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日本と韓国には倭種の共通の血の一部が流れている という意味なのだが

2012-11-02 23:44:36 | 極東古史考

[日本人には韓国人の血が流れている、DNAが証明=韓国メディア
サーチナ
2012年11月02日10時27分

 現在の日本人は、先住民族である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人が混血を繰り返したものであることが明らかになった。
総合研究大学院大(神奈川県)などで構成される研究チームが、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。

 現在の日本人は、先住民族である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人が混血を繰り返したものであることが明らかになった。
総合研究大学院大(神奈川県)などで構成される研究チームが、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。
複数の韓国メディアが2日、相次いで報じた。

 韓国メディアは、「日本の本土人の遺伝子、韓国人とほぼ同じ」「日本人は、朝鮮半島人の末裔、DNAが証明」
「日本人の体の中に、韓国人の血が流れる」などと題して伝えた。

 主に関東居住者の本州出身者、中国人、欧米人など約460人分のDNAデータに、アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を加えて解析したところ、
本州出身者は韓国人と遺伝的に近く、アイヌ民族は沖縄出身者と最も近かったという。
 以前にも日本人の遺伝子を分析した研究結果があったが、今回は1人当たり最大約90万個のDNA変異を解析することで信頼性を大幅に高めたという。
 韓国メディアは、日本人の起源は縄文人が各地の環境に適応したという「変形説」や
、縄文人が弥生人を征服し定着した「人種置換説」、今回の「混血説」が提起されていたと解説した。]

で 日本での研究発表の原文
http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html

[【研究概要】
  国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門(総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻教授兼任 )の斎藤成也教授、
東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、
東京大学大学院理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授を中心とする研究グループは、
日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、
縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得た。

 これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られていたが、
決定的なものではなかった。

今回、研究グループは、
ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)(注1)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、
アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本列島人のDNA分析を行った。

 その結果、アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、
両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。
一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。

さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。
このことは、現代日本列島には旧石器時代から
日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。

また、アイヌ人はさらに別の第三の系統(ニブヒなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があり、
本土人との混血と第三の系統との混血が共存するために個体間の多様性がきわめて大きいこともわかった。

 日本列島における人類集団の遺伝的多様性を明確にすることは、
人類学的観点のみならず、ゲノム医学にとっても大きな意義がある。
将来は、これら集団間の表現型の違いとゲノムの違いを結びつけることが期待される。

【詳細研究内容】

  日本列島は南北4000km以上にわたっており、
3万年以上前から人間が居住してきた考古学的・人類学的証拠がある。

現在は北から順にアイヌ人、本土人、琉球人という3人類集団が分布している。

これらの人々の起源と成立については、以前からいろいろな説があったが、
ベルツ(注3)のアイヌ・沖縄同系説に端を発し、
鳥居龍蔵や金関丈夫らが提唱した混血説の流れをくむ二重構造モデルが現在の定説である。

これによれば、日本列島に最初に移住し縄文人を形成したのは,
東南アジアに住んでいた古いタイプのアジア人集団の子孫である。

その後,縄文時代から弥生時代に変遷するころに,
北東アジアに居住していた人々の一派が日本列島に渡来してきた。
彼らは極端な寒冷地に住んでいたために,寒冷適応を経て,顔などの形態が縄文人とは異なっている。

この新しいタイプの人々(弥生時代以降の渡来人)は,北部九州に始まって,
本州の日本海沿岸,近畿地方に移住を重ね,先住民である縄文人の子孫と混血をくりかえした。
ところが,北海道にいた縄文人の子孫集団は,この渡来人との混血をほとんど経ず,
やがてアイヌ人集団につながっていった。

沖縄を中心とする南西諸島の集団も,本土から多くの移住があったために,
北海道ほど明瞭ではないが,それでも日本列島本土に比べると縄文人の特徴をより強く残した。

 これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られていたが、
決定的なものではなかった。

そこで今回、徳永研究室で使用している、
ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、
アイヌ人と琉球人のDNAをあらたに調べることにした。

北海道日高地方の平取町に居住していたアイヌ系の人々から
尾本らが1980年代に提供を受けた血液から抽出したDNAサンプルについて、
これまでミトコンドリアDNA、Y染色体、HLAの研究が行なわれてきたが、
それらのうち、36個体分を用いた。サンプル収集時期が30年近く前なので、
今年に入って平取町を3回訪問し、町役場のアイヌ施策推進課の協力を得て、アイヌ協会平取支部の方々にお会いし、
これまでの研究成果と今回の成果について説明した。

琉球人のDNAについては、琉球大学医学部の要匡准教授らが数年前に提供を受けた35個体分を用いた。

 今回の研究では、個人を単位にした解析と集団を単位にした解析を行なった。
前者については、多変量解析の標準的な手法である主成分分析、
祖先集団を仮定してそれらの遺伝子交流を個人ごとに推定する方法のふたつを用いて解析した結果、
アイヌ人からみると、彼らから地理的に大きく離れている琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、
両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。

また、アイヌ集団が本土人およびおそらく北海道よりももっと北方の人類集団と遺伝子交流をしてきたことにより、
個体間の多様性がきわめて大きいことがわかった。

他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)の特異性が示された。
これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、
おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している。

集団を単位とした解析では、アイヌ人と琉球人が統計的にきわめて高い精度でクラスターを形成し、
それと本土人、韓国人がそれぞれつながってゆくパターンが同様の高い精度で支持されている。

以上から、現代日本列島人は、旧石器時代から縄文時代を通じて居住してきた縄文人の系統と、
弥生時代以降を中心に日本列島に渡来してきた弥生系渡来人の系統の混血であることがはっきりした。

また、アイヌ人は
これらとはさらに別の第三の系統(ニブヒなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があったことがわかった。
今回決定した100万SNP座位のデータは、さらに詳細な研究を進める上での基盤情報として貴重なものであり、
今後は日本列島に渡来して来た祖先集団の出自の問題の探求や、
表現型の違いとゲノムの違いを結びつける研究にも貢献することが期待される。]



韓国メディアは 昔の日本が日韓併合の一つの論拠としての日鮮同祖論に共鳴してるのだろうか
共通のミトコンドリア遺伝子は近隣であればある程度の相関関係がある
以前からの周知の事実で 今回はさらに詳しい研究成果で
今迄の説を補強するものだ

残念ながら 昔から 韓国学会発の新しい発見はほとんど皆無で
日本で発表された学説で 自分たちの成り立ちを推定しているようだ

素人の歴史好きににとって大事なのは
DNA分析 カーボンディティング 年輪校正 プラントオパール 古代人骨など
個人の推測が入る余地のない 考古学的 物理的観測結果である

北朝鮮は明らかに満州族 古代の高句麗の系統の一部を継ぐ民族ではあるが
韓国は微妙だ

紀元前数千年 韓国の古代 縄文人が散居していたのは考古学上確かめられている

倭種には何系統もある
倭人すなわち日本人と言う考えは短絡的すぎる
日本人は倭種倭人の中の一派と考えたほうが理解しやすい

倭種を他の民族から区別するのは
海洋漁猟民であり 倭語を話すこと 刺青の習慣がある 甕棺葬である 海岸や川の近くで水田耕作を行うなど
他族と違った民俗習慣がある

日本語の祖形の一つ倭語が何時のものかはわかっていないが
日本語と朝鮮語の分離は紀元前2000年前以前とも言われる
また 満州から朝鮮半島に移動した高句麗語 百済語の原音は未だに復元されていないのでわからないが
扶余が主体であるので ツングース系の言語であったと推定される
現代の朝鮮語が百済語高句麗語の系統なのか まだわかっていない
日本書紀に引用されれる 百済本記 百済新撰などは漢文なので音は再現しにくいが
書紀には 高句麗の「イリカスミ」などのような 当時の高句麗音に近い音が残されている

日本に関係する倭種の一つは 
江南 揚子江周辺から 直接 海を渡り 日本の九州に渡来したのが 熊襲隼人
後 対馬海峡を越え 南韓に渡り 後の 金 朴 昔の古い祖先となった人々の一派がある
共に 倭種と思われる
もっとも朝鮮半島で 金朴昔などの 中国風単姓になったのは 新羅中期以降と思われる
すでに新モンゴロイドとなっていた人々である

それゆえ 揚子江由来のジャポニカの原種は九州では全品種栽培できたが
南幹へ渡り 水田耕作を試みたが 気温が低すぎるため成功せず 
粟稗主体で 米は主たる食糧にならなかった
水田はあまり普及せず 陸稲のような畑作が主流であった
そして ジャポニカの1品種は 栽培に耐えず その国で消えてしまった

蚕も 江南種は消えてしまった

熊襲の音は あの国の古代の人 解慕漱に音が残る

一つは 揚子江周辺から 中国海岸東部を北上し 北方適応を強く受けた人々と混血した
中国戦国時代 山東半島を中心とする 東夷と言われる人々だ
彼等は漢族(当時漢はないが 便宜上 中国大陸の原種となった人を漢人と呼ぶ)の亡命人と共に
朝鮮半島南部に 安住の地を見つけた

時代は下るが

光和元年(178年)冬、鮮卑は酒泉を寇掠した。
このころ、鮮卑の人口が急激に増え、農耕・牧畜・狩猟だけでは、食糧を十分に供給することができなくなったので、
檀石槐は烏侯秦水にまでやって来て川魚を獲って食料にしようとしたが、まったく獲れなかった。
そこで、汙人(倭人)たちが魚獲りに巧みだと聞いたので、
汙国を撃って烏侯秦水のほとりに移住させて魚獲りに従事させ、食料難を解決したという。

満州西北部での出来事だ
鮮卑は 古朝鮮の流れをくむ一派である
「檀」の字 檀氏 がその名残だ

烏丸鮮卑東夷伝  魏書では汗人
烏桓鮮卑列伝 後漢書では倭人 とある
もちろん当時の日本人ではない

汗 漢 韓 全てHan 通音である

倭種は沢山の流れがある

その内 日本列島に定住した数族が 後 弥生人と呼ばれる
中国大陸での嘗ての居住地にによって 微妙に骨格は異なる
西欧でいえば 祖先は共通であっても 現代のイギリス フランス ドイツは民族が異なるように
倭は日本人のご先祖であるが
日本人が倭の代表ではない

古代長江文明を担った一族ではあったが
北方の民族 後の満州族 モンゴル族 西域からの漢族によってその地を追われ
辺境の日本列島へ移住し 朝鮮半島の南半分もその居住地とした

やがて半島には北辺の異民族が流入し 最終的には百済の残将によって加羅は 慶州の地も加羅であったが
征服され 彼らによって古代新羅ができる
だが国や地域を意味する 羅は受け継いだらしい
狗奴国 奴国などの 一定の広さの場所を表す 奴(な)と羅(ら)は転訛音だ

新しい土地 新羅 その前の名前は鶏林 半島北部にあった鶏林は南下し
最初の地は 辰韓の斯蘆であっただろう
日本ではシラキ  朝鮮ではサロ  漢の上古音ではシラである

もっとも 3世紀半島において 百済は馬韓の一国にしか過ぎなかったし
新羅は 辰韓にその姿すら現していない

もし辰韓が新羅であり 馬韓が百済であれば
魏に対して 何らかの使節を送っていたはず
魏の記録にも それ以前の中国の史書に記載はない

漢は朝鮮半島北部を楽浪郡として自国領とした
そこには南韓の百済新羅の記述はない
この2国は 当時 無かったのだから当たり前の事だが
倭の奴国の記述のみしかない

百済は帯方郡の地に定住して その系譜を 高句麗扶余に繋げ
扶余氏を名乗った
つまり この地にいなかったのに 数百年前の 朱蒙の時代からその地にいたことになる
昔の 満州扶余の時代の事が 帯方郡の新しい地で続いていたということになる
北朝鮮における百済 尉仇台からだ  西暦200年前後の事だろう
もちろん 馬韓の一小国に過ぎないこの頃は

新羅は慶州の地に定住して 征服した加羅の その系譜を加羅の系譜と繋げた
新羅は加羅の女を妻とし 加羅と姻戚関係を結び 祖先を同一家系とした
男系原理から見ると これは系譜の簒奪であるが
女系原理から見ると 繋がっている とも言える 微妙であるが


「北史 新羅伝」
或いは称す 魏将母丘儉(かんきゅうけん)高麗を討ち これを破る 奔 沃沮(鶏林) 其の後故国に復帰した
留まる者あり 遂に為す新羅 亦曰く斯盧 其の人雑あり 華夏(中国人) 高麗 百済の属である
兼ねてあり沃沮 不耐 韓 濊の地 その王 本百済人 海より新羅に逃げ入り
遂に其の国の王となる(246年)以降の出来事だ

つまり 百済も新羅も 半島における歴史は3世紀から始まる
それ以前は 楽浪漢人 亡命漢人と 倭種の歴史である

半島に在住する倭種も 半島の新しい王国の中で 混在していたが
中国集安を本拠とする 高句麗広開土王の 鴨緑江を超えた半島への南進を境に勢力を失い
やがて後 百済に 領土を割譲し 列島の倭は南韓在住の倭の経営から手を引く 

朝鮮半島の人々と 日本人のミトコンドリアDNAでは最も近い 女系として
男系の YAPでは かなり異なる民族ではある
彼らにはD2がほとんどないし 漢族とツングース族の血が濃い

いずれDNA分析解析が時代変遷を明らかにしてゆくだろう
それまで生きているのかな自分は

明日は休み 


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