別のデータからエクセルでグラフを作り 暇つぶしをする
文献証拠は ある種 文学であり 多種多様な仮説を立てるのは可能である
生物学のデータは仮説を極力少なくし 真実をシンプルにするのがいい
手前が古い遺伝子 後ろに行くほど新しく変化した遺伝子であるとすると
やはりに日本はアジア大陸ではもう消滅してしまった古い遺伝子のプールだ
2000年も前の大陸の発音に近い漢字を筆頭として 大陸ではとうに失われた文化風習も
未だに 色濃く残っている
C3が古代東湖 ツングースのマーカー
D2が古代縄文のマーカー
O2bが九州及び南琉球のマーカー
O2b1が揚子江周辺で変化した倭種 弥生のマーカー
O3が中原で変化した漢族のマーカー
漢族のマーカーが50%を超えるのは 朝鮮 北漢 台湾漢である
これはどうゆう意味だろう
北漢 台湾漢は推測は容易であるが
日本はD1とD3が無い以外 残りすべての遺伝子が 比率に多少はあるが含まれている
いつの時代と特定できないが3万年前以降 大陸からの流入者と混血を重ね
紀元前後には混血を終了し まるで単一民族に見えるくらいに均一化されているように見える
アジア大陸ではこの古代型D2遺伝子は消滅したらしい
ツングースであるエヴェンキ ブリヤートは オロチョンからの発展型に見え
N型遺伝子は エヴェンキ ブリヤート内部で変化とみなせるか?
いずれにせよC3の遺伝子濃度は高く その場所での混血は少ない単一民族のようだ
満州とモンゴルは漢族との交流の歴史が長いので漢族の比率が高い
特に満州はツングース色が薄くなり 食い物に例えるのは失礼だが 満漢全席の態をなす
朝鮮は ブリヤート エヴェンキのマーカーC3とN 縄文のD2 九州南琉球のO2b
倭種のマーカーであるO2b1を持つ珍しい国である
特に日本にしかない縄文のD2があるのは この国だけである
だが 漢族のO3が50%を超えるので 主体は古代から半島に移民してきた漢族と見ていいだろう
北漢は 東北ツングースがごく一部あるだけで
見事なまでに 単一の漢族である
はるか古代以外 他民族との婚姻は少なかったように見える
南漢は北漢とは別の民族に見える ここまで異なるとは
O1とO2aは南中国で変化したらしい
北漢の人々の移動ではなく 遺伝子的独自の変化を遂げている
台湾の先住民は南漢がO1の時代 南中国から台湾へ移民したように見える
その後歴史時代に入り 多分O2a型を同時に持つ福建省辺りからの移民と考えられる
台湾漢は漢族の比率が高いが 南漢の遺伝子パターンを色濃く持つ
古代中国の文献では 濊狛は共に行動する民族同士と記されている
濊 沃祖は扶余を主体として臣属関係にあったのは文献に詳しい
倭が 任那加羅を失い
高句麗に押された百済に任那地方を与え
もちろん 任那の在地勢力は反発したが
結果として 韓国の南西の地に 最後の百済の首都 扶余の名が残って現在に至る
滅びた百済 高句麗の王族遺民の一部は 中国満州に土地を与えられ
残る王族遺民は 倭へ逃げ 帰化し倭の臣民となった
唐の援助で高句麗百済を駆逐し
やがて 中国の駐留勢力を駆逐し新羅は結果として朝鮮半島を手中に収めた
新羅は百済の残将が起こした国である
百済王家は扶余氏であるが 新羅を起こした軍は 濊 沃祖の兵であった
北史に謂う
或稱魏将母丘儉討高麗破之奔沃祖其後帰故国有留者遂為新羅亦曰斯蘆
其人雑有華夏高麗百済之属兼有沃祖不耐韓濊之地
其王本百済人自海逃入新羅遂王其国
これが 三韓 加羅を滅ぼした濊が そこにあった新羅を国号とし 南韓の支配者になった初めである
それ以前 彼らはこの地にいなかった
それ以前は 植民地としての楽浪郡 中国の亡命者 土着の倭種の国々であった
246年 以降の事
金氏がここに発生する
又百済は
仇台 遼東太守公孫度以女妻之遂為東夷強国
其人雑有新羅高麗倭等又有中国人
これから見ると 百済が一小国から東夷の強国になったのは
公孫度の娘を貰い さらに公孫度は楽浪郡の南を割いて帯方郡となし 彼に与えた
そこを経済力軍事力の基盤とし クダラが台頭する
国人には 新羅人 高句麗人 倭人がおり また中国人もいたとある
開放的国であったらしいことが感じられる
推論であるが 第13代味鄒尼師今 新羅王がその人か?
ツングース族は 金 ゴールドの民を自称するのが普通である
渤海は 最初は震国を自称した
金国はゆうに及ばず 清帝国も シンを国号とする
清の最後の皇帝 愛新覚羅のアイシンギョロのアイシンも金を意味する
これは 三国史記により作られた 新羅王系図だそうだ
百済王氏 くだらのこにきし氏は 元性扶余氏 帰化して 扶余を捨て 百済王氏となった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88%E7%8E%8B%E6%B0%8F
これは日本に残る 金氏略系図と謂う
新撰姓氏録(815年 嵯峨天皇の勅命によって編纂された氏族一覧)
右京 皇別 新良貴(しらき)
彦波瀲武
追記
あれ! 消えてる しょうがない もう一度
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊男稲飯命之後也 是出於新良国即為国王 稲飯命出於新羅国王者祖令
書紀
素戔嗚尊師其子五十猛神降到於新羅国居曾尸茂梨之處
日本に帰化した金氏の系図を重ねると
三国史記の記述を重ねると
神話時代の話であるが 何らかの事実を記述している
歴史をかじったものは 誰でも知ってることではあるが 文献のみであるので
定かではない
だが 半島に縄文人の痕跡が見つかり
倭種が 南韓と北九州にほぼ同時に移民したのは事実だ
漁具漁方が古代共通であったのも
大和がまだあったわけではない
倭種の国家群が 玄界灘を挟んで 南韓北九州に群立していた
魏の時代に至っても 狗耶韓国は倭の北岸と記されている
倭種にとって 羅とか那とか 奴とか 耶とかは一定の地域を表す言葉だった
新羅は 安羅 加羅と同じように倭種の小国家群であった
金氏は 新羅から妻を迎えると同時に 自分の系譜を妻の系譜につなげたと推定される
加羅を統合すると同時に 系譜に加えた
歴史観の違いだろう
中国では 遼 金 元 五胡十六国など異民族の支配を 自分たちの歴史としている
最後の王朝 清 満州族の 異民族の支配であるが 不思議に自国の歴史としている
では 漢族とは いったいなんだろう?
朝鮮にも同じことが言える
現在 今いる場所で 覇権を持つものが すべての過去を自分の歴史とすることができるらしい
現韓国 北朝鮮には 高句麗 百済の扶余姓は見えず
中国のような 漢字一文字の単性ばかりで 古来の漢字複数の 複姓はあまり見つけられない
自分はそれぞれの民族の興亡史と見るが
彼らは 自分達の歴史とみなすらしい
現在 百済をペクチェ 新羅をシルラ 高句麗を コグリョと言う
新しい宋音だ 古来の音を忘れてしまっている あるいは民族が異なるのだろう
日本は古来の音に 漢字を借りるだけ だから読み方は変わらない
これでは 中国読みである
自らの歴史を忘れているか 彼らが過去の歴史と関係が無いか どちらかだろう
こちらの書籍は現地音を大事にした
だから 百済はクダラであり 淵蓋蘇文は伊梨柯須弥イリカスミである
これが 扶余音であり かの地に残っていない 音である
本来の漢字を宋音読みし
近年になって 日本のひらかなカタカナのようなハングルに変えてしまうのだから
何もわからなくなるのはやむを得ないが
日本書紀や古事記など古文献を 全部ひらかなにしたら
俺でも 意味不明 わけ若布になってしまう
良くも悪くも 漢字文化園の国 中国の影響下にあるのは少し残念だが
過去の文献は すべて漢文である
眠いな