今日は敬老の日(wikipediaより)
「国連の世界保健機関 (WHO) の定義では
65歳以上の人のことを高齢者としている
65 – 74歳までを前期高齢者
75歳以上を後期高齢者、85歳以上を末期高齢者という
因みに 人口の年齢構造では、0 – 14歳までを年少人口
15 – 64歳までを生産年齢人口 65歳以上を高齢人口という」
と言う
これに従えば自分は高齢者ではない
だが 孫が出来た54歳で きっちりじいちゃんになった
妻は おばあちゃんと呼ばれることに抵抗を示したが
俺は なんか嬉しかった
男は 全てとは思わないが じじい願望がある
早く年をとりたかった
早く人の義務を完了したかった
早く精神的に楽になりたかった
得るものがあれば失うものもある
心の安定は得たが 体は 体調は不安定になった
あちこち ガタピシゆうし
全力で100メートル走ると 死にそうになる
1センチの段差で蹴躓く
忘れ物をして家に戻り探そうとしたら
何を忘れたのかわからない
電車に乗ってから 鍵閉めたかわからなくなって
ま 盗られるものも無いからいいやと 無理に安心する
ご飯を食べると必ず一粒二粒の米粒が膝のジーパンの上にある
Tシャツの胸に 夕方 飯粒が 干し米になって貼り付いていたこともある
トランクスを裏返しに履いて 風呂でそのことに気づき
裏返しに履いたことより
1日中 違和感を感じなかった自分
そのことに 愕然と落ち込む時も多々あるようになった
神様は二つのものを与えてくれない
神様に文句言っても
そうなんだからそうなんだ
って 返事しかかえってきそうもない
無駄なあがきは やめることにした
好みが変わる
昔は 花なんて まったく興味がなかった
自然に和むなんて無かった
ただの通り過ぎ行く風景にしか過ぎなかった
生活するのが手いっぱいで それどころではなかった
ものの微細に飽きることがなくなった
自分の周りは人も含めてワンダーランドになった
世間様がどのように動こうとも
批判も怒りも起きず
余計な心のエネルギーを消耗しなくてすむ様になった
やはり プラスマイナスすれば じじいはお得である
じじいになるため 子供であり若者であり壮年であった
その時代が必要であった
とみに思う 今日この頃である
昨日のご飯

妻に食わせる時は 見てくれも大事だ
たいしたことない食い物を夕飯らしくする
30分の夕飯の用意
人に食い物を作る
これはこれで楽しいものだ
昨日も 事もなし
また 朝が来た