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シロガネの草子

万葉以来最高の?女流歌人・上皇后美智子様、あらたなる歌集をご出版の事。それとその他。


上村松園《初雪》

取り敢えずの公開です。まだまだ加筆訂正しながら進めてゆきます。あぁ~~でも公開停止の処分を喰らうかも。

寒い日々が続いております。寒さは震えるというよりも痛いという所でしょうか。灯油の値段も上がっておりますので、節約しながらファンヒーターを使用しております。勿論それだけではなく、電気カーペットも同じですが。


さて・・・・ある人によれば、万葉以来の最高の歌人と称される上皇后美智子様。その上皇后美智子様が《ゆふすげ》という名の歌集を新たに出版されるそうです。岩波書店からです。

題名の《ゆふすげ》は上皇后様が東宮妃殿下であった昭和43年(1968)に東宮であられた現在の上皇様が、「三日の旅」にお出かけになられたさい、御所の庭に咲くゆうすげを美智子様がご覧になられて

《三日の旅 終へて還らす 君を待つ 庭の夕すげ 傾(かし)ぐを見つつ》

から名付けなれたとの事です。

上皇后様のお歌は言葉の響きとか感性というのかそれは本当に美しい。間違いなく歌人です。

上皇后様のお歌が見事なのは、歌のなん足るかも分からないシロガネも承知しておりますが、万葉以来とは、此には驚きました。


ええーっ!、

絶世の美女で歌人でもある小野小町もかの与謝野晶子が天才歌人と絶賛した和泉式部もこれにはビックリです。


ええーっ!

上皇后様は万葉の女流歌人である、額田王や大伴坂上郎女(おおともの・さかのうえのいらつめ)以来となるのでしょうか。


ええーっ!

でも歌というものは、例え後世に名をなす歌人となくとも、その人の思いや感情が劇的に高まった時に、“その時”という舞台のうえで詠んだ歌がもう、この一首だけで名歌と呼べる歌を読み上げるものです。


上村松園《時鳥一声》

実際会った人達が本当にお美しい方だった。美しい雛人形がそのママ、お歳を召されような方だったと言われたお方です。

民間出身の美智子様が皇室に上がられる際に伊野の花を つみとりて 竹のそのふに うつしかえんと》

《あまりにも かけはなれたる はなしなり 吾日の本も 光おちけり》

《つくりごと どこまでゆくか しらねども 心よからぬ 思ひなりけり》


栗原玉葉《野の花》

伊都子夫人が危惧した日の本の光は落ちることなくその後は登り調子でしたが、皇室の光は落ちていったのは否定のない事情です。


鏑木清方《菊》


美智子様という、広野の花が竹の御園に写されてた60余年後・・・・

(上皇様の表情の良いこと)

広野の花がお産み参らせた現在の天皇陛下は・・・・

シロガネ同様お腹がブヨブヨ。


ほら~~ブヨブヨ~~♪♪ブヨブヨ~~♪♪○○が透けてる~~♪♪


ほら~~ブヨブヨ~~♪♪○○が透けてる~~♪♪


ブヨブヨ♪♪ブヨブヨ~~♪♪○○が透けてる~~♪♪


~~♪♪❤️❤️


イロイロと不思議な皇后様てす。その本質はなんなのか、様々な考察がなされていますが、本質的にこのお方様は・・・・



自己愛型。なのでしょうか?身近にいらっしゃるこの方達は・・・・・

上皇后様
「良く分かるわ~~~」


鏑木清方《ふた昔》

東宮妃殿下
「お義姉様は、私達から大事なお義兄様を奪い、あんなにまで変えてしまった。でもそれは許しましょう。でも今年の部屋のセンスだけは許せませんわ」


巳年である今年のお部屋。左大臣、右大臣の如く左右に渦巻きの蛇の置物。苦笑い😅


小原ことん《踊る狐》

(ダラシナイ体型の・・・・小声ですが) 現在の天皇陛下は一代で途絶えます。やはりそれは運命なのでしょうか?


鰭崎英朋 口絵

東宮家の若宮殿下も民間のお血筋ですが、ご容貌が民間人のソレはない。


高畠華宵《秋の菊》



天皇になる為にお産まれになられた運命の若宮殿下です。


井川洗厓《天照大御神》


森田ひさし 口絵《乳母車》


若宮をお産み参らせた母宮がもう・・・・


30年経って歳を重ねてもそのママのお姿だったですから。


シロガネは心が弱いので、週刊紙やネットの情報に毒されて・・・・いえ、ドロドロとした思いや批判をブログに書いてしまった事があります。どうしてもそれを書かないと、気が収まらない思いでした。後悔はしておりませんが、東宮殿下がネットや週刊紙の批判記事の中傷を「苛めに近い」と言われたら・・・・。

或識者がそれは国民の善意ある言葉ウンネンと書いてありました。それではネット等の批判は『善意ある苛め』ということでしょうか。

善意ある苛め・・・・。

善意ある苛めって、何て恐ろしい言葉でしょうか。


伊東深水 口絵

そんな事許されるわけない。


栗原玉葉《日誌》

東宮妃殿下がベトナム訪問の際にベトナムに行かれる事を“旅行”と言われて、一部の人達が批判していましたが、その“旅行”言葉自体は問題ありません。

皇族方が海外に出かけなさるのは庶民のような物見遊山で出掛けるのでなく、大なり小なり用事があって出掛けるのです。


そんな風に昔から言われています。


上村松園

高松宮妃殿下の『菊に華あり』でも海外訪問の事を旅行と書いてありましたし、貞明皇后のお手紙にも“旅行”とハッキリ書いてあります。

高松宮妃殿下がご婚約勅許のあった日、お歌を詠まれています。

《大いなる つとめをいかに はたすべき ゆく末遠き 人の世の中》


池田蕉園《春の中》


行く末遠き 人の世の中・・・・


佳子内親王殿下が良くお召しのお洋服。


(余り思い出したくないけど)眞子夫人



若き紀子妃殿下と同じお洋服です。


紀子妃殿下と華子妃殿下



どうもこのお帽子も


佳子内親王殿下と眞子夫人の姉妹で


・・・・母宮と同じらしい。


上村松園《虹を見る》

母と娘の仲は勝手な憶測で色々と世間に流れていますが、余人には分からない事です。


上村松園《雪》

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コメント一覧

olio
>題名の《ゆふすげ》は上皇后様が東宮妃殿下であった昭和43年(1974)に東宮であられた現在の上皇様が、「三日の旅」にお出かけになられたさい、御所の庭に咲くゆうすげをご覧になられて

昭和43年は1968年です
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