水經注卷十四(515年)
百度より
匈奴は 胸に✕の入れ墨をしていた それで匈
北狄の国であるから 奴を付けて匈奴と呼んだ
「漢委奴国王」の印
印章では 人偏は省く事が多いので漢倭奴国王
匈奴がヒョンヌだから ウィヌ国 或いはウェイヌ国だろうか
アイヌ国? よくわからない
金印蛇鈕?紫綬 漢が付くので 領土外の外臣の最高位
「奴」は入れ墨を習慣とする国 匈奴と倭奴のみ
古代中国では 奴隷に入れ墨を施す風習があったのでそのような「奴」をつけたのだろう
華夷秩序では
姓でも国名でも 漢字一文字で表記されるのが同類と見做される
蛮夷の国は必ず二文字以上となる
匈奴 東胡 鮮卑 高句麗 百済 新羅など
卑弥呼の「親魏倭王」の印 未だ発掘されていない
でも 何故 倭が一文字なのか わからない
訓読みでは 倭も大和も大倭も日本も全て「やまと」と読む
また SOV開音節言語であるのも特徴だ
日本の周辺国は 全て 閉音節言語 ハワイ語が開音節言語でも語順がVSO
縄文語系統と思われるアイヌ語は語順は日本語と殆ど同じだが あとは似ていない
倭人はこの時代に於いても大陸に残っていた
倭人は大陸から来たが 縄文人と混血し弥生人になった
倭人=弥生人ではない 縄文+倭人=弥生人だ
互いの文化が 弥生時代融合していった
BC1000年以降 大陸にも 朝鮮半島にも 日本列島にも倭人は分布していた
倭族は 呉・越と同類の百越の中の一氏族であるから呉・越と似た風俗を持つ
熊襲・隼人は 楚人 苗族の系統の弥生人になった渡来民だろう
倭と言う漢字は 人と禾(粟 稲)と女で出来ている
漢族からは そのような民族集団に見えていたようだ
農耕と漁猟の民
海 河川 湖沼 水辺の民であり 船で旅する民でもある
今日はいくらか暖かい 散歩しよう