G

AB19450916VIRGO
 

現在の朝鮮半島住民は何処から来たかを考える 取り敢えず結語

2018-08-05 05:14:23 | 極東古史考

朝鮮民族は とても錯綜している
一筋縄では なかなか理解し難い

朝鮮半島は文明の通過路であるが そのように断定するのも彼等に失礼だろう

金姓略系譜
 新撰姓氏録右京皇別条
「新良貴 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊男稲飯命之後也。是出於新良国。即為国主。
稲飯命出於新羅国王者祖合。日本紀不見。」

古事記
「稲氷命は妣(母)の国と為して、海原に入り坐しし也」
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の后玉依姫が生んだ次男が稲飯命
彼は母の出身地へ渡り その地の王となった
新良貴氏の祖稲飯命は新羅始祖赫居世と同一人物と思われる。
 
延暦二年七月紀に「左京人散位六位上金肆順、姓を海原連を賜う」
        「右京人正六位上金五百依、姓を海原造を賜う」

姓氏録右京諸蕃条
「海原造、新羅国人進広肆金加志毛礼の後也」
新羅帰化族に海原姓下賜の記事があり、海原が新羅の別称であることは明らかである。

上古の日鮮同域時代は人の往来も多く、北方諸族漢姓化の代表である金姓が日本にも繁衍したことがうかがえる。
東北地方に多い金氏も新羅王家祖の金閼智末裔と称しており、
九戸郡を本拠とする金姓久慈氏は清和源氏南部氏より養子修理を迎えて源氏に改姓、
さらに政信の代に近衛家の猶子となり藤原氏に改姓する。
 また金は、今、昆、紺などと通じ、本姓金姓の金野、今野、昆野、紺野なども多く存在する。


こんな過去の事実もある

確かに当時の日本の朝廷は金氏を此のように認識していたのは事実
それぞれの民族性が確立した現代と違って
日鮮民族を明確に区分けするのは古代に於いてはかなり難しい

で 朝鮮だが

夫余由来の白衣の風俗を受け継ぎ

古代のアメリカ原住民インディアン由来のトーテムポールの風習を伝え

アリラン スリランのツングースであるエヴェンキ族の歌を受け継ぎ

東南アジア由来の鳥居にソッテをかかげ

高句麗由来のチャンスンと言う 天下大将軍・地下女将軍の標を立てる

元の支配下では 高麗王族がモンゴル名を名乗り婚姻関係を結んだ
驚くことに 王族はモンゴル名を持っていたのだ
足利将軍が マルコ・ポーロとかジョン・マッケンジーとか名乗るのと同じ
我々の常識から見て 信じられん事をやっていた

わからん

李氏朝鮮は迎恩門と言う明の特使を迎える門を作った
 
時を経て
日本が清を倒した時 同じ場所に独立門を建てた 清からの独立を祝ったものだ
清からようやく独立した よほど嬉しかったのだろう
日本が清を倒した結果 たなぼたであろうが清から自由になった

我々が彼等の立場なら 清に勝った日本に感謝するのが普通だが
彼等は違う受け取り方をする
独立という事実は 自分たちの天への祈りが通じたと感じたらしい
この時点で日本はもはや関係なく 現実の因果関係はどうでもよく
独立が神或いは天から授けられたと信じたらしい

漢籍や 三国史記などを読むと
高句麗・百済・新羅など狡猾な面はあったがストレートで分かりやすい国民性を持っている

だが 高麗 李氏朝鮮と 読み下すに連れ
なんか ゆうに言われぬ複雑な鬱屈さを感じる
昔の 高麗以前の 剛勇 奸計のしぶとさが失われている
古代と同じ民族なのだろうか?

現在の朝鮮族は 
同族である ツングース女真を オランケと侮蔑し
人口の半分である漢族を チャンケと呼び
更に 一部を占める 倭種を チョッパリと呼ぶ
満州朝鮮族を同族として受け入れていない

韓国の事を調べて この事を理解した
司馬遼太郎の本で 夫余が如何に 疎外されているか分った
わずか 数十年前 過去の百済の地 全羅道は差別の対象だったのだ
何故自らを拒否するのだろう?
自己矛盾そのものだろう

何故彼等は自己矛盾を平気で受け入れるのだろうか?
差別することによってしか得られないアイデンティを彼等は理解してるのだろうか?

自己矛盾そのものだが ?

いや 理解する能力は 今は 残念ながら 多分無い
盲目的に デモや市民行動などの示威行動を繰り返している
社会的成長を待つしか無いだろう
浮ついた民族を信じるのは難しい

自民族が立脚する基礎を否定する 信じがたい事だ
自己肯定を理解せず 他者を理解する事は出来ない

現代でもローソクデモや 日本への憎悪 慰安婦像の世界への撒き散らしなどがある
世界の人々に訴え賛同者を増やし誰かに自分たちの願いを叶えて欲しいと真摯に願っている
彼等は他力本願の世界に生きている 自力本願ではないな

彼等にあるのは 自ら望む世界への願望であり そのための祈りだ
現実処理の具体的行動がみられない
ただ 叫び 罵り ひたすら祈っている 
自分にとって理解出来ない行動だ

何のメリットがあるのだろう と 考える

迷いもなく 衝動的行動しているのだから 
何か感情的情動があると思われる
しかし 彼等の心情を理解しようとするがわからない

国民病?と言われる 朝鮮人特有の火病と言う精神状態があると聞く
そのような症状を呈するのはわかるとしても
なぜそのような過激な精神状態になるのかは理解不能だ

ただ なんとなくわかるのは 
観念論で生きている人達は 自分の観念の世界が唯一の現実

他者から見て いかに現実離れに見えようと
それが 彼等の世界の現実 基準が違いすぎる

でも 彼等はその観念論を大事と信じるのであるから
結果は彼等に任せるべき 彼等の自己責任であり我々と無関係な事だ
我々がとやかく言う筋合いはない

彼等にとってはそれが真実なのだ
喜怒哀楽の振幅が大きい 中身はまるでガラス細工のような心を持った人々だからだ
情動が彼等の行動基準

付かず離れず 深入りせず 親しくせず かと言って敵視せず
精神的距離を置いて是々非々で付き合うべきだろう
それがお互いの調和を保つ為の交際方法だろう

今朝も暑い
旱魃にならなければいいが 



最新の画像もっと見る