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AB19450916VIRGO
 

鬱陵島の別名 竹島 ま 昔の事だ

2012-10-24 21:03:51 | 極東古史考

歴史の事を言い出したらとどまる地点はない
落としどころがない
領土問題はやはり 敗戦処理の問題と思う

1991年講談社の全日本史から

鬱陵島 つまり竹島をめぐっての 幕府と李氏朝鮮の合意である

その名残として 竹島の名が右端の小さな島に残っている
今の竹島は 松島と呼ばれていた
対馬の宗氏は日本と朝鮮の仲を取り持つ役目であったので
朝鮮と幕府のバランスをとるのに苦労したと思われる
そのポジションは 微妙である

当時の幕府の認識は 竹島は鬱陵島の事であり
現在の竹島は 松島と言う 単なる寄港地であった
独島なる地名は 探すが 見当たらない
当時の李氏朝鮮史をあたれば わかるだろう
呼び名が初めから違う ここから誤解が生じたのだろう

朝鮮の昔の教科書
ネットから拾った 調べる必要がある
東経130度35分 鬱陵島である 朝鮮における極東である
はて?
普通に日本海表記もある
これが当時の日朝の認識であった

琉球 つまり沖縄も 微妙である

我々の縄文のDNAを色濃く持つ人たちである
近世史では 島津藩に制圧された 尚氏王国
この時点でも 明との冊封体制は崩していない

沖縄の人々は 今でも 日本人をやまとんちゅうと見ているのだろうか
アイヌが日本人をシャモとよんでいたように

日本人は倭種と縄文が混血した民族
どちらもご先祖様なのだ
日本人とは 誰なのか 考える
同族と考えるのは 我々の傲慢なのだろうか

細かな歴史 埋もれている歴史を拾うのは現代人の義務と考える

真実だけが 価値あるものと思う
都合のいい歴史を拾うのは 道を誤る
そう 思う


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