問い
1.「あきらめ」と「満足」についてお話ください。
2.本当の心の安らぎについて。
3.先生の生活態度について。
答え
1.ふつうに言うあきらめは、いいかげんなところで妥協するということ、仏法でいうあきらめは、事実を明らかにすることです。その事実を明らかにみるところに満足が与えられるということであります。
今日の話からすると、依他起性、縁起、これが現実、ありのままのすがたであるということをはっきりさせる、そういうことが、仏法でいうあきらめということです。
2.自分が「罪悪深重煩悩熾盛の凡夫」だというところに腰を落ちつけておりますと、どんなことでもひきうけていける、ここに安らぎがあるのです。
3.それで私は日常どういうことをしておるかということでございますが、これはまいりましたね、ろくなことをしておりませんから。仏法は、話の筋をいくら覚えてもだめなことで、日常の生活の中に生きてはたらくものでなければだめなものだと私は思っております。無学文盲の人の中にでも仏法の生きている人がいる。仏法は語羅連でもよい、体で生きておるということがいちばん大切です。
終わり
(昭和49年6月9日 一宮勤労会館「一宮親鸞に聞く会」講演による米沢英雄『広き門より入れよ』86~90p)
--------------------------------
1.「人間の意識構造」(8月31日)を参照。
依他起性と縁によってもろもろは存在、変化していくのに、人間はそれを自分の目でとらえて、はからい、分別し、固執(偏計所執)していく。そのことに気がつくのを円成実性。
2.「罪悪深重煩悩熾盛」と歎異抄の一節で言っていただくと立派すぎておそれ多くて。‥「うぬぼれ」とか「高上がりもん」とかの方がぴたっときますね、自分には。
そのうぬぼれも徹底しているから、いつまで経っても安らぎがないんだな。
3.わたしは筋を覚えるのが得意だな。
米沢先生の講演の要約、これで終わります。
1.「あきらめ」と「満足」についてお話ください。
2.本当の心の安らぎについて。
3.先生の生活態度について。
答え
1.ふつうに言うあきらめは、いいかげんなところで妥協するということ、仏法でいうあきらめは、事実を明らかにすることです。その事実を明らかにみるところに満足が与えられるということであります。
今日の話からすると、依他起性、縁起、これが現実、ありのままのすがたであるということをはっきりさせる、そういうことが、仏法でいうあきらめということです。
2.自分が「罪悪深重煩悩熾盛の凡夫」だというところに腰を落ちつけておりますと、どんなことでもひきうけていける、ここに安らぎがあるのです。
3.それで私は日常どういうことをしておるかということでございますが、これはまいりましたね、ろくなことをしておりませんから。仏法は、話の筋をいくら覚えてもだめなことで、日常の生活の中に生きてはたらくものでなければだめなものだと私は思っております。無学文盲の人の中にでも仏法の生きている人がいる。仏法は語羅連でもよい、体で生きておるということがいちばん大切です。
終わり
(昭和49年6月9日 一宮勤労会館「一宮親鸞に聞く会」講演による米沢英雄『広き門より入れよ』86~90p)
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1.「人間の意識構造」(8月31日)を参照。
依他起性と縁によってもろもろは存在、変化していくのに、人間はそれを自分の目でとらえて、はからい、分別し、固執(偏計所執)していく。そのことに気がつくのを円成実性。
2.「罪悪深重煩悩熾盛」と歎異抄の一節で言っていただくと立派すぎておそれ多くて。‥「うぬぼれ」とか「高上がりもん」とかの方がぴたっときますね、自分には。
そのうぬぼれも徹底しているから、いつまで経っても安らぎがないんだな。
3.わたしは筋を覚えるのが得意だな。
米沢先生の講演の要約、これで終わります。