上円下方墳に行きたいと前々から思っていたもので行ってきた。
復元された貼り石がものすごい迫力だった。
武蔵国造の一族の墓らしく、馬の飼育で朝廷と深い繋がりがあったらしい。そのため天智天皇陵(広義には八角墳だが)と同系統の上円下方墳を建てれたとのこと。
武蔵国造と言えば武蔵国造の乱で有名。エミシとのフロンティアとして古代から重視されていた。
当古墳は7c後半に築造され武蔵国府から数キロほどの所に所在する。東山道や品川街道から来た中央の役人や商人にアピールするためにここに作ったものと思われる。石室は胴張り式の複室構造横穴式石室と言う武蔵国独自の形態。この形態は百済や新羅の石室を模倣し改良して開発したと言われる。
参考文献
府中市ホームページ
古墳マップ
Wikipedia
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます