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AB19450916VIRGO
 

皮膚の感触

2008-02-17 13:09:20 | 自分への語り事
素粒子は 究極的には プランク量子の振動の表面ソリトン波だろうか?
空間的広がりを持たない2次元の幅ゼロの純粋な波

プランク量子の海の波は粘性抵抗ほぼゼロの中で永遠とも言える振動を続けている

自分がプランク量子1個の大きさで 人を見たら
人はこの宇宙空間より 広大に見えるだろう

物質は微視的にはスカスカで 波の力だけで形を成している

この大地である地球も 素粒子間の隙間をなくせば 
クウォークとレプトンだけにしてしまえば
波は 振動の紐は いくらでも重ね合わせることが出来るので
多分ゼロの空間まで 空間の穴になるまで小さくなるだろう

物質の 色 質感 匂いも 分子の最外郭電子雲の電子の数と状態で決まる
自分が見る 人も物も その最外郭電子雲の変化を 見て触って嗅いでいる

人と人が触れ合ってるとき 微視的には厳密には互いに触れていない
最外郭電子雲同士は反発するので 磁石の反発力のように
互いの最外郭電子雲が押し戻される圧力を感知する状態が触れていると言うことだ

人は物質
無数の分子の出す振動の合成波を出している
そして一人一人顔が異なるように
一人として同じ波は無い

人と人が出会えば

波形が似ていれば 共鳴を起こし波が重なろうとし 吸引力が発生する
波形が似ていなければ 無干渉となり 何も起こらない
波形が似ていながら 互いに打ち消すように位相がずれていれば 反発力が発生する

目は光の振動を 鼻は分子の振動を 耳は空気の振動を感知するセンサー
そして 感知した信号は 脳へ伝わり 脳は 見 嗅ぎ 聞く

人の出す振動は 皮膚が感知する 気配 存在感などを感じる触覚だ
誰にでもある

人と人が1メートル以内に近づけばいい

普通それで 互いが合うか合わないかを感じることが出来る
傍にいて 傍に寄りたいか 何も感じないか 離れたいか

それが好き嫌いの感情

人に対しての好悪の感情は皮膚感覚 触覚だ
触感が脳へ伝わり 好悪の感情として行動の判断基準とする
好きであればもっと触れ合いたい 嫌いであれば傍に近づいただけで嫌悪感が起きる

振動の波形が似ているかどうか それだけ 他に理由は無い単純なことだ
だから 話などしなくても 会った一瞬で互いが判る

恋人も夫婦も波形が似てるから 子供は似たDNAを持ってるからやはり波形は似ている
似ているもの同士だから吸引力がはたらき共に暮らせる

が 似ているが故に 似ていなければなんら問題ないのに

位相が 互いに波を打ち消すようになるまでにずれてしまうと
それは 反発力になり 吸引と反発が同時にはたらき
反発をしながらも離れられないと言う最悪の確執を起こす
家族や恋人同士にこれが起きると のっぴきならない結果を生む
哀しいことだ

これは互いの言葉による対話はあまり効果は無い
頭で理解することではなく 食べ物の好き嫌いと同じことだからだ
好き嫌いは論じることが出来ないからだ

互いに完全に違う波形になるか 位相を元に戻すかこの二つしか解決方法はない
もう一つは傍にいない事 家を出ることだ

この皮膚感覚はどのくらいの距離まで感知できるだろう?

昔の武芸者は 数百メートル離れた 人や獣の気配を知ることが出来たと言う

自分も学生時代 ライフルのトリガーをひいた後 
的に当たったか 中心をはずしたか 
スポッティングスコープで見て確認しなくてもわかった
手ごたえは感じた

訓練すればそのくらいの距離は可能なのだろう

われわれ夫婦も 加齢による衰えで互いの波形の振幅は小さくなり
お互い空気のように お互いまったく邪魔にならなくなった

同居してた頃はあまり感じなかったが
孫がたまに来ると その存在感気配に圧倒されそうになる
小さい体に 溢れんばかりの気配を発散している
喜怒哀楽の感情の振幅が大きいので その感情の音に疲れてしまう事もある

同じ部屋で 無言のまま DSをやってたとしても
まるで ハードロックをがんがんかけられているみたいになる
若いとは 振幅がとても そういうものなのだなと思う

人の身体は例えて言えば パワーアンプ
皮膚が送受信のアンテナとスピーカーの役目をして 脳へ伝える
そして 脳はその受けた振動を人にわかるように感情として翻訳する
でも 感情は言葉と無関係だ

痛み かゆみ 触られる心地よさ
これらは すべて皮膚内の痛点と圧点への刺激の強弱で決まる
そして 指で触ってものの形温度がわかるように
人が傍にいれば その人の感情の形 つまり振動の形がわかる

感覚を他者へ言語化するのはかなり難しい
もともと感情は言語で無いからだ
皮膚は触覚を受け持つ 触覚は人や物の振動を聞くアンテナ

微かな音を聞くには 周りが静かでなくてはならない
感情は大きな振幅を持つ
自らが 感情の大きな音を出していては微かな音を聞くことは出来ない
人や物のちいさな振動を聞くためには 自らが静かでなくてはならない

はじめは 静かな部屋で一人で 慣れないうちは
小さな明かり 香 静かな音楽などの刺激があったほうが集中できる

そのうち慣れてくれば 多少時間はかかるが
日常の中で 普通の生活を送りながら 皮膚を澄ますだけで音を聞くことが出来るようになる

それが見え聞けるようになったとしても
その人にとっていい事かどうかわからない 
普通の音がとても大きいからだ

穏やかさを学ぶ ネイティブアメリカンの教えだ

穏やかと言うのは 無感情と言うことではない感性は鋭くなる
波は必要で大事なものだ それに常に揺れ動く
起きるのは 起きるに任せ

起きた波を 打ち消す波を作り すぐ静かな海へ戻すことだ

波のエネルギーは大きい 押さえつければ 押さえてない所に出る
それに 心を抑えるのはとても疲れる

だから怒りや悲しみや切なさの感情の形から 反対の波を作り それを消す
訓練すればじきに出来るようになる

心が今迄ざわめいていたことに ざわめかなくなる
穏やかさは 苦を去る

他にも方法はあるのだろうが自分は知らない
これでいいのだろうかわからない
あるがままに あるものがあるものままででありますように
流れのままに
















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2 Comments

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Unknown (ble)
2008-02-17 19:09:35
「人が傍にいれば その人の感情の形 つまり振動の形がわかる」

なるほど。
そうですね。

感情の「形」
丸くなっているときと
とがっているときと
わかりますね。

納得です。
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ぶれさん (たか)
2008-02-18 06:55:02
昔から このような言葉がありますね

おはようございます^^

最近まで これは比喩的表現だと思ってました

自分が静かになる事が増え
散歩で 電車に乗ったり 人ごみを歩くようになって
感じるようになりました

で 
今 出来るだけ意識的にはずす努力してます
景色とか本とかに集中して

別に役に立つわけではありませんが
あまり 強くざわめいている人からは
離れるようにしています

目的地に着くまでに疲れてしまいますから
それに相手を意識すると 
相手の人にも伝わってしまいますから

みんな 持ってるんです
自分自身がざわめいてるから気が付いていないだけです

もちろん ぶれさんも です
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