畑ニ居リマス・田舎暮らしPHOTO日記

畑のかえるくんの楽しい日記です。

自分のブログ10年を振り返って見る

2025年01月24日 | 日記
自分のブログ、日記のカテゴリーを見てみた。
けっこう仕事をしていた。
写真があるから良くわかる。
さあ、次の10年だ、持ち時間が少なくなってきた。
何をどう進めていくか・・・。
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工事現場に入れました

2025年01月23日 | 日記
長く離れていた現場に戻ってきたのですが、中に入れませんでした。
スタッフさんに手間をかけましたがやっと入れました。
記事とか写真とかどうなっているか分からないので、明日また、調べに来るつもりです。
楽しみではありますが、進歩していない自分を見ることになるでしょう。
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工事継続中

2022年11月06日 | べんちゃん
リニューアルオープンまだ。
重要な箇所もあるので書籍化かPDF印刷でもしなくては。
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リニューアル工事中

2021年02月06日 | 梁瀬義亮先生のこと
10年を超えとり上げる内容が多岐になってきたので分割し、別にブログを立てようと検討しています。
バックアップ、書籍化という便利な機能もあるようで、こちらも今年の仕事にしようと思います。
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七輪陶芸

2020年04月21日 | 日記
前々から興味のあった焼き物、吉田明さんの本を何冊も買ってチャレンジしている。


先日、意を決して七輪に炭を熾した。
しばらくたった時、バシッという音とともに幅1センチ長さ3センチほどはじけた。
「やっぱりはじけたか」餅網の端に寄せていたや、落ちて2つに割れてしまった。
そこで片方だけ焼き締めようと紅の炎の中、陶土がつやのある真っ白になる状態にまで焼き上げた。
しかし白い素焼きにしかならなかった。
熱も時間も足らなかったのだろうか。
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「クラスター対策専門家」のツイッターから

2020年04月04日 | 日記
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第一の心、第二の心(5)

2020年03月10日 | 梁瀬義亮先生のこと
今日は梁瀬先生の「いのちの発見」より、「第一の心、第二の心」と題しての最終回です。

慈光会の直営農場や契約農家では野菜や果物が有機栽培されている。右はそれら自然食品や安全な日用品の販売所
  

梁瀬:私は、一生懸命仏典も研究し、私なりに修行させていただいていたんです。それに農薬問題が起こってきて、農薬の害を昭和30年に知ったんです。その運動に挺身して農業の研究をやった。その農業をやっている間に、大自然の有り難さ、偉大さ、ということに気づいてきたですね。
この謙虚になった心の時に、法然さまのお著書を読んだんですよ、読ませてもらったんです。その時のお著書を読んだ時に、パッと閃いたんです。
「俺が修行してやろう。俺が悟ろう。俺の力で仏典研究し、俺の修行で悟りを開こうとあがいておったけれども、そうじゃなくて、まったく自分の無力なことを知って、謙虚に徹して、過去を振り返ってごらん」と。
「患者さんのお陰で生かさせていただいたのに、俺が患者さんを治している、というような気持で医者としてやってきたんじゃないか。妻子に対しても、社会に対しても、お前はいつもエゴの上でやってきたじゃないか。そうじゃないんだ。本当は生かされている」と。それから、
「自分というのは、こんなものだった、だから、ただついていくのが仏法だ。お祖師さまや、仏陀を仰いで、ついていくのが仏法だ」と。こういうことを知って、それから素直についていったです。
(略)
白鳥:先生が先ほどから言われた「いわゆる」という「かぎ括弧付きの科学」についてもですね。
梁瀬:「唯一無二の真理だ」と思っているんじゃいけないんです。真理の一つであると思わなければいけない。真理はまだまだ無限にあるんだ、ということを知らなければいけない。
そして自分が生死岸頭に立たなければならん。今立っておる人は、その心で、ついていくんです。そうすると、事実として現れます。どんな形で現れるかは別です。事実として体験になります。私はほんとに俗物ですよ。俗物だけれども、こんな俗物でも、仰ぎ、信じて、そしてわずかながら一生懸命行をさせていただいておると、事実としての体験があります。いまこの生死岸頭に立っても、こうやって心は元気だし、不安もないし、幸福ですよ。夜なんか、もう死ぬほど呼吸困難になるんです。しかし、家の人には、「いくら苦しくなっても来るな」と言ってある。それで幸福なんですよ。そしてただ何とかして、私の一生に得られた、求めてきた科学に対する正しい認識と、仏法者としての正しい仏祖の仰ぎ方と、仏道の進み方を、みなさんにご参考に申し上げたい、という一念で、生きさせてもらっているんですよ。

白鳥:有り難うございました。
梁瀬:ごめんください。
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第一の心、第二の心(4)

2020年03月07日 | 梁瀬義亮先生のこと
8年前に記事にした梁瀬先生「いのちの発見」、「第一の心、第二の心」というテーマにしての再掲である。その4回目。

先生はお寺の3男に生まれたが、科学で証明された真理と仏教の説く教えの隔たりに困惑した。
仏教は、科学的真理を知らない時代の妄想、たんなる迷信じゃないのか、と。
そのため、理学部に入って数学を研究しようと思ったこともあった。
きのうもふれたように、月毎の仏教会でも、このことについて、ご自身の見解をよく語られていた。
では、前回の続き‥。


白鳥:われわれの世代、同じような体験(5月2~4日「梁瀬義亮先生の戦争体験①~③」参照ください)をされた方もかなりいらっしゃると思うんです、しかし、なお先生のような宗教的な高まりに達することができないのですが、その辺はいかがなんでしょうか。
梁瀬:私たちは、子どもの時分から、「いわゆる」科学的な世界観で洗脳され続けております。
「いわゆる」科学というものは、実はこういうことなんです、理屈っぽくなりますが聞いていただいて‥。
人間の前に世界がある。
人間が目に見える物質を肉眼で観察して、いろんな事実を認めた。
(見えない部分はさしおいて)認められた事実を整理して、法則をわりだした。
その法則を集めたのが、「いわゆる」科学なんです。
だから「いわゆる」科学というのは、物質の法則の集合なんです。
そして、現代の生命観、自然観、或いは人生観、現代人のいろんな考えは、物質の法則から導き出しているんです。
産業は発展して、生活は豊かになりました。
しかし、この考え方の結果、公害もおこりました。
地球破滅の原因でもあります。
公害反対とか、環境破壊反対とか叫んでもいいことです、いいことだけれども、その根底になる物の考え方の誤り、つまり、物質中心の考え方なので、限界があります。
私は幸い早くから、違う学問を知りましたよ。
例えば理論物理学です。
これは目で見るんじゃなくて、三昧に入ったような状態になって、心で世界を見る一つの見方です。
そうすると、今までの科学では分からなかったような物質の本質であるとか、宇宙の本質的なものに入っていったわけです。
アインシュタイン博士初め、すばらしい人たちが出て、こういう違う科学がでてきたでしょう。
それから生態学とい学問もできました。
あらゆる生命というものを認めて世の中を見てみると、決して生存競争でもなければ、弱肉強食でもないのです。
一つの地球はハーモニーなのです。
白鳥:連関を持っているんですね。
梁瀬:イギリスの科学者ラブロック博士は、
「地球は一つの生き物だ。決して単なる物質じゃない。生き物だ」とおっしゃっていますね。
そして、ガイア(Gaia)という名前をつけておられますね。
或いはアインシュタイン博士というほんとに素晴らしい頭脳を持った方が、晩年に、
「宇宙は物質の機械仕掛けではなくて、一つのマインド、魂の如きものである」という、謎めいた言葉をのこしておられます。
(続く)
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第一の心、第二の心(3)

2020年03月06日 | 梁瀬義亮先生のこと
心の時代の放送を本に‥求道の旅「いのちの発見」。
下は梁瀬先生追悼集8ページ。

梁瀬:それから帰ってから、当時終戦後どさくさだったでしょう、尼崎の工場地帯の病院へお勤めさせていただいたんです。私はたまたまそこの宿舎へ住み込みでやっておったんです。ところが、当時は公害なんか問題にされない時代でしたから、石炭のガラを粉砕して、煙突へ放り込んでおったんですよ。ものすごいホコリでした。それで喘息になりましてね。それに肋膜炎を併発しまして、もうほんとダメになってきたんです。ちょうど結婚して間もなくで、長女が生まれて、4ヶ月の時でした。私は肋膜に水が溜まる、当時はそれから腹膜炎が起こって、脳膜炎起こって死ぬという、決まっていたようなパターンだったんです。抗結核剤もありませんし、ただじっと寝てるだけなんです。もういよいよダメだと覚悟したんです。父には何も知らせなかったけど、父がひょっこり訪ねて来たんです。 そして、「戦前のラジオがあったから、修理して、鳴るから持って来てやった」と、私の宿舎へ持って来てくれたんですよ。
白鳥:あの頃のラジオは貴重品なものですね。
梁瀬:ええ、そして家内が子どもを負ぶって外へ出た時に、私は、「お父さん、いよいよダメだ。僕はね、戦争に助かって帰ったけどもうダメです」と言ったんです。本当にダメだ思ったんですよ。当時の医学としては、抗結核剤もありませんしね。「ただ、私は死ぬのは覚悟しておるけど、みつ子と小さい子どもを置いていくということが辛くて死にきれない気持ちです」とこう言ったんです。そうしたら、父が、私にこう言ったんです。「お前、それは仏教徒として、ほんとに恥ずべき言葉だ。考えてみろ、お前が生きておるから、みつ子やちえ子が生きれると思っているのは、お前の驕りだ。お前の目の前で、あの子らが七転八倒して死んでも、どうにもできないこともあるんだ。おれもお前に死なれたらほんとに闇だ。しかし、わしは仏陀のお光りを信じている。業報、因縁に従いつつも仏光の中にいるのだ。だからそんなことは、一切考えては仏教徒としては恥だ。静かに仏陀のみ光の中で生かさせてもらう。お前の今できることは仏陀を念じて、念仏以外にないんじゃないか」と言いましたね。「わしは別れるのは辛いけれども帰る」と言って、ラジオをセットして帰って行きました。私も父の言葉に打たれて、「そうだ、自分は念仏する以外に道はないんだ」と思ったんですよ。そしてラジオを鳴らしておったら、その日の午後5時からベートーベン・シリーズが始まったんです。ベートーベンはまあ時間がないから申しませんが、私は絶望した時に、ベートーベンの音楽で救われたことがありました。それでもう本当にお経を聞くような気持で聞いてきたんです。ベートーベン・シリーズがその日から始まったんです。
白鳥:その日から。
梁瀬:そうです。その日の5時から6時まで1時間、‥ビックリしましたよ。それから3ヶ月の間、彼の若い時分から亡くなるまでの曲を、1000曲あったんです。第9交響曲の時は1時間半になりました。ほんとに感動して聞かせていただきながら、仏陀を念じておったんです。そうしたら不思議に肋膜の水が引いてきました。それから病院を辞めさせていただいて、郷里へ帰ったんです。1年ほど養生してよくなったんです。治ったことが不思議だったです。
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第一の心、第二の心(2)

2020年03月05日 | 梁瀬義亮先生のこと
左は診察中の梁瀬先生。

(昨日の続きから)
白鳥:「戦地を死守しろ」と、その頃の「死守」というのはまさに「玉砕」の意味ですね、この命令はどうなったんですか。
梁瀬:夜2時に、「万難を排して、突破して、12キロ後ろにある陣地によって、敵戦車を阻止せよ」という命令がきたわけです。命令が変わったわけです。12キロ後ろの陣地によって抵抗したほうが有効だ、と後ろの司令部は考えたんでしょうね。それで突破してきたんですが、その途中私の衛生兵も死にました。なかなか突破は大変でしたね。その翌日12キロで、戦闘があったんですが、その時も私は生き残りました。そして最後は7月19日に、部隊が全滅しまして、バラバラになってしまいました。私も右脚を負傷して化膿してしまいました。私をまぜて19名の負傷兵と、アメリカ軍が占領した本道をさけて裏道を通って、友軍の方向へ、北の方向へ行こうとしたんですが、そこはバギオのマウントプロスと申しまして、山岳地帯なんです。1200から1500メートルくらいの山また山なんですね。そこの間道を通って行くうちに、ちょうど雨期で星も月もわからずだんだん山へ迷いこんで、そして16人が飢えと寒さで死にました。フィリピン島でも山の上はたいへん寒い上に、一日中びしょ濡れ、それに食べるものは腐った木に生えた茸だけですからね。私と残った兵隊2人がもう餓死寸前のところを山に住む原住民に捕らえられて、この左眉上の傷あとはその時のものです。そして首を切られて殺されました。日本兵はみんな殺されるんですね。それは原住民が悪いんじゃなくて、食べるものが無いためにね、いろいろ問題が起こるわけですからね。彼らも生きるために必死なんです。ところが私を殺す役の原住民が、たまたまカトリックの信者で、バギオのハイスクールを出て、英語をしゃべれたんです。彼ももちろん、私を殺すつもりでおったのですが、私が英語を理解することを知ると、英語で日本人のことを口をきわめてののしったのです。「われわれは平和な人間で山で平和に暮らしていたのに、お前たち日本人がやってきて村を焼き、女、子どもまで殺した。日本人は何という残酷な人間どもだ」とね。私は「そうじゃないんだ、日本人はこんなものだ」ということを英語で言ったわけです。その中に「われわれは仏教徒だからそんなことはしないはずだ。君らは自分は平和な民だと言っているが、われわれ日本人から見ると恐ろしい人たちだ、現にわれわれの戦友たちが君らに殺されている。‥」と言ったんです。そうしたら、「仏教ってなんだ」と、こう聞いたんです。私は、「仏教というのは、ブッダという聖者の教えで、あらゆる生きとし生けるもの、たとえ、虫でも兄弟だ、という教えだ。そうして生きる原理は、自分以外の生命の幸せ、幸福のために祈り行動するという教えだ」とふっと言ったんですよ、まったくふっとね。そうしたら「あなたは平和で、教養がある」と言って、それで縛をほどいてくれました。‥しばらくしてから、「私はあんたを殺さなければならない。許してくれ」と言いましたよ。
白鳥:原住民の方が、
梁瀬:ええ、私に。「私はあなたを殺さなければならないんだ。許してくれ」と言いましたよ。私は、「われわれ仏教徒は殺されたとは思わない。死すべき時がきて、仏陀のところへ帰るんだ。それだけなんだ。あなたに殺されたとは、仏教徒は思わないんだ」と言ったんです。そして一心に念仏しました。なかなか安心立命なんかではないですよ、栄養失調で死にかけていて、まったく気力というものはないし、殺されるってほんとうにたまらぬほどいやなものです。しかし、私には念仏という頼るものがあったのは事実です。
白鳥:その後、彼は先生を負ぶって逃げてくれたわけ?
梁瀬:ええ、その後に、私に水を飲まし、スープを飲まして、そしてその夜負ぶって村を抜け出して逃げてくれたんです。
白鳥:まさに生死岸頭ですね。
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