1945年 敗戦の年生まれた
子供があっけなく死んでいった時代だ
結核 肺炎 赤痢 腸チブス 寄生虫 栄養失調
精神障害者 身体障害者は生きるすべもなかった
助けようにも出来ず 一般人が 政府に助けを求める時代だった
自然淘汰
我々の過去の時代から生き残ったものは累々たる屍の犠牲のもとに生きている
現在 家があり 食料に満ち 社会的縛りを受けず 癌の手術を受け 個人として生存できる
復帰後 73歳で 仕事を続けていられる
普通の人間が このように暮らせる時代が来るとは思わなかった
昔 老人 身体障害者 精神障害者 社会的障害者は 生存困難であった
現在の老人は 良くも悪くも 社会の生存競争に生き残った者たちだ
それが 幸せであるか 各人の判断に任せる
今は彼らも何らかの形で生存可能な時代になり 援助するものも沢山いる
昔 モノクロの映画やTVで見た米国のホームドラマ
個人が自家用車を持ち 冷蔵庫や自動洗濯機 エアコンや清潔なトイレなど
当時一般庶民が憧れた日常生活が極当たり前にある
腹いっぱい食える それが夢だった頃
デパートの食堂でナポリタンやオムレツを食うのが贅沢であった時代
自分の学生時代 アパートは1畳1000円だった
便所も炊事場も共用で 風呂は銭湯だった
1965年の頃 我が良き友よ 時代遅れ ファイト
中学生の50%近くが就職していた時代
この感性は 今の若者と共有出来ないだろう
もはや 我々ジジイの時代ではない
若者が 時代を築いてくれることを期待したい
我々を揶揄する意見もある 我々より若い団塊世代を揶揄する若者も多い
それでいい
君たちの時代を築くことが大事だ
批判非難の空論は無用
実績を示せば 新しい現実を示せばいい事だ
日本の未来は 若者が築く
昔も 今も変わらない