前回の続きです。
ビットコインはもともとは決済手段として考えられたのですが,値動きが激しくて投機の対象になりやすいのです。決済手段としてビットコイン通貨を両替する人たちはほとんどいなくなってしまい,右を見ても左を見ても値上がり益を期待してビットコイン通貨を保有する人たちばかりの状態となってしまいました。いずれにしても,ビットコインの値上がり益で得る収入も不労所得に変わりはないので,やはり道徳的価値観を持った人たちにとっては許しがたいのです。
では,労働は貴いものだという道徳的価値観とはいったい何を根拠として形成されたのでしょうか? 恐らく,労働は経済的価値を生み出す源泉であるという経済学でいうところの労働価値説に基づいているのではないかと推測しています。しかし,更に脱線するのが目に見えているので,ここではこれ以上立ち入らないことにします。
少し話を戻します。不動産や株式などの売買では必ずしも利益を得られるとは限らず,損失が発生することのほうが多いくらいです。不動産取引で損失を出したとか株式運用で損失を出したなどの話は,道徳的価値観を持つ人たちにとっては非常に耳障りが良いことに間違いはないのです。
バブル経済崩壊後からやっと始まった「金融ビッグバン」(金融制度自由化,証券売買市場整備,手数料自由化など)によって,個人でもインターネット上で手軽に株式売買取引が可能になったのはつい最近のことです。いわゆる個人投資家人口は増加しましたが,それでもまだまだ少数派です。日本銀行が公表している資金循環統計によると,2017年の速報では個人金融資産(家計)の株式や債券などの証券に占める割合はせいぜい20%弱なのです。50%強は銀行の預貯金で,約30%は貯蓄性保険で保有しています。個人投資家は道徳的価値観の呪縛に捕らわれた大多数から白い目で見られながら日々奮戦しなければならないという現実を受け入れなければなりません。
この資金循環統計2017年(最後のページ)は投資信託分配金総額の約半分はいわゆるタコ足配当だったことがわかるちょっとショッキングな内容です。タコ足配当というのは運用益からの分配ではなくて運用元本の一部を取り崩して返却することですから,手数料を負担して預けたお金を再び手数料を支払って運用先から戻してもらうことをやっているわけです。いずれにしても手数料で商売する金融機関だけは必ず儲かっているのですが,投資信託の運用実態については不透明なところが非常に多いのです。
(続く)
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