夕食後、実母から電話があった。
「久しぶり。
お前の声が聞きたくなって、電話した」と、
泣いていた。
どうしたの、何かあったの?
「ううん、もういい、声聞いたら治った。」
遊びに来たら、と誘うと
「そろそろ行きたいところだけど・・・」
明日、母の妹のH叔母さんが心臓の手術をするとのこと。
ひとり暮らしのH叔母さんと母は
市内に今は二人きりの姉妹で
父と叔父さん、連れ合いに先立たれて以来
何かというと頻繁に会って話して、
精神的な面でも支えてもらっていた。
一人娘は結婚して東京にいて
コロナの影響で、帰って来ても付き添うことが出来ず
手術の日は来ないと言うので
母が手術前の説明を聞きに行って、付き添うと言う。
私も飛んで行って傍にいてあげたいけど
県外の人だから、役に立てず。
実母の姉も兄も、私の父も、同じ病気で亡くなった。
「あなたも気をつけなさいよ、と言いたくて電話した」
と言っていたけれど
30分くらい話すうち、
嫁に何か言われて、腹が立ってそのまま部屋に来て、
電話してきたことがわかる。
もうたくさんだ、生きていても良いことない、
早くお迎えに来てほしい、と泣いていた。
年をとっても、泣くほどつらいことがあるのだなあと
遠くにいる母を思う。
義母と暮らして、私も
弟の嫁の気持ちがわかる場面が何度もあった。
姑が何をしても、何をしなくても、
いちいちカチンと来てしまう。
そこが、嫁と姑なのだ。
一緒に暮らす、とはかくも大変なことなのか。
もう少しうまくやれると思っていた。
義母はとても良い人だけれど
毎日四六時中一緒にいると、
たまには離れたーい!と、思うのだ。
弟の嫁は、母の何がそこまで気に入らないのか。
でしゃばるタイプではないし、
亭主関白な父に仕えて控えめに生きてきた母。
友達もいて趣味もあり、自分の人生を楽しんでいるが
嫁とは、とにかくもう、何年も確執がある。
父が亡くなって20数年も一人で暮らしていたところに
弟ファミリーが帰って来て同居。
数年後に建て替え、庭の草木の一本も実家の面影がない家で
一部屋を与えられて、下宿人のように(・・・とは母の弁)
暮らしている。
幼い姪に
「家族は四人、おばあちゃんは家族じゃない」と言われ
当時は相当ショックを受けていた。
月に一度ほど私の家にショートステイして
リフレッシュして帰って行くのだが
この頃はまったくご無沙汰だった。
義母が来てからというもの、電話もしていなかったし
寂しかったことだろう。
実は、娘が先日入籍して
12月には東京でささやかな家族だけの結婚式がある。
「早くひ孫が見たい」と言うけれど
長男夫婦にもまだ子供はなく、
いつ叶えてあげられるやら。
義母が帰ったら(・・・もうすぐ帰るらしい)
実家に様子を見に行こう。
上の姪が大学に入り、家を出る。
お祝いがてら訪ねて、温泉にでも連れて行こう。
そういえば義母は、何か月も家にいて
誰かに愚痴を聞いてもらいたいことはなかったのか。
私は、ブログや友人たちに小出しにしてきたが。
娘がいない義母は、誰に話をするのだろう。
M叔母やF美さんしかいないだろうな。
実母は、娘が二人もいるのだから、
その点はしあわせだろう。
私も娘がいてよかった。
私の人生で一番の自慢は、
三人の子供たちを育てたこと。
何はなくても、それだけでしあわせ。
・・・なんて、母もそう思っていた頃があったのかな。
三人の子供はみんな結婚して所帯を持ち、孫が7人。
まさに私の理想を生きる母でさえ、こうなのだ。
・・・私とて、この先がどうなるかわからない。
未来を作るのは、自分。
毎日のひとつひとつが、そこから先の運命を決める。
素直に、誠実に。
お天道様に胸を張れるよう
人にやさしく生きて行こう。