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父の終戦と満州ひきあげ記 4〈開拓団の生活〉

2021-02-26 20:27:00 | 日記
スマホで簡単にいろんなブログを読めるようになっている現代。

5年前に肺癌でなくなった父が
残した幼い日の記録を

私たち家族だけではなく
どこかの誰かにも読んで欲しいと
ふと 思いついて書きます。
父の満州の思い出を。


開拓団での生活


開拓団では、すべてが馬だった。
畑を耕すのも出掛けるのも。

鞍をつけずに どんごろす をのせ、その上にのるのだが、わたしには馬の背が高すぎて乗れないため 峰さんに抱き上げてもらい乗っていた。

尻が痛くなり 赤くはれていた覚えがある。


満州の記録サイトより写真引用



照男と満男

照男は当時5才だった。
おとなしい子で、あまり記憶に残っておらず申し訳ない。
満男は誕生日が来たと 母が言っていた。
乳牛がいて、毎日乳しぼりをやっていた。毎日 牛乳ずくめ。水のかわりに牛乳を飲み、飯にも汁にも牛乳が入っていて、伝い歩きをしていた満男が みるみるうちに まん丸くなり、可愛くなったのを覚えている。

開拓団の学校

小学校は馬車で通った。
峰さんと二人の時もあれば、村の女の子二人を乗せて行くこともあった。

最初の頃 峰さんが
「しっかり持っていないと橋が落ちるど」と、橋の上を通るたびに言うので、本当かと思って馬車にしがみついていた。
今から思うと、変な話だ。
馬は校庭につないでおく。学校の帰りには、湿地の中で“かえどり”をして 魚をたくさん採った。大きなナマズがいた。

学校の授業は遅れていて わたしは天狗になっていた。

女の子はひとりは坂本といい、同級生だった。
のちに手榴弾で、親と一緒に死んだ。
もうひとりは高村きみちゃんで1級上。
満州から引き揚げて 、市村小学校に一緒に転入した。

のちに青酸カリを飲んで死ぬことになった時、
きみちゃんの親が飲む番になって便所に行き、その次の順番だった わたしの母が飲んで死んだのだ。










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