栗原玉葉(くりはら・ぎょくよう)『童女図』
このブログで着物や小袖姿の女性を描いた画像を探してイロイロな美人画をネットで検索していたとき、偶然発見したのが、栗原玉葉という、今まで聞いたことがない女流画家でした。
『秋草美人図』
上村松園や伊藤小波や島成園などは知っていましたが、この女流画家は全く知りませんでした。
しかしその描いた絵に、随分と心を引かれてしまいまして、その後、『我が身をたどる姫宮』を書いた時に、栗原玉葉の『お夏狂乱』・『お夏の思い』等の絵を随分とのせました。
『童女図』
玉葉の画集は幸いなことに、Amazonで入手することが出来まして、玉葉の描いた数々の絵も知ることが出来ました。栗原玉葉は長崎出身の画家です。
明治16年(1883)4月19日に長崎県南高来郡山田村に産まれた玉葉こと栗原アヤコは絵の研鑽の為に上京し、そして東京で住まい、画家として活動しました。玉葉の画家としての評判は高く“東の栗原玉葉・西の上村松園„と呼ばれるほどでした。
『少女』
シロガネが前にまとめた、池田蕉園も松園と並び称されるほどの画家でしたが、しかし蕉園は大正六年に結核の為に僅か31歳の若さで亡くなったのでした。蕉園は明治19年生まれ、玉葉は明治16年生まれですから、3つ違いとなります。
『手まり』
『羽子』
そして二人共に大正の御代に活躍し、(蕉園は明治後半からその名は知られていましたが)そして大正の御代に世を去ったのでした。・・・・玉葉は、大正11年(1922)9月9日に39歳の若さで、亡くなりました。玉葉は最後まで独身を通しまして、又その翌年に関東大震災が起こるのです。
『遊女の図(縄暖簾、行く春』
そのせいもあってか、栗原玉葉という女流画家の名は近年まで忘れ去られた画家となってしまいました。
玉葉の代表作と言われる絵も下図は残っても、本画はまだ発見されていません。
その一つ『幼などち』
まだかなりの数が現在でも所在不明となっておりますが、しかし最近少しずつ発見されているようで、時々、ネットで、見付けることがあります。
21世紀になってようやく光が当てられたという感じです。
『童女図』
又ご覧の通り着物の柄がとても丁寧に描かれて、そしてたっぷりとした絹の質感が伝わってくるようです。シロガネは仕事柄絹を直に手で触れておりますので、その柔らかさが良く分かるのです。
『童女』
子供を描く名人と言われて、その絵からは玉葉の優しさが感じられると思うのです。
『福寿草と二人の童女図』
『紙風船を抱く少女』
『童女図』
『春の行方』(現在原画は不明です)
『古賀街道図屏風(長崎街道)』
『春宵(しゅんしょう)』
『美人画』
『お七』
『お染』
『美人画』
『美人画』
『婦人画』
『見返り美人』
『秋の夜』
『扇舞図』
『うたたね』
◆以下の『お夏の思い』・『お夏狂乱』・『解脱尼』の三部作は玉葉の最晩年の作品です◆
『お夏の思い』
『お夏狂乱』
『解脱尼』
『春の夢(愁春・しゅうしゅん)』
『藤娘』
『朝妻桜』
『葛の葉』
『美人図』
『美人之図』
『美人画』
『立姿美人図』
『童女図』
其の2へ続きます。