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世界最高齢116歳日本人女性死去、、近未来日本100歳以上51万人超?超高齢化社会で団塊ジュニアの終焉?もうすぐ日本人を襲う「恐ろしい悲劇」社会?2024年12月、2025年1月報道より、、

2025-01-09 16:00:15 | 日記
幸、不幸? 超高齢化 近未来


、、備忘録、、
 各報道 ~校正あり~ より、、

 、、まず はじめに、令和7年
 2025年1月4日(土)報道記事より、、

、、世界最高齢・芦屋市の女性が
 老衰で死去 116歳、、

 兵庫県芦屋市は、
世界最高齢の

糸岡富子 さんが 令和6年

2024年12月29日の
午後9時3分に 老衰のため、
芦屋市内の特別養護老人ホームで
死去したと発表しました。
116歳でした。


 糸岡さんは 1908年5月、
3人きょうだいの長女として、
大阪市で 生まれました。


 令和6年 2024年8月に
スペイン人の女性が
117歳で亡くなったことを受け、

世界最高齢者 と なりました。


 芦屋市内の特養ホームで暮らし、
乳酸菌飲料を好んで
口にしていた ということです。


 芦屋市の
高島崚輔 市長は

「糸岡さんは、
その長い人生を通じて 私たちに

大きな勇気と希望を
与えてくださいました。

改めて感謝申し上げます。

ご家族やご親族の皆さまにも、
心からお悔やみを申し上げます」

とコメントしています。

、、以上、2025年1月23日(月)1915報道記事より、、校正あり からでした、、

 つづいて、日本の
超高齢化社会、近未来予想図
について、、の報道記事より

、、以下、2024年12月23日(月)1915報道記事から、、校正あり、、

、、団塊ジュニアの終焉?…
 もうすぐ日本人を襲う、、
 「恐ろしい悲劇」、、

 2050年の日本では、

100歳の人口が
50万人を突破している
と予測されています。


 経済産業省
『2050年までの
経済社会の構造変化と
政策課題について』
などとともに、

世界でもまれに見る
少子高齢社会の日本で

「働き、生きる」厳しい実態を
見ていきましょう。

、、「人生100年時代」
 比喩ではない 圧倒的現実、、

 生産年齢人口の減少が
叫ばれるようになって
久しい日本社会。

 これからの 私たちの生活は
大丈夫なのか?
不安が募る ばかりです

が、

経済産業省

『2050年までの
経済社会の構造変化と
政策課題について』
(平成30年)には

下記のように 記されていました。


“・急速な少子高齢化、
人生100年時代の到来
という経済社会の
急激な変化を踏まえると、

システム自体の改革を行うことで、

子どもから若者、子育て世代、
現役世代、高齢者まで、

全ての世代が
安心できる社会保障の基盤を
構築する必要が
あるのではないか。


・高齢者は
年齢に比して 元気になっており、
人生100年時代は
大きなチャンス。

いくつでも、意欲さえあれば
働ける生涯現役、
生涯活躍の社会を
作る必要が あるのではないか。”


「人生100年時代なんて
比喩でしょ?」 と考える方も
いるかも しれません

が、

2049年には
100歳以上の高齢者が
51.4万人になる見通しが
立てられています。


 実際、同資料の掲載時点の

平均寿命は
女性87.26歳、
男性81.09歳であった一方、

死亡数のピークは
女性93歳、
男性87歳で あったこと

が明かされています。


 出生数は

2016年に100万人を割り込んで
以降、
減少の一途を辿っており、

2023年の出生数は
72万7,277人と記録されています
(厚生労働省)。


 今後 日本の人口は
2050年に 1億人を下回る見込み
であり、

生産年齢人口は
加速度的に減少していきます。

15歳~64歳が著しく減少し、

65歳以上が
もっとも増加すると
考えられているのが 2038年。

その後、高齢者の増加幅は
落ち着いて いきます。


 そして その2年後の 2040年、

日本を襲う大問題を
ご存じでしょうか?


  それは、
「団塊ジュニアの引退」です。


 、、急増する社会保障費…
解決策は「働き続ける」しかない
現実、、、


 団塊ジュニアとは、
第2次ベビーブーム世代のことを
指します。

おおよそ1971年~74年生まれ
であり、
現在49歳~53歳の方々です。

度重なる不況に
苦しめられてきた団塊ジュニア。



 ひとつ前の世代は

バブル期であり、
売り手市場のなかで
勤め先を決めたものです

が、

団塊ジュニアの彼らは

就職氷河期に身を置き、
職を手にしても なお、
厳しい生活を
余儀なくされました。


 およそ 15年後、

団塊ジュニアの方々が
皆65歳以上になり、

生産年齢人口が 大幅に減少、
社会保障費が 急激に増加すると
推測されています。

これが「2040年問題」です。


 団塊ジュニアが
現役世代ではなくなったそのとき、

日本が受けるダメージは
尋常なもの ではありません。

そんな折、示されているのは、
「働き続ける」という
シンプルな 答えです。


、、“高齢者が支え手になれば、
 無理なく支えられる社会へ、、


 もし 仮に、65歳以上を
「支えられる側」と仮定すると、

2017年に
現役世代2.1人で1人の高齢者を
支えることに。

2065年には
1.3人で1人の高齢者を
支えることに。


 また 仮に、75歳以上を
「支えられる側」とすると、

2017年に
現役世代5.1人で1人の高齢者を
支えることに。

2065年であっても、
2.4人で1人を支えることが可能。”

経済産業省
『2050年までの経済社会の
構造変化と政策課題について』
(平成30年)


 老後も働いて
お金を稼ぐのであれば、

相応の給料を期待したい
ところです

が、

平均給与のピークは
55歳~59歳の「545万円」です
(男性712万円/女性330万円。
国税庁『令和5年分
民間給与実態統計調査』)。


 「定年後も働く」…決意の先には
「給与半減」の混沌、、

 ちなみに
団塊ジュニアの該当する
「40代~50代の平均年収」
について見てみると、

40歳~44歳の
男性が 612万円、
女性  343万円。

45歳~49歳の
男性が 653万円、
女性  343万円でした。

 50代の平均年収の場合、

50歳~54歳の
男性が 689万円、
女性  343万円。

55歳~59歳の
男性が 712万円、
女性  330万円。


 生涯現役に向け、
高年齢者雇用安定法の改正
なども 行われていますが、

定年後の再雇用制度が
整っている企業も
多いとは 言えません。

 どんなに働き手として
キャリアを積んでいた
としても、

嘱託社員になった瞬間に
給与半減……といった事態は
実際に起きています。


「団塊ジュニア」、
そして「団塊ジュニアに
支えられていた世代」に

もう間もなく襲い掛かってくる、
避けられぬ悲劇。

給付問題ばかりが
取り沙汰される昨今ですが、

長期的な保障に
目を向けることが
求められています、、

 、、以上、令和6年
 2024年12月23日(月)報道記事より、、
、、、

再掲載

 幸、不幸?
  超高齢化
   近未来


人生幸福とは?、、生きづらい現代社会。運命は残酷。【しかし】、殆どの人が勘違い「幸福な人生」と「不幸な人生」を分ける「シンプルな答え」とは?2024年11月24日(日)報道より、、

2025-01-04 17:48:12 | 日記
 謹賀新年
  本年も どうぞ
「575、ブログ、はじめました。」
  宜しく 御願い致します

    令和7年 2025年

 それでは、今回の 575...
、、、、、


地位評価
 よりも、内面
     幸福を



、、備忘録、、報道、、令和6年
 2024年11月24日(日)6時報道
 記事より、、校正あり、、、



 現代社会は、
とにかく生きづらい。
そして運命は残酷だ。

生きていくということは、
なんて苦しいのだろう。


 しかし、
この「苦しみに満ちた人生を、
いかに生きるべきか」
ーーこの問題に
真剣に取り組んだのが、
19世紀の哲学者・
ショーペンハウアー。


 哲学者の梅田孝太氏が、
「人生の悩みに効く哲学」を
わかりやすく解説します。

本記事は
梅田孝太
『ショーペンハウアー』
(講談社現代新書、2022年)
から抜粋・編集したものです。


 、、幸せになるための
 「3つの財宝」、、

 ここからは さらに、
『幸福について』の内容を
詳しく見ていきましょう、、


 先述したとおり、まずは、
幸福の礎となる「3つの財宝」
について規定、、、

 要は、それらを
持っているかどうかで、

幸福な人生になるかどうかが
決まってしまうのだ

というのだ。

 その 3つの財宝 とは?、、


 第1に、
「そのひとは何者であるか」。

すなわち、
人柄や個性、人間性などの
内面的性質が第一の財宝とされる。

そこには 健康や力、美、
気質、徳性、知性、
そしてそれらを磨いていくこと
も含まれるのだという。



 第2に、
「そのひとは何を持っているか」。

これは、
金銭や土地といった財産、
そのひとが
外面的に所有するものだ。



 第3に、
「そのひとは
いかなるイメージ、表象・印象
を与えるか」。

これは、端的に言って
他者からの評価であり、
名誉や地位、名声である。

、、、

 これら3つの財宝のうち
わたしたちは たいてい、
第2のものや第3のものを
追い求めてしまう。

まさに これらは、
「~がほしい」、「~されたい」
という欲望の対象で、

どれほど多くを手に入れても、
決して 満足できないもの
である。

、、、

 したがって、

何かを手に入れさえすれば
幸福になれるという考えは、

取り去るべき臆見

だといえる。


 もちろん、こうした
第2、第3の財宝が
まったく価値がないものだ
ということではない。

生きていくためには
これらが必要であることは
言うまでもないし、

それらを手に入れることを
よいことだ

とわたしたちは
当然考えているし、

社会生活もまた
それらの価値を中心に
出来上がっている。


 そうしたものを
一切捨て去るべきだ
というのが
主著の〈求道の哲学〉だ
とするならば、

『幸福について』で
力点が置かれているのは、

第2、第3の財宝

よりも

第1の財宝のほうが
価値あるものだ

という「優先順位」を
「あきらかにする」ことである。

、、、

 結局のところ、
「~がほしい」、
「~されたい」
という欲望を節制し、
コントロールできるような、

「穏やかな内面的性質」を
備えているひと こそが

幸福な人生を送る
のではないだろうか。

、、、

「内面的な性質」は 不変である

すなわち、
ショーペンハウアーによれば、

あるひとが幸福な人生を送るか、
それとも
不幸な人生を送るのかは、

第1の財宝である
「内面的性質」に
最も左右されるのだという。


 たしかに、
人生の道行きの中で、
その出発点に
何を所有していようとも、

またどんな出来事が起き、
ひとにどう思われる
に至ろうとも、

それをどう感じるかは、
そのひとの
「内面的な個性」による。


たとえば、
気高い性格や、明晰な頭脳、
楽天的な気質、心根の明るさ、
心身ともに健康であること、
こうした諸性質を
いくらかもっていて、

「さらに」
「維持増進」していける人は、

「幸福な人生」を送るための
基盤が
備わっているのだ
といえる。


わかりやすいのは
心身の健康だ。

これがないと、
どれだけ多くの財産を
持っていても、

そもそも
楽しんだり快楽を感じたり
することさえできず、

幸福だ とは言えないからだ。

、、、

 わたしたちは たいてい、

「~さえ手に入れば、
~に認めてもらえたら、
~にさえなれれば
幸せになれる」

と 考えてしまいがちだ。


 が、


何が手に入ろうと、
誰に認められようと、


陰気な者は
決して喜ぶことができず、

憂鬱な気質の者は
ずっと不安から逃れられない。


気高い性格をした者は、
世間が羨ましがるような
莫大な財産や高い地位など
持って いなくても、

自分が自分であるだけで
満ち足りていて、
「誇り」を失うことがない。



 ショーペンハウアーによれば、

陽気であったり
陰気であったりする気質や、

明るかったり
憂鬱だったりする
気分の

原因となっているのは、

身体の奥深くに備わっている、
不変の「内面的な性質」
なのだ という。

、、、

 、、内面的な性質は、
心の中で
「受容力と再生力との
バランス」を生み出すものだ
(邦訳34頁)。


わたしたちの「心」は、

外面的な刺激を
さまざまな仕方で受け止め、

また通常の状態に戻るための、
心の反応力とでも呼ぶべき

「力」を備えている。


それが
どの程度の強さなのかは
ひとによって異なっていて、

明るい気質のひとは
何が起きても軽やかに受け止め、
次のプロセスにすぐに進もうと
軽やかな反応を見せるだろう。


 これに対して、
憂鬱な気質のひとは、

どんな出来事にも
過度の感受性を示して
重く受け止め、

細部まで探り尽くさないうちは
不安で決して次に進めない
ものである。

、、、

、、「内面の富」を
   見つめること、、

 以上のように、
ある ひと が
いかなる「内面的性質」を
もっているのかが、

「幸・不幸を隔てる
最も重要な要素」となる。

これを
ショーペンハウアーは
「内面の富」と呼んでいる。


 わたしたちは たいてい、

財産や他者からの評価など、
外面的なものに
気を取られてしまいがちだ。


 だが、


「内面の富」を持っている者は、


「まったく輸入せずにすむ国が
いちばん幸福であるように」、
外からやってくるものを
必要とせず、
「自らに満足」できる。

すなわち、

だれでも、
自分にとって
最良で肝心なことは、
「自分自身」であることに
ちがいないし、

自分にとって
最良で肝心なことは、
「自分自身で」成しとげるものだ。


自分にとって
最良で肝心なことが
多ければ多いほど、

したがって、自分自身の
「内に見出す楽しみ」の源泉が
多ければ多いほど、
それだけ「幸福」になる
(邦訳48頁)。


 もちろん、
財産の多寡や他者からの評価
などの外面的な富を
まったく気にせずに
いられるひとなどいないだろう。

わたしたちは
日々これらのことを気にかけ、
神経をすり減らしている。

だが、

ショーペンハウアーは
以下のように断言する。


およそ生あるものは、
自分自身のために、
何よりもまず
「自分のために独自の生」を営み
生存するほうがよい。


──どんな在り方でも、
自分自身にとって
最優先すべき
最も大切なことは、

「自分は何者なのか」
ということであり、


もしも、たいした価値など
ありはしないというなら、

そもそも、
たいしたものではない
のだろう(邦訳175頁)。


 外からやってくるものよりも、
「内に備わっているもの」こそが、
「幸福の源泉」なのである。

財産や他者からの評価
よりも、

自分で自分を評価し、
そうして見出した
「内なる本質」を育て、
開花させていく
「孤独な営みこそが、幸福」に
つながっている。


 もしも
自分が「内面の富」なんて
一つも持っていない、
そんなたいした人間ではない
というなら、

そんなちっぽけな者が
どうなろうと、

そもそも気に病む必要など
ないだろう。


 何をどれだけ手に入れたか、
ひとからどう思われたか。

こうした 外面的なことがら

よりも、

「自らの内に
もともと」宿っている「富」に
目を向けることが
重要なのだといえる。

たとえそれが
いまだ種でしかなくと、
いつか花開いて実を結び、
幸福という収穫をもたらす
その日まで
水をやり続けること。

それが
ショーペンハウアーの教える、
幸福への第一歩なのである。



、、以上、2024年11月24日(日)
6時報道記事より、、
、、、、、

、、再掲載、、

 地位評価
  よりも、内面
      幸福を