せっかく散歩に出かけたけれど、
早々に取りやめセブンに逃げ込みました。気になる近所の写真を撮る間もなかったので、
今週通勤途中に撮った白鳥さんでも。
シベリアに帰る準備でしょうか。
日の出のお目覚めの頃は賑やかでした。
久しぶりに土日休みです。
とはいえ、月曜日はまた潮来に出張なんですけど。
仕事が立て込んできてこなし切れなくなっちゃって、持ち帰ってきてる会社のパソコンにさっきまでデータの打ち込みやってました。
今週中に提出することになってる報告書をやっつける必要もありまして。
昨日遅くまでやってりゃやれないこともなかったんですけど、
奥さんと晩御飯一緒に食べたかったから、やらずに持ち帰り。
思えば会津にきて仕事の帰りは遅いは、土曜日はほぼ会社に行くはで、
奥さんにも不規則な生活をさせていたのも腎臓悪くさせちゃったのかもなって思ったりもしてるのです。
なので、最近は遅くならないようにはしてるんですけどね。
今回はまあ仕方ないです。
昨日は震災から11年目で。
会社がある街、というか部落でも黙祷のサイレンが鳴り響きました。
震災の日のことはよく覚えてるよって奥さんとLINEでやりとりしました。
あの日ひとりじゃなくて良かったねって奥さんからLINEの返しがありました。
あの頃はまだ郡山にいて、
あの日は夜勤だったんで近所の蕎麦屋で遅いお昼を食べて、
途中奥さんはベニマルに買い物しに行って、マンションに戻ってトイレして出たときに始まって。
リビングのテレビがグラグラ揺れ始めて慌てて倒れないように押さえに行ったらますます揺れて、テレビ押さえたまま動けなくて、食器棚から皿とか出てきたり、電子レンジが床に落ちたり。
うわあああって感じでした。
ようやく収まって、
奥さんは大丈夫か?って心配になり外に飛び出したら、雪がボサボサ降ってて。
なんだあんな天気良かったのに、と思いながら中に戻って上になにか羽織ってまた飛び出してスーパーに行ったら奥さんいなくて。
更に心配になりながらマンションに戻ったら奥さんいてホッとしました。
別な道通ったからすれ違ってたんですね。
それからは原発の事故にはらはらしたり、ガソリン買えなくてヤキモキしたり、水出ないんで公園に支援にきてくれてた自衛隊の給水車まで毎日取りにいったり、5日間風呂入れなくて無料で解放してくれた銭湯に入りに行ったり、煙草を買いに街中さまよってたら地元の久留米から応援にきてくれてた消防車みかけてうるうるきたり、朝外にでていわきに続く国道に出たら、たくさんの車がいわき方面に向かってるのを見てまてうるうるしたり、
なんてことがしばらく続いたのでした。
あの時ひとりじゃなくて良かった。
郡山でさえあんなだったから、
浜通りの方々や津波の被害に遭われた方々がどんなだったか想像も出来ません。
ともかく奥さんを守らなければと思っただけだったのが、人として未熟だったと思います。
かといって相変わらず何かやれるとかやろうとしてるわけではないんですけどね。
今もそうで、
ウクライナで国を守ろうと戦っている人たちはどんな思いでって想像することしかできません。