけ身につき、いずれ自分を救ってくれる。
3代続く絵描き一家。アンドリュー・ワイエス 、息子のジェイムズ・ワイエス、父親のNC.ワイエスといった画家親子。アンドリューが最も有名で下絵となる水彩スケッチも自立した作品として売買されている。ポイントを捉えたスケッチが参考になる。
不快な雨も風情にし、快に変える日本人。脳を休める情緒思考文化を代表する浮世絵師 広重の雨の表現。当時、線で雨を視覚化する発想はなかった西洋を驚かせた。今、当たり前のものとしてみている、気がついていない画期的、革命的なことがまだある。
雨も風情に変える日本人。西洋の画家を驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。今、当たり前のものとしてみている、感じていることは先人が気づかせてくれた。気がついていない画期的、革命的なことがまだある。
江戸時代はプチ氷河期だった。 現代のような暖房設備もない中、今では考えられない薄着で過ごしていた。 極寒の中、粋に生きていた。 不快に感じてしまうことが、実は自分を守ってくれている。 そんな不快を風情にして、快に転じる価値転換文化を 日本人は、長い時間と手間をかけてつくってきた。
プレゼンテーションに苦手意識を持つ人が多い。 相手に喜んでもらえるために心を込めたプレゼントを贈る気持ちになればいい。 思いが伝われば下手でも相手は喜ぶ。 プレゼンテーションは、プレゼントを送るようなもの。 そう考えれば楽しくてワクワクする。 ワクワクすればプレゼンは上手くいく。
鮮烈な色彩で絵を描いた画家オディロン・ルドンは若い頃、印象派の画家たちの色彩表現に惹かれながらも、あえてモノクロの版画を制作し、想像力を磨いた。 ルドンが色を使い出したのは、50歳を過ぎてからである。
意外な人が、守ってくれたりする。 意外なところで、味方だったりする。 自分の思い込みが、一番の敵だったりする。
知識で武装して身を守ろうと考えている人は過去に生きている。否定されようがバカにされようが、自分の直観を信じて捨て身で生きている人は未来に向かっている。
思い出す大切な言葉。 「型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。」 「型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか?」 立川談志
日本文学も俳句もビジュアル的な言語。 生け花も茶道もビジュアル的な文化。 日本の文化は映像文化。 日本人はクオリティーの高いビジュアルに囲まれて育ってきた。 ビジュアルを巧みに操る民族。そのDNAをもっと教育や仕事に活用できる。
落款が押されていない絵 『風神雷神図』 何を手に入れたかより、どれだけ与えられたかでその価値がみえてくる。 時代を超えて支持されている作品は、その表面的な美しさや技巧だけではなく むしろ作者の思いが、観る人の心に響いているといえる。
歌舞伎もオペラも伝統文化を五感を使って伝承していくシステムの一つ。中世西洋の教会も布教のためのシステムとして捉えると天を見上げさせるための天井画やステンドグラスのように五感を使って教えを認識させるための伝達技術を駆使した建造物。
新しいって感じるものほど脳の隅っこに隠れていたもので 古いな~って感じるものほど未来がある。
できないことが、伸びしろ。 何かができたら、褒める。 できていなくても伸びしろが分かったから、それも良し。 できることが今の実力、伸びしろが将来の可能性。
脳を休める情緒思考文化である日本の絵巻物、浮世絵、漫画・アニメのルーツといえる『鳥獣人物戯画絵巻』。 平安時代後期から鎌倉時代までの800年間をかけて、無名の僧侶たちによって庶民の日常生活が、擬人化された動物キャラクターで描かれた。
西洋は『人が自然までも支配する』、現実を科学的な目で捉えて研究し解明してきた論理的思考文化の歴史。 日本は『自然の一部として共生する』、人として生き物として最善のかたち、考え方を模索してきた情緒的思考文化の歴史
大人としても夫婦、家族としても決められた形があるわけではないので、自分たちのスタイルをつくっていけばそれでいいと思う。
平安貴族と鎌倉武士の違いが、その時代の彫刻の表情にも表れている。 どの時代も人の考え、思いを伝えている。 顔の表情があまりないギリシャ彫刻 これは古代ギリシャ人の『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくもの。
日本や東洋的な考え方が、西洋に影響したことも多々ある。日本の寺社の庭園などの円や曲線は人間の心の中の宇宙を表現している「一円相」「円相図」と呼ばれている 。実は西洋で生まれたアールヌーボーなどはここから影響されている。
「意図するイメージ・浮かぶイメージ・沸き上がるイメージ」
イメージ力のない人は、思いやりにかける。 将来のビジョンやそれまでの経験を具体的にイメージできないと空しくなる。 イメージ力は、誰でもどこででも磨ける。 紙とペンさえあれば、漠然とした頭の中のイメージを描きながら具体的にしていける。
楽しむことは、本質にたどり着く。 本質を意識したり、気づいたりするだけで、脳が喜び生き返る。 絵を描くとき、ものやもの事を思い込みや観念でとらえている人と 本質でとらえる訓練をしている人とでは 描く線に違いがでる。
初めて訪れたはずなのに その土地の薫りに郷愁を覚えたり、初めてあった人に親しみを感じたりする。 それが浮かび上がる潜在意識。 「自信」それもまた潜在意識が起こす現象。 自信は潜在する。
アイデアが先ではない。 まずは、強い思いがあって大切なことに気づき、 掘り当てた情報の新鮮な組み合わせで 不快が快に変わる新しい価値を生み出す。 強い思いが、ビジョンに変わり創造となる。 だから、誰かを思うことからすべては動き出す。
やりたいことと違う。 空しい。子どもが泣く。犬が吠える。問題が起こる。 困ったことを解決しようとする前になぜそうなったのかを考える。 その思いを理解すれば必要なことが見えてくる。 まずは自分のできることから始める。 続けていると意図する筋道が繋がってきて 解決の糸口が見えてくる。
アトリエは自宅アパートの狭いキッチン。 しかもスーツ姿で描いていた庶民派サラリーマン画家マグリット。 キッチンの窓から見える風景やテーブルの上の果物などどこにでもある身近なものから想像を膨らませ世界中を驚かせる新鮮な絵を描いていた。
思い出す音 「太陽がみえる!きて、ママ。…きれいだなあ〜」とかわいい声が聞こえた。 言葉も心地よい音のように曲のように聞こえる時がある。
線一本描くにしても集中力とイメージが大切。 クロッキー力は、書道や華道、茶道,料理、スポーツ、音楽など様々なことに繋がっていく。 上達させるには描く枚数も大切ですが、 やはり何を意識して描くかで随分と成長の仕方に違いがでてくる。
音楽を聞いたり奏でたり、絵を観たり描いたり、詩を読み解いたり楽しんだりする時間やお金を無駄と思う方がいるが、 人は文化的ことから本当に満足するもの、望んでいることを手に入れている。 厳しい状況でも日常や将来に文化的なビジョンをもつ生活は心が満たされる。
今さらながら、科学と共に野生の思考を獲得することが 今、必要と気づきはじめているが、 呪術的神秘的なことと分けた、哲学や学問として捉えると複雑になっちゃう。 ので、子供と向き合い寄り添うこと、自然に触れ、動物と戯れることで 開放され、心地よく気づいていることを信じればいい。
役に立たないものはない。新鮮な視点をもつことで新しい価値が生まれる。 誰からも気にされていなかった物も人も事も 意外な組み合わせで新鮮に生まれ変わる。
知らないものには共感できない。 見慣れたものでもこれまでになかった視点と組合せでまったく新しいものになる。 視点の新鮮さがすべてを劇的に変える。 画家マグリットはみんなが知っているもの、身近なものの新鮮な組み合わせで世界を驚かせた。
物と同じように考え方や知識も劣化していく それまでの知識やスキルで備えても状況の違いや変化に 適応していかなければ役に立たなくなる。 新しい情報や視点を組み合わせていくことで活きていく。 水がよどむと濁ってしまう。 清流のように穏やかに流れ続けることで 新鮮で安全な水が得られる。
雨も風情に変える日本人。西洋の画家を驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。日本では当たり前の不快を快に変えてしまう情緒文化は先人が気づかせてくれた。気がついていない画期的、革命的なことがまだある。
ぼーとしなさい。忙しく働いている時よりもぼーとしている時の方が数倍も速い速度で頭が動いているらしい。ゆったりとした時間が多かった日に有意義な夢を見ることがある。意識している以上に情報が整理され、解決の糸口まで見つかっている。
モノクロでも色を感じることができる。 世界的な映画監督の黒澤明は、モノクロ映画の撮影時にもセットの配色にこだわっていたから白と黒の幅があり、色の奥行きを感じる。 彼は絵画、特にゴッホが好きで、映画の絵コンテを絵画のように描いていた。
若冲の「群鶏図」にみられるような驚異的な細密描写と、オディロン・ルドンの顕微鏡で覗き見るような絵の世界観には共通点がある。いづれも表面的な写し描く作業ではなく、追及による洞察と具体的なイメージ力でリアルな仮想世界にまで到達している。
知識量やスキルなんて他より劣っていてもいい。 今の自分を十分に見直して、新鮮な視点で使いこなしていけば 他にはマネができない独創的なものに成長する。
見えないものが見えるようになる。若冲の「群鶏図」にみられるような驚異的な細密描写と、オディロン・ルドンの顕微鏡で覗き見るような絵の世界観には共通点がある。いずれも表面的な写実描写に留まらず、リアルな仮想世界にまで到達して描いている。
気づきが増えてくるほどに 人に対しても物事にも丁寧に接するようになり、時間も大切にしていく。 ぼ~っとしている時は、考えないで感じている。 何でもよく観たり感じたりするようにして 五感を磨く習慣がついていくと感動することが増える。 それは日常の中の奇跡に気がついているということ。
「話せばわかる。」は、その通り。だが、論破することではなく、お互いの話を聞き合って、双方に視点が変わる意識がないと解決しない。論破するための教育ではなく、共生の意識を持てる教育で人は成長できる。知識よりも良識を持つ教育に未来がある。
絵を描いたり、ものを造ったりしているときの充実感は 子供の頃、時を忘れてずっと遊んでいた時間に似ている。 思考(イメージ)と行動の繰り返しが人を成長させ、 充実させていく。 楽しいから集中し、思考量が増えて具体的な行動に移れる。 本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられる。
無駄に悩む必要はない。 ”悩む”と”考える”は違う。 漠然と悩むよりは、必要な情報を集め選択し視点を持って思考していく。 思い込みを取り外し問題点を発見し、具体的に解決していく時間が大切。 その方が判断も速く、積極的に行動できる。
自分の視点が変わることで世界の見え方が変わる。アートに触れることで、日常を非日常に変えるのではなく、あまりにも日常的で普通のこととして見過ごしていることに気づいたり、見つけたりして、結果的に今までの日常が変わる。
アートに触れることで日常を非日常に変えるのではなく あまりにも日常的で普通のこととして見過ごしていることに視点を向けたり 気づいたりすることで考え方や意識が変わる。 アートに触れることで五感が機能して、結果的に今までの日常が変わる。
世の中に動画というものがない時代に動画的な視点で描いていた絵描きがいた。若冲、 宗達、広重…、そして北斎。 日本の絵師は瞬間を捉えるのではなく、連続性や構図で時間の流れを捉える”映像”を描いていた。
何者にもこびないで生きている聡明で 文化レベルの高い人たちがたくさんいる。 中央やトップにいると思い込んでいる人ほど そのことに気づいていない。 田舎や自然、現場で生きる人たちの中に入り、 現実を直視することで、それが分かる。
月の引力の影響が海や人の血流までにおよぶことや 地球の自転で水の流れが変わったり、 宇宙に存在する(可視できないものも)すべてがねじれていたりと 素直に考えると存在するそれぞれが宇宙の構造を持っていると感じる。 夜空や青空だけではなく 人の意識や感情にも宇宙を感じて面白い。
気づきも発見も興味をもつことから始まるが、その対象への愛情の深さの違いで見えてくるものも変わってくるのだろう。
胎児は産道を最も効率よく生まれでるための 理想的なかたちへと成長し 宇宙と同じ動きであるスパイラル(ねじれ)を描きながら生まれ出てくる。 その後の成長は 生きるために違った理想へと向かう。 生きていくための理想のかたちは、変貌していく。 成人までが成長ではない、 老いもまた成長。
創造力と免疫力。 体温が上がることで免疫力も高まる。難問を解いている時や解決に向かって工夫している時は集中しながらも気が高まっている実感がある。作家に年齢を感じさせない活力を感じるのは創造意欲や向上心で、免疫力が高まっているのかも。
未来は、きっと良くなると信じること。 明日が来てくれる奇跡。 自分次第で、奇跡を何度も見られる。
相手に依存するほど 怒りや憎しみが増し落ち着かない。 最初から見返りではなく 与えるつもりで寄り添っている人が多いいほど 心が穏やかでいられる。
芸術を愛するフランス人の働くこと、トラバーユ【travail:仏】は 痛み、労苦、苦悩を意味する。 フランス人の社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースは日本人の仕事に対する考え方、特に地方の民芸、職人の創造性のある仕事に興味を持ち 日本の仕事をtravailと訳せないと言った。
生意気なぐらいがいい。 与えられたもの、知識やスキル、教えは有り難く、ありがとうと感謝していただく。 与えられたものは消えやすく答えではなく、きっかけにすぎない。 自分で気づき考え、やれることから行動しなければ意味を持たない。 それぞれ、未来も答えも自分で創造するもの。
意図 どんなに位の高い人でも茶室にお辞儀をして入るように「躙り口」を考えた。 お茶を飲み比べて楽しんでいただけの文化を「身分を超えて、おいしいお茶を飲んでもらいたい。」そのためにどうしたらいいのかを考えた千利休は茶道をデザインした。
「どんな友達が欲しい?」 と小学生の息子から聞かれ「仕事で知り合った人と仲良く出来るといいかな〜」と答えると「僕は、自然と仲良くなりたい。風とか海とか。」とスケールのでかいことを言われ 自分の返答に後悔。子どもとの会話は油断禁物。
表現って素晴らしい。 小学生の息子は、トイレにいきたくなると 「お便りが届いている。」といいながら走っていき、 漏れそうなときは「ポストがあふれそうだ。」と言って走っていく。
不満に思ってしまう相手にほど依存している自分がいる。 人のやることには限度があり78%が上限で100%になることはない。 できなかった28%は次回にトライしていけばいい。 誰だって人に迷惑をかけてしまうし自分だけで背負わずに誰かに頼ることも必要。 だから、相手を許す気持ちが大切。
できるようになると、できなかった頃の気持ちが分からなくなる。 できていないことは意識するが、できていることには意識しなくなる。 できていることを意識したほうが、今の自分を活かせる。 いつでも主人公であれ!
日本人は、不快を快に転じることのできる文化を持っている。 西洋の画家たちを驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。 当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。今、当たり前のものとしてみている、感じていることは先人が気づかせてくれた。
それまでの西洋画家が描いてきた写実(リアリズム)絵画と 全く違う思考だったマグリットが、絵に描いたのは 「言葉では語れない詩」
たまに思い出して気持ちが新鮮になる言葉 「私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである」 by アインシュタイン
やさしくて強くて潔くて、記憶に残っている言葉 「花は咲くときを知っているのよ。」
西洋は脳を刺激し成長させていく論理思考文化を追及した。 ルネサンス以降は特に写実が栄え、現実をいかに正確に写し伝えるかが研究された。 日本では脳を休める情緒思考文化が栄えた。江戸期に見られるような日常の風情に感動して癒される浮世絵。
「何を知っているのか」 「何を知らないのか」 「何を知らなければならないのか」 思い込みに惑わされないように よく観ることからはじめて 本当のこととは何かを考え続ける。
世界で初めて、降る雨を線で描いて可視化した広重。 世の中に動画というものがない時代に動画的な視点で描いていた絵描きがいた。 宗達、広重、北斎、若冲… 日本の絵師たちは、瞬間を捉えるのではなく時間の流れを捉える映像を描いていた。
成長を続けることも止めることも自分次第。 文化に触れることで 見過ごしてしまいがちな毎日の奇跡を感じとることができる。 年齢を重ねていくことで 次々に体験したことの無い喜び、嬉しさをみつけられる。 無事に年を重ね、日常を普通に過ごせていることが奇跡。 些細な成長でも奇跡と気づく。
「どんな表現をしたいですか?」 という問いに対して 「写真、絵画、映画、彫刻…がしたい。」など、モチベーションではなく限定された創作手段を答えてしまう。 「どんなことがしたいですか?」と質問をかえると 「冒険、開発、旅、人助け、物語、教育…」それこそ表現の活躍の場。
これまで 今いるA地点からB地点をめざし、「効率」を第一に考えて、 B地点という正解に速くたどり着くことが求められてきた。 これからは 今いるA地点から、先に見えているB地点をめざすのではなく、 まだ存在しないB地点を創造するための思考力が求められていく。 「効率」よりも「想い」
帰宅をすると 「おかえりなさい。お仕事の匂いがする」と玄関まで迎えてくれて 「おやすみなさい」と寝る前に声をかけてくれて いつも疲れを癒してくれる息子。 「お便りがきた」とトイレに駆け込み 「大自然と友達になりたい」と話してくれていた息子が中学に入学。 嬉しいことはあっという間。
地球上のすべてのものが魂を持つという考え。 日本人はロボットや道具を相棒、友だちと考える。 「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」 この仏教思想がロボットや二次元キャラクター達に命を吹き込んでいる。 草も木も土や風に至るまで地球上のありとあらゆるものに仏が宿る。
ぼ~とイメージするだけでも創造性は磨かれる。 穴を掘るだけでも可視化される創作は更に心が満たされていく。 誰かの気持ちを開放できたり、心を元気にできたりすれば ひとしおいい。そんな時間を無駄だと思い込まないこと。
胎児は、お腹の中ではえら呼吸をしている。 生命の始まりである海と同じ成分(ミネラル)を含む羊水の中で泳ぐように 生物の進化を経て 生まれた瞬間から肺呼吸になる。 本能は進化の過程の記憶であり 成長の中で新たに学んでいる思考も 覚醒ではなく思い出しを繰り返していると考えると面白い。
NOではなく、YESと答えると人生が好転していく。 同じ状況で似たような経験をしても ある人は疲労し、ある人はリフレッシュしている。 同じ環境でもすべての人が同じ時間を過ごしているわけではない。 出来事をYESと受けとめて自分を成長させていく努力をしていくと 問題が解決していく。
所有しやすいサイズに描かれた『モナリザ』 この絵だけは何度も加筆し執着していた。解剖学によりイメージだけで人を描くスキルがあった。貧しい農村での幼少期の思い出。中国人奴隷だった母親の暖かくも侘しい表情。ダ・ヴィンチにとって最も大切な面影だから、一生大切に持ち歩いていたのだと思う。
考え事は絵を描きながらがいい。 絵を描くと頭がクリアーになる。 頭の中のイメージを実際に紙面に描き、 視覚で確認していった方がイメージを具体化できる。 発想も具体的に展開していきやすくなるので 理想の現実に近付けていくことができる。
⑤エスキース(効率:計画性レベルの高さ)
「イメージを具現化する・思い描く理想を実現するための構想」
絵に描くと心が折れにくくなる。 サムネイルやアイデアスケッチは漠然とした「夢」を具現化するというより、 内なる欲求を吐き出す作業といえる。 目的やアイデアが視覚化されると積極的に行動できる。
ポテンシャルの高い人は、不安な点や分からないことは悩む前にすぐ調べて、集めた情報で洞察し予測し行動計画を設計する。後は迷わず問題を解決するための工夫を繰り返す。余計な心配や悩んでいる時間が少なく、目的に前向きな明快な生き方。
よく観てなくて、思い込みで判断していたことに 気づいた時にはすぐに見直す。 その想いが変わらないで、その強さが増していくことは 何度でも掘り下げて考え続けていく。 本当のことはごまかせないけどすぐには分からない。 考え続けるしかない。
”絵画や小説など芸術の手法は「異なった日付のさまざまな出来事や小さな事件を現在という時間のなかに呼び出し混合する」” by レヴィ ストロース ピカソだけが理解し評価していた画家アンリ・ルソーの植物園でのスケッチと動物写真集と知人の旅行記のブリコラージュで描いていた絵を思い出す。
パリの画家アンリ・ルソー 異国のジャングルや森の中を描いていることからナポレオン4世のアフリカ遠征に同行したなどとうわさされていたが実際には近所の植物園でのスケッチとお気に入りの動物写真集と旅行をしてきた知人の話を参考に描いていた。
未発表作品 目が覚めた後に夢の続きをみれないように 一瞬のひらめきは、見える化しておかないと その夢の意図を知ることはない。 ひらめきを写真に残すことはできないが 絵に描くことはできる。 頭の中の出来事は絵に描くしかない。
妻と子育て、家事をして共に働いているので、妻の行きたいところへ旅行にでも 連れて行きたいが、なかなかできない。 近場の散歩かドライブしかできないくても喜んでいる妻を見ると申し訳ない気持ちになる。 だけど、一緒に将来の計画を立てながら毎日、旅行していると思うと それはそれで楽しい。
「どうしよう」と漠然と考えると不安になる。 「どうしていこう」と具体的に計画すると楽しくなってくる。 同じ状況でもちょっとした捉え方、考え方の違いで、 未来に不安を感じるのか、希望を感じるかに分かれていく。
創造のコツは、それがどこから得たものかわからないようにすること。 個性とは、選択して構築してきた情報の違い。 独創性とは、心揺さぶられたこと、欲求、興味で選んで記憶している情報素材を新鮮な気持ちになれる組み合わせで再構成されること。
親が子供に望むことと子供本人が望むことは違う。 自分の思い込みと相手が思っていることとは違う。 相手をよく観て、相手を想う気持ちが 自分を生かすことになる。 独りでは生きていけない。 人はコミュニケーションを必要とする生き物だから 他人の反応よりは、自分がどう反応できるかが大切。
分かりやすく、普通に見えることほど凄い。 複雑で、分かりにくく感じるものは 芯、軸、骨格、システム、本質を見抜いて、シンプルに捉えればいい。
劣等感を感じたら何も考えないですぐにぼ~とする。 一度寝た後、自分のいいところを思い出して見直す。 劣等感を感じると空しくて悔しくて、辛いものですが、 そんな対象が具体的に存在しているほど 競って無理して乗り越える必要はなく、 自分にできることをよく見直してみる機会にすればいい。
面倒で無駄なものに思えていたことが 自分の成長に繋がっていくことを実感した人は 面倒や壁にぶつかるときこそ「チャンス!」と感じるようになる。 むしろ、面倒に感じなくなってきたこと、時ほど停滞している。 好き、楽しいと感じることもよく考えれば 手間をかけ工夫を繰り返す面倒なこと。
つい考えてしまう。休みたいのにやり残していることを考えて 過ぎたことまで思い出して、脳の回路が開きっぱなしで疲労していく。 寒い、きつい、眠い…、実は不快な思いをしている時に 脳を休めている。 不快なことを我慢している間は無心になっている。 そんな捉え方で過酷な状況を乗り越える。
人の心を揺さぶる音楽や言葉は、大切な人と過ごしている時間や自然の中を散歩しているような効力がある。 一瞬で人の心を変えてしまう絵の威力も運命の人と出会ったように凄い。
数十年前からずっと続いていること。 時たま思い出しそうになることが とても大切なことだということは分かるが どうしても思い出せない。 数十年前からずっと続いている。 全く異なる経験が少しづつ整理されてきて 接点が観えてきて繋がってくる。 そんな時、大切なことを思い出しそうになる。
ぼ~っとしている時は、考えないで感じている。 何でもよく観たり感じたりするようにして 五感を磨く習慣がついていくと感動することが増える。 それは日常の中の奇跡に気がついているということ。 気づきが増えると人も物事も時間も大切にする。
誰かからすり込まれた知識や技術よりも 自身の先見の明やリサーチ力、分析力の差で 成果や精度、クオリティーの違いが出てくる。 そんな思考力を駆り立てていくのが 誰かへの想いだったり、思いやりだったり、 突き動かす衝動だったり、持ち続けている執着心だったり、 欲求の深さだったりする。
紙と鉛筆、手帳とペンさえあれば、いつでもどこでもイメージする無限の世界を可視化できる。 「僕らの仕事は技術的なことで成り立ってるんじゃない。アイディアってやつは、鉛筆描きのスケッチからだって生み出せる。いま、僕らがもっているいろんな道具がなくたってね。」 ウォルト・ディズニー
動物のしぐさに癒されることも心が揺さぶられて、 何かを好きになってしまう理由もなぜ出会うのかも解らない。 その答えも、自然の構造の中にあるのかもしれない。 意識も感情も宇宙の構造と同じ。
先の心配や行き過ぎた夢を持つと 無駄に悩むことになるから、今できることから着実にやることが 自信になる。 大きな夢を持って、一歩一歩、 少しでも前進することを毎日続ける。 自分らしく生きる。
ゲゲゲの鬼太郎は、リーダーシップを発揮している。 鬼太郎は妖怪から人間を守っているのではなく、身勝手な開発や自然破壊を続ける人間と風習や自然を守り伝承しようとする妖怪との間(文明と文化、開発と伝承)に立って最善の解決策を考えている。
人を想うことから始めるといい。 争い事は双方に正義があるので、善悪で判断している限りなくならない。 ルールも協定している関係でしか成立しない。 要は 協働か闘争かの選択になる。 協働していくためには相手を理解し双方の意見から最善策を導き出せる 創造性が必要となる。 創造は、想い。
視点を変えると世の中が新鮮にみえてくる。 名称で物事を決めつけないこと。 例えば『テーブル』は、平らな板に三、四本の足が付いている物体。 テーブルを初めてみる人にとっては、 ベッドになるし、 腰掛けられるし、 日よけにもなる。 横に倒せば壁にもなる。
必要なだけがいい、余ったものはお裾分け。 お金や物を新たに増やし続けていくことではなく 今、そこにあること、持っているもので上等。 有り合わせの料理のように工夫して 組み合わせ(ブリコラージュbricoleur)ながら 人も物も場も何度でも新鮮な心で 繰り返し活かしていく豊かさ。
役に立たないものはない。意外な組み合わせで誰からも気にされていなかった”もの”も”人”も新鮮に生まれ変わる。新鮮な視点をもつことで新しい価値が生まれる。
⑥アピール(個性:やりたいことを素直に表現できているのか。)
「自分の原点を再認識する・他者に物事を伝える力」
大半の日本人が絵を描けないと思い込んでいる。 才能が埋もれている。 絵を描くことに苦手意識があったり、美術が嫌いになったりするのは 日本の美術教育の影響。 世界の中でも日本人は絵が描ける環境にいることに気がついていない。 日本人は日常的に良質なクオリティ画像に囲まれて育っている。
写実絵画 見えている表層だけを写しているのではなく 見えない情報(声や音、におい、味、感触、歴史的背景、思想など)も 五感で捉えて描かれている。
絵は五感を使って描く。 対象をただ写し描くことが写実ではない。 光の入り方、その時間帯、季節感など対象物を取り巻く(多角的)世界をどれだけ広く感じさせることができているかが重要。その視野の広さで伝わるリアリティが違ってくる。
行動も絵も文章も一緒で 想いを伝える意識がないと相手に響かない。 線や色を言葉に置き換えて絵を描くように文章を考えるようになった。 最初は言葉のリズムや構成の美しさや心地よさを意識していたが、 絵を描くことと一緒で伝えることを大切にし始めてから 想いを表現しやすくなった。
成功ばかりを主張する人を信じない。 「わからない」「間違うこと」は恥ではない。 自身への評価より、いつでも周りが動きやすくなることを考えて 仲間と共に失敗を繰り返しながらも 強い想いで行動している人は賢い。 尊敬できる。 そんな人が仲間からの信頼を得る。
誠意が伝わればいい。 できることをやるだけ。 相手の反応を気にする前に 自分が、相手に反応できることが大切。
ハート型が装飾されている江戸時代の絵師 伊藤若冲の「老松白鳳図」は、 様々な心にヒットする。
面倒が起らないように、先に気づいて面倒くさいことをやっておくことと 面倒が起きてから面倒くさいことをやらされることとは違う。 積極的な「面倒くさい」は「やりがい」に代わる。 積極的に動いたことだけ身につき、いずれ自分を救ってくれる。
3代続く絵描き一家。アンドリュー・ワイエス 、息子のジェイムズ・ワイエス、父親のNC.ワイエスといった画家親子。アンドリューが最も有名で下絵となる水彩スケッチも自立した作品として売買されている。ポイントを捉えたスケッチが参考になる。
不快な雨も風情にし、快に変える日本人。脳を休める情緒思考文化を代表する浮世絵師 広重の雨の表現。当時、線で雨を視覚化する発想はなかった西洋を驚かせた。今、当たり前のものとしてみている、気がついていない画期的、革命的なことがまだある。
雨も風情に変える日本人。西洋の画家を驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。今、当たり前のものとしてみている、感じていることは先人が気づかせてくれた。気がついていない画期的、革命的なことがまだある。
江戸時代はプチ氷河期だった。 現代のような暖房設備もない中、今では考えられない薄着で過ごしていた。 極寒の中、粋に生きていた。 不快に感じてしまうことが、実は自分を守ってくれている。 そんな不快を風情にして、快に転じる価値転換文化を 日本人は、長い時間と手間をかけてつくってきた。
プレゼンテーションに苦手意識を持つ人が多い。 相手に喜んでもらえるために心を込めたプレゼントを贈る気持ちになればいい。 思いが伝われば下手でも相手は喜ぶ。 プレゼンテーションは、プレゼントを送るようなもの。 そう考えれば楽しくてワクワクする。 ワクワクすればプレゼンは上手くいく。
鮮烈な色彩で絵を描いた画家オディロン・ルドンは若い頃、印象派の画家たちの色彩表現に惹かれながらも、あえてモノクロの版画を制作し、想像力を磨いた。 ルドンが色を使い出したのは、50歳を過ぎてからである。
意外な人が、守ってくれたりする。 意外なところで、味方だったりする。 自分の思い込みが、一番の敵だったりする。
知識で武装して身を守ろうと考えている人は過去に生きている。否定されようがバカにされようが、自分の直観を信じて捨て身で生きている人は未来に向かっている。
思い出す大切な言葉。 「型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。」 「型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか?」 立川談志
日本文学も俳句もビジュアル的な言語。 生け花も茶道もビジュアル的な文化。 日本の文化は映像文化。 日本人はクオリティーの高いビジュアルに囲まれて育ってきた。 ビジュアルを巧みに操る民族。そのDNAをもっと教育や仕事に活用できる。
落款が押されていない絵 『風神雷神図』 何を手に入れたかより、どれだけ与えられたかでその価値がみえてくる。 時代を超えて支持されている作品は、その表面的な美しさや技巧だけではなく むしろ作者の思いが、観る人の心に響いているといえる。
歌舞伎もオペラも伝統文化を五感を使って伝承していくシステムの一つ。中世西洋の教会も布教のためのシステムとして捉えると天を見上げさせるための天井画やステンドグラスのように五感を使って教えを認識させるための伝達技術を駆使した建造物。
新しいって感じるものほど脳の隅っこに隠れていたもので 古いな~って感じるものほど未来がある。
できないことが、伸びしろ。 何かができたら、褒める。 できていなくても伸びしろが分かったから、それも良し。 できることが今の実力、伸びしろが将来の可能性。
脳を休める情緒思考文化である日本の絵巻物、浮世絵、漫画・アニメのルーツといえる『鳥獣人物戯画絵巻』。 平安時代後期から鎌倉時代までの800年間をかけて、無名の僧侶たちによって庶民の日常生活が、擬人化された動物キャラクターで描かれた。
西洋は『人が自然までも支配する』、現実を科学的な目で捉えて研究し解明してきた論理的思考文化の歴史。 日本は『自然の一部として共生する』、人として生き物として最善のかたち、考え方を模索してきた情緒的思考文化の歴史
大人としても夫婦、家族としても決められた形があるわけではないので、自分たちのスタイルをつくっていけばそれでいいと思う。
平安貴族と鎌倉武士の違いが、その時代の彫刻の表情にも表れている。 どの時代も人の考え、思いを伝えている。 顔の表情があまりないギリシャ彫刻 これは古代ギリシャ人の『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくもの。
日本や東洋的な考え方が、西洋に影響したことも多々ある。日本の寺社の庭園などの円や曲線は人間の心の中の宇宙を表現している「一円相」「円相図」と呼ばれている 。実は西洋で生まれたアールヌーボーなどはここから影響されている。