昔昔ハラボジの若かりし時代
ガキの頃は日活、小林旭、宍戸錠、東映、映画で唐獅子牡丹、
網走番外地とずいぶん五尺の体にいきがりと憧れを感じていた。
今生きて居る自分が映画の影響下にある様な気もする。
そんな中で22歳の時に秋田の映画館で、松本清張原作の砂の器を
観た、そのとき「宿命」とは何ぞや?無学の俺にはこの映画を観るまで
『宿命』なる言葉も知らなかった。
俺たち人間は、誰もが生まれながらにして宿命を背負って生きている。
生んでくれた親や生まれた場所、その時代背景それから現在まで
自分では変えることの出来ぬ所与の環境である。
気が付いたら同調し群れをなす、仲間での状況に流されしばし
巻き込まれてしまう。
それが、俺たちの「運命」と云うものである。
人間生きているうちの大部分は、生まれながらに変えることの
出来ぬ「宿命」と、その後の生き方の運命に全て支配されている。
人生の運命は、変えることが出来る。
それは、起きてくる状況に対する見極めとどのような態度を取り
行動を執るかに自分自身の意思決定することで決まる。
自身の意志薄弱なら、予期せぬ事態になる故に規範となる者に
引き立ててもらい運命転換を図る。
自分自身の人生を幸せなものにするためにやるべきことを考えて
行動に移すことこそ自身の宿命を認め幸せな運命を手にする。
ふっと砂の器を思い出し「宿命」が浮かんできたから書く。
皆さんも『宿命』と『運命』について考えてみて下さい。
支離滅裂ダミダニャコリャハラボジミャネ
アンニョン