昭憲皇太后は五摂家の一つ、一条家で過ごされていた時に邸内に作られた物見の台より屋敷の往来を歩く庶民の姿をご覧になられて、外の世界への見聞を深められていたということです。
こうして外の様子をご覧になられながら、父君・一条忠香公やお付きの侍女たちから、物売り等の説明を受けられたり、又自分と同年齢の子供達も親を手伝い働いている姿も見られて、その姿からご自身も勉学に励まれたといいます。父君は幼い姫君達と共に物見の台(うてな)に登られた時には、
一条忠香公
「あれ見られよ、幼(いと)けなき者まで、父と共に終始励み勉(つと)めるぞかし。あはれ御子達もあの如く学びの道に励まれよ」
そう言われて深く戒められたのことです。
テレビでも言われていましたがこの物見の台(うてな)はさながら現在のネットということになるでしょう。
ネットは様々な情報が溢れています。そして様々な見方や、意見を持っている人たちが多いことを知るのです。
mayuさんが記事にされていましたが、昨今は、陰謀論等が特に多いとの事です。コロナの影響です。それを本気で信じ込んでしまう中高年が多いとの事です。
その人たちは山本リンダさんの
「噂を信じちゃいけないよ~~♪♪」
・・・・それを聴かなかったのでしょうか??
皇室に関しても事実なこと、明らかに嘘なこと、事実かどうか分からない曖昧なこと等か沢山あります。小室K氏がニューヨーク警察に逮捕されたという、ネット上でそんな情報もつい先頃に流れました。こういうタイプの噂は本当に・・・・
小室K氏が卒業アルバムやメッセージを出さず、また卒業式も出席しなかったので、そういう憶測が出たようです。まぁ本当に逮捕されたのなら間違いなくテレビ等で速報が流れるでしょう。
逮捕でなくとも、眞子内親王と小室K氏の破談を、皇室を大事に思う多くの人達は一日千秋な思いで待ち望んでおります。
高畠華宵挿絵
毎週楽しみにしている『不滅のあなたへ』今週も良かったです。
第9話 『深い記憶』より~~~
グーグーが大怪我をした経緯を知らないとは故、リーンの最初の無神経な言葉は酷いと思いました。グーグーの気持ちを思うと・・・・涙😭
リーン
「・・・・あの家にいる限りね」
グーグー
「バカバカしい。いい両親じゃないか」
「ひどいのは君の方だ。人の思い遣りを、わざわざ不幸の一つに数えて・・・・自慢じみた、愚痴を披露している。俺にはそう、見えるね」
リーン
「勘違いしないで!!私だってあなたと価値観を共有出来ると、思わないわ」
このリーンとグーグーの二人の会話を聞いたとき、まるで現在の、眞子内親王と国民との関係が、もう・・・・そのまま言葉になっている、そんな感じがしました。何てタイムリーな言葉でしょうか。
グーグーはイロイロな悲惨な思いをしているから、人の善意の有り難みを人一倍感じているのでしょう。
でも、グーグーがリーンに対してもリーンなりの境遇にも理解を示したりキチンとリーンに謝ったり、リーンも顔に大ケガをして周囲から化け物扱いされて、仮面(兜?)を被っているグーグーを
「あなたって、バカみたい」
「あなたが怪物でも人間でも、私にはどっちでもいいけどさ。でもそれって、どっちもあなたでしょう」
グーグー
「・・・・」
リーン
「全部さらけ出すあなたも、隠さずにはいられない、あなたも、どっちも変で、好きだけどな~~」
「それがあなた。あなたは、あなたよ」
「私はあなたをもっと知りたいわ、例え仮面を被っていなきゃならないとしてもね」
キチンとグーグーを受け入れたのは良かったです。
(シロガネ注・てっきり素顔のママでリーンの前に出てくるかな~~~と、思っていました)
グーグー
「さっきはゴメン。酷いこと言って」
この夕焼けのなかでの、二人のやり取りは、シロガネの皇室への思いをそのまま表現しております。
ありのママをさらけ出すお方も・・・・・
隠さずにはいられないお方も・・・・(あくまででも噂ネタですが)
そして・・・・
橘小夢(たちばな・こさめ)『玉藻の前』
真(しん)の姿が明らかになったお方も・・・・
「失礼ね💢何ていうことを書くの!わたくしは、誰もたぶらかしてはいないわよ!」
・・・・つまり、何だかんだと皇室は、大好きという訳です。ただし小室K氏を受け入れるほどシロガネに『慈愛』の心は持ち合わせておりません。
浅見松江画
皇嗣妃殿下が先頃『第2回・母子手帳国際ヴェビーナー』にリモートで出席されまして英語でスピーチをなさいました。
母子手帳の歴史を何かととても役に立つ、ウィキペディアを元に簡単に説明を致します。
母子手帳は日本独自に発展した手帳で、昭和12年(1937)に母子健康法が執行され、そして昭和17年(1942)に戦時体制のなかよく知られた『産めよ増やせよ』(国が女性を子供を産む機械にしたと、現在でも非難されています)のなかで妊産婦手帳制度が、発足しました。
そしてそれにより物質の配給の優先が保証されます。『産めよ、増やせよ』のなかでの母子の健康が様々な点で充実されてゆくのです。
当時のドイツのナチスでも似たような事をしていたという事ですが、母子手帳みたいなものは作られたのでしょうか??
戦後、昭和22年(1947)に児童福祉法が執行されましたがそれに伴い、翌年から妊産婦手帳から母子手帳へと衣替えしました。戦後の混乱時、配給もそのママでしたが、しかし当時砂糖等の特別な配給が行われたということです。
シロガネの祖母達は父方の祖母は戦中から戦後にかけて5人の子供を産み育てましたが、出産は自宅だったそうです。母方の祖母も同じく。
向井久万(むかい・くま) 『男児生る』
(向井久万が、昭和16年に初めて我が子が誕生した時の情景を描いた絵ですが、当時日本画で、こうした出産を題材にしたのは大変珍しかったそうです)
祖母の話では、当時はお産婆さんと、看護婦さんの2名が自宅に来てくれたと、二人とも言っておりました。
伊豆のド田舎でしたが、有難い事に祖母達が産んだ子供は、無事に育ち、そして次の世代に命が継承されております。
その中の一人がこうしてブログを書いているシロガネなのです。母子の健康に思惑はどうであれ、国が早くから動いてくれていましたので、こうして現在でもその恩恵を受けているのです。
高畠華宵 『楽しい我が家』
昭和56年(1981)シロガネが産まれたその年に、母子手帳は母親が我が子の成長を書き入れる方式になったのでした。シロガネの亡き母も母子手帳にそういう感じで書き入れていた記憶があるのですが、残念ながらその母子手帳は現在所在不明です。
母子手帳は日本独自に発展してゆきましたが、1980年代にインドネシアの医師が日本に来たさい、母子手帳に注目、この母子手帳は母と子の健康に貢献していると、その有効性に着目し、そして1989年に試験的に、インドネシアで配布を開始しました。
インドネシアでは、文字を読めない女性もいる為に分かりやすいように、イラストを多様し又これは各国も同じだそうですが、日本と比べて大きくA5ノートサイズとの事です。母子手帳というより母子ノートでしょう。
現在もアフリカや少数民族の女性たちは文字が読めないということも珍しくないそうで、こういう絵を多様した母子手帳は大変助かっているとの事です。
広田多津(ひろた・たつ) 『母子』
(広田多津は向井久万の妻です“母子„を描いたのは、昭和20年ですので、多津さんの心境が伺えます)
シロガネが『産めよ増やせよ』の事で調べた時、ちょと知りましたが戦後、昭和22年(1947)に第一時ベビーブームが訪れました。それは戦地等から復員した夫と留守を守っていた妻が、互いの今までの空白期間を埋めようと、一気に、子作り✨に励んだのです。そして出生率はドーンと増えたのです。
当時のシロガネの父方の祖父母もその中に入っていました。平和な世の中になり、次々と新しい命が誕生するのは、日本にとっても、希望★であった事でしょう。
しかし昭和25年(1950)頃からその出生率は一気に低くなるのです。そして・・・・爆発的な中絶ブームが到来したのでした。何故このような事になったのかと言うと・・・・、
当時のGHQが『人口増産は共産化』に繋がるとし、日本国民に『産児制限』をするよう、時の吉田内閣に要請し、そして吉田内閣はそれを受け入れ、『産児制限』をするよう国民に対して『家族計画』をするように、新聞等で『人口増加の危険性』を広めたのでした。
そのせいでせっかく増えた子供の出生率が一気に下がることになったのでした。新聞等のキャンペーンで子供を増やさないよう産まないように多くの女性が中絶という選択を選んだのでした。
今度は国策(GHQ)による『産まない増やさない』という事になったのです。
皇室ブログで知らない人はいない◆産児制限◆が、まさかGHQの意向で行われていたとは、驚きました。
しかしそんなGHQの意向や新聞によるキャンペーンも何のその父方の祖父母は子作りに励んで、5人の子供を儲けました。シロガネの父は昭和29年産まれですから、祖父母はそんなの気にもしなかったのでしょうね。(*≧∀≦*)
伊豆の貧乏人の子沢山でしたが、お陰でシロガネはこうして生を受けて今日(こんにち)までおります。
三笠宮両殿下もGHQの意向など従う気などなかったようでして、5人のお子様に恵まれました。百合子妃殿下はお身体が丈夫ではなかったとの事ですが・・・・当時の高円宮様の育児日記を読みますと、かなり心細いご心境や思いが、率直に書かれております。
上皇后陛下は戦後教育の多大な影響で、GHQの政策をいたく評価なさっていらっしゃるとか・・・・
「GHQの意向は、すなわち神様の思召同然なのよ。だから、わたくしは皇室に上がって、GHQ仕込みの“民主主義„を持ち込んだのよ。勿論『産児制限』もね。ホホホホ・・・・」
もう、大変な影響も受けていらっしゃるそうですが、勿論、民主主義をこの国に根ずかせた功績は、大きいです。
しかし、『産児制限』までも高く評価なさっていらっしゃるのでしょうか??
もしそうだと、するならば・・・・皇室に『産児制限』迄持ち込んで、GHQ仕込みの『産児制限』を、若い秋篠宮両殿下にそれを強いていらっしゃたのでは・・・・と思うのです。
皇室日記で、悠仁親王殿下のご誕生に携われた医師の方出演したさい、ナレーションでは、両殿下は常に・・・・
「皇室の為には多くの子供が欲しい」
と、そういうご希望をお持ちでいらっしゃたと語っていました。そんな至極、当たり前の希望を、当時の皇后陛下がGHQ仕込みの『産児制限』を無理やり強いていらしたというなら、皇室にとり、これ程不幸なことはなかったのです。
「ホホホホ・・・・わたくしは戦後の皇室を救った功労者なのよ」
高畠華宵ペン画
現在の皇室の人数の減少は上皇后陛下の・・・・いえ、GHQの皇室を廃止するという“呪い„(陰謀ではありません)が、その形となってきているのではないでしょうか。
しかし、お身体がご丈夫でないなか、戦中戦後の大変な最中、5人のお子様をお産みした百合子大妃殿下。
高畠華宵挿絵
そして・・・・
“美智子様„という巨大な存在を目の辺りしながらも、それに屈折することなくあえて、困難な道を歩まれることを選択され、
貴女の思案が中将湯(ちゅうじょうとう)
婦人病の玉座中将湯
四十路間近で、お腹に傷を付けられる結果となりましたが、将来の天皇と成られる、悠仁親王殿下を、お産み参らせた皇嗣妃殿下。
高畠華宵画
(現在も、中将湯は有ります。それを知ってシロガネはビックリ👀‼️しました)
「そんなに天皇の母になりたいの?だから貴女は嫌われるのよ」
「わたくしは自分に課せられた努めを果たした迄の事でございます」
橘小夢(たちばな・こさめ)挿絵
(同じお立場に成られるのに、永遠に分かり合えない嫁と姑・・・・)
それぞれの時代の思惑や巨大な存在に負けなかった、お二人の妃殿下方の子孫が後々まで、皇室や民間に血脈を繋いでゆくのです。
栗原玉葉 『初夏の朝』
スピーチをなさる皇嗣妃殿下です。素敵なお洋服ですね。あぁ~~~こういうとてもお似合いのご洋装の妃殿下を見ますと・・・・着物を作る側のシロガネとしては、どうせなら、志村ふくみさんが製作したような、
志村ふくみさん
◆数々の植物から色を取り出し糸を染めて織り上げた紬の着物◆
柔らかく明るく色彩でも、派手過ぎないこういうタイプのお着物をお召しになられて頂きたいです。さぞやお似合いになられると思います。
実は久しぶりに、ヘカテーさんのブログを訪問しましたら妃殿下のこのリモートでの英語のスピーチが取り上げられていました。ご親切なことに動画まで付けてありまして、妃殿下の英語のスピーチを聞くことが出来ました。
妃殿下は英語で
「妊娠中の女性が母子手帳を受け取り、専門家と対話するなかで、見逃していたかもしれない、リスクや困難に気付くかもしれません」
その様にスピーチされたということです。
ヘカテーさん、わざわざ動画を貼って下さってありがとうございました。
英語は全く分からないシロガネですので、目をつむって聞いておりました。流暢な(シロガネから見ればですが)英語で話される妃殿下のお声は、どんな意地の悪い怨霊でも鎮めてしまうのではないかと思うような癒しのお声でした。
あのお声でお叱りを受けても、シロガネはそんなに、いじけることはないです。でもその声で、お叱りを受けて、その事を外部に漏らして金を貰うとは、何と恐ろしく業(ごう)の深い怨霊なのでしょうね。(;^∀^)
高畠華宵挿絵
・・・・結局は、怨霊よりも恐ろしいのは生きている人間の“怨„という事なのです。
石川英鳳 『葵の上』
ヘカテーさんは面白い事を注目して記事にされていました。それは、
妃殿下の後ろの棚に置いてある、“赤べこ„です。3つありますが、ヘカテーさんの意見ですと、今年の新年で両陛下と敬宮様との御三方の映像で、この赤べこより大きいサイズが置かれていましたが、それを妃殿下がパクったという事です。
新年をお迎えの両陛下と敬宮殿下
それで3つの赤べこは、眞子内親王、佳子内親王殿下、悠仁親王殿下の姫宮、若宮様方を現しており、妃殿下はそれを
高畠華宵雑誌表紙
「皇后陛下はお一方、わたくしは、将来の天皇にならしゃれる若宮を含めて三人の御子達を産みましたのよ」
・・・・と、そう主張していると書いてありました。(妃殿下の言葉はシロガネ流に訳しました)
シロガネもヘカテーさんの意見に始めは、そうなのかな?と赤べこが3つありましたし、ちょとそう思ってしまいました。しかし良く画面を見れば赤べこは、父と母と子。親子3人にしか見えません。恐らくそうなのだと思うのですが、このヘカテーさんのその発想は思いも付きませんでした。
想像力が豊か過ぎて、ヘカテーさんは凄いな!!と、今では感心しております。イロイロ想像力が豊か過ぎて斜めを行くので、折角の皇室の膨大な知識を披露しても、それをキチンとした事実としていまいち信用出来ないと思われているのだと、シロガネは見ております。
その想像力の豊かさを“なろう系„に投稿している人たちも是非とも見習って欲しいです。そしたら物凄く面白い小説が世に出ることでしょう。
ヘカテーさんの意見は、間違いなくぶっ飛んでいますが、でも我が身の常識で括ってはいけません。多様な意見があるから面白いのです。それぞれの目線から物事を見ているという事を知るのは大事な事です。その判断は我が身自身で決めなくてはいけません。
その問題の赤べこですがご存知の方も多いといらっしゃると思いますが
会津で作られている、張り子(和紙を重ねて作られる人形)の病退散のお守りです。会津若松で作られているものです。会津若松・・・・そうです!!皇嗣妃殿下の曾祖父の池上四郎氏の産まれ育った所です。池上四郎氏は大阪市町長を務められた人です。大阪市に凄く尽くされた人なのです。
大阪天王寺公園にある池上四郎氏の銅像
(皇后陛下の祖父君・江頭氏の銅像が水俣の地に建てられるのはいつの事でしょうか・・・・いけない、余計な想像をしてしまいました。申し訳ありません)
皇嗣妃殿下はキチンと会津若松にルーツを持つ方ですので、赤べこを飾られても何の不思議もないのです。
コメントを送って下さった方が『室礼』(しつらい)と書かれていらっしゃいましたが、とても的をえた言葉です。有り難うございました。
病退散のお守りである赤べこをこうして見える形で、飾られた妃殿下の多くの母と子を病から守られる、事にこのご時世ですので・・・・そうした願いがあるのだと、そうシロガネも、コメントを送って下さった方の文章を読みまして、そう思いました。
ふぶきさんのブログでオリンピックの衣装を見ました。色は素敵だと思うのです。きれいな色じゃありませんか。夏にふさわしい涼しげな色はですが。
しかし・・・・・
??衣装は・・・・????何???アレハナンでしょう??この衣装は世間の評判は悪いです。簡単に言うと・・・・
・・・・そういう事です。シロガネはこの衣装から連想したのは、
忍者ハットリ君かと思いました。
“山を越え~~谷を越え~~ハットリ君がやって来た~~~♪♪„
でも、ハットリ君の忍者衣装の方がまだましだと、シロガネはそう見ております。
でも、ハットリ君の忍者衣装の方がまだましだと、シロガネはそう見ております。
全く!あの色で普通に着物か、小袖にでもして男は馬乗り袴(行灯袴)でもはいて、
馬乗り袴です
女性は、女性用の袴でも良かったのではないかと思うのですが??
何故あんなへんてこな物を・・・・・
裏道お兄さん 「・・・・」
変だ、可笑しい。
オリンピックにちなんで各国をモチーフにした振袖が製作されました。日本の染織の技術を駆使した物凄く!!!
素晴らしい、そして美しさの極みの着物がお披露目されています。
世界の人達も当然見ている人は多いでしょう。いくら夏に開催されるとは故、いくら何でも・・・・夏物の織物なんていくらでもあるでしょう。
“明石„です。夏物の織物です。
セミの羽に例えられるほど薄くベトつかず、さらりとした質感を持っています。
高畠華宵婦人雑誌表紙絵
世界に誇る美しい染織文化のあるこの、日の本(ひのもと)に何故?あのような衣装を世界に見せつけるのか??理解不能っていうより不快です。
ハワイ王国の王女、ルース王女。ハワイ独自の昔ながらの文化を愛し大切にされた立派な王女様なのです。正直あの衣装を最初見た時、ルース王女のこのムッとした顔が思い浮かべました。
シロガネの“心の顔„を現しております。
この衣装に批判は出ておりますが、デザインされた方、こういうご時世大変だったでしょう。そしてご苦労様でした。
イロイロとあったで有ろうことは・・・・お察し致します。
本当に・・・・ありがとうございました・・・・。
高畠華宵 『移り行く姿』より
妃殿下のお話に戻します。
実はシロガネは赤べこよりもこの右側に置いてある、このオレンジの実が一体何だろうか??とずっと気になっておりまして・・・・最初はお花かと思ったのですけど、何か違うような・・・・?ここ数日これは何だろうかと、上手く答えが出てきておりません。
枇杷(びわ)なのでしょうか?
高畠華宵雑誌表紙絵