お彼岸を過ぎ、10月の声を聞くころになるとさすがに風が爽やかになり、過ごしやすくなる。
近年はお彼岸を何日か過ぎて、やっと夏の終わりを感じる。
暑さ寒さも彼岸まで…と幼いころから聞き慣れているが、もうすぐこの言い回しも忘れ去られてしまうのではないか。
数年前からこの時季になると猛暑の夏を思い出す習慣がついてきた。
つらつらと今年の夏を振返る。コロナ禍で三密を避け、人がほとんど行かないような湧き水巡りをした。ていうか、主人が行くのを私はくっついて行っただけなのだが…
でも例外のところが1ヵ所ある。
三重県桑名市の桑名宗社(春日神社)。
そこで行われた鍛錬打ち始め式に、気温37℃を超える中参加した。
桑名宗社は県指定文化財の歴史的にも極めて貴重な、奉納刀村正を2口所蔵している。
村正といえば徳川家も恐れた妖刀として有名。
太平洋戦争下、桑名宗社に伝わる村正に漆を施し、刀を守るため神社外に疎開させた。
戦後、この令和の時代まで漆は剥がされることはなかったが、漆を取り除き地刃を研ぎ上げる令和の御大典事業が行われた。(桑名宗社のHPから抜粋)
以上のことはNHKの特集でも放映された。さらにネットで調べると宝刀村正写し奉納プロジェクトとしてクラウドファンディングとして紹介されていた。
私は即決で支援を申し込み、鍛錬打ち始め式の招待を受けたという次第だ。
3月に予定されていたのが2度の延期で、8月に開催された。
連日の猛暑で、外出する行為に危険さえ感じられたが、折角のご招待。鍛錬打ちなど、滅多に経験できることではないので、いつものように主人に運転してもらい出掛けた。
猛暑で人通りがほとんどない街中で、神社の周辺だけが渋滞しており、境内も賑わっていた。
つきあってもらったお礼の意味もあり、手打ちするのは主人に頼んでいたが、受付がすませて順番が来る間際になったところで、「せっかくの記念になるから、やっぱりお前が打て」と急に言ってきた。
30~50代の女性の参加が多く、みんな火花が飛び散ることも気にせず打っているので、じゃあ、私もと、意を決した。
最初に聴いた打ち出しを始めるときの作法を思い出し、まず一礼してから大鎚を持ち、切り株の上で3度打つ。
次からが本番だ。窯から出てきたばかりの鋼を大鎚で3度叩き、大鎚を元の場所に置き、最後に一礼という手順。
私はちょっと緊張をほぐすため空打ちと本打ちの間、腰を下ろして鋼が窯から出てくるのを待った。
その姿が目に留まったらしく、刀職人の方から「今まで火打ちされたことがありますか」と意外な言葉を受けた。
「腰を下ろして待つのは、正式な作法です。びっくりしました」と思わぬことを言われた。
「いえ、楽にして待ってようと思っただけです」と言い、数秒後に「しまった!余計なことを言わなきゃよかった」と後悔…その場で、にこっと微笑むだけで私の印象が変わっただろうに…
刀は太古の昔から神にささげる宝物だったので、作る段階から人間は腰を低くして見下げてはいけないという作法があったのだろうかと想像を巡らせた。
神社の方に写真を撮っていただき、主人には動画を回してもらい、ちょっと照れくさかったが無事に終わった。
三重放送の中継でマイクを向けられたが、歯切れが悪い口調でしゃべったので、きっとボツになっただろう。
最後に宝物館で本物の村正を見て宮司さんの解説を聴き、漆黒の村正を紹介したNHKのビデオを再び見た。
ゲーム等の影響もあり、刀剣ブームと言われて久しい。
日本を象徴する美術工芸品の頂きともいえる刀。
恐ろしくもあり、妖しげでもあり美しくもある刀を伝承する職人さん方に敬意の念を抱き、神社を後にした。
追記:境内の片隅で売っていたカラマンシージュース(シークアーサーの8倍のビタミンC)がおいしかった