義父が突然亡くなって、丸四年。
早いような、長かったような・・・。
当時すっかり元気をなくしていた義母は
夫の実家で今もたくましく一人で暮らしているが
91歳。足腰も弱って来たし、すぐ疲れるしで
心細いのだろう、何かと頼って電話してくる。
ほぼ毎週、様子を見に行く。
毎週は行けないよ、と言いたいところだが
つい、待たれると邪険にできず?
夫も私も優しいなあ(笑)
去年の命日は思いのほか大ごとだったので
今年も?と覚悟はしていたが
案の定、でした(笑)
今年も義母の姪のF美さんが栗ご飯や煮物、漬物を
たくさん持ってきてくれたので助かったけど
とても私一人では乗り切れないわ。
義母は煮つけと漬物を用意してくれてて、
私が行ってから
「菊があったから、酢の物にしようと思うの。」
(・・・しようと思うの、というのは
嫁が作れって意味なんだけど)だの
おつゆはなめこの味噌汁にしようと思うの、だの
近所に住む義父の妹Sミちゃん夫妻にも電話をしていて
義母とF美さんと私、Sミちゃん夫妻の5人で
お墓参りに行って、実家で一緒にお昼を食べた。
近所に住んでいるとは言え、運転免許を返してから
Sミちゃんとは滅多に行き来出来なくなって
(もともとそんなに仲良くないっぽい、、、)
多分、こうして集まるのは一年ぶり。
去年、おじさんはお参りだけして
具合が悪いと食事には来なかった。
この一年、たまに訪ねても姿が見えず
心配していた割にはお元気で
みんな楽しそうに話が弾んだ。
義母も嬉しそうに
「7回忌もこの程度で、兄弟たちを呼んで
お経をあげてもらうだけにする」と何度も言っていたけれど
「この程度で」・・・???
家で食事をするのはいいけれど、
嫁は私たった一人。
今回だって、F美さんと義母が用意はしてくれたけれど
料理をそれぞれ皿に盛って、漬物切って、
味噌汁を作って、ご飯よそって、
取り皿、しょうゆ、お茶の用意、台所の仕事はてんやわんや。
F美さんがいてくれてよかった~
そもそも、お墓参りの時も
三人がヨボヨボしていて介助が必要なのに
田舎のお寺は足元が悪く、相当不安な感じだった。
急な坂道で車を乗り降りしたせいで
運転者の私はブレーキが離せず
F美さんが一人ずつ手を引いて連れて行ってくれるわ、
お線香立てるにも数段の階段が登れず
代わりに立ててあげるわで
お墓を綺麗にして、花を立てて
お水とお茶を供えて
お線香に火を点けて・・・
これ、一人じゃ無理だったわ、って
真面目に思った。
・・・・こういうもんだ、と思えばそれまで。
ゆっくり時間をかけて、
一つ一つの仕事をすればいいんだな。
自分のペースでチャッチャとやろうとするから
気が焦るんだ。
年寄りと暮らすって、こういうことか。
食事が終わって、義母を仙台に連れてきた。
「薬がなくなる」いつもの理由で。
たまの嫁仕事は、普段グータラしている私には辛い(笑)
縫いかけのズボンをちゃっかり持参していた義母に
いつものように2階でお裁縫を教えながら
ドレスの続きを進める。
働き者の夫は、きっと義母に似たんだろうな。
何もしないでいられない人。
私が台所の片付け物を終えるのを待っていて
「今日、縫い物するの?」と聞いてくる。
「私も二階でやるかな」
・・・やるかな、じゃなくて
教えてください、でしょうーー!!
(少し休んでからにしてよ)
「るかさんの仕事の邪魔ばかりして」と言うけれど
悪いわね、でもごめんなさい、でもない。
(邪魔ばかりして、というのは単なる事実)
この言い回しに「ごめんなさいね」という
意味が入っているのか???・・・疑問の嫁である。
今日も愚痴になってしまった。
そんなこんなで、今年の命日は終わりました。
最近作ったお気に入りのバッグ。
使いやすくていつも持ち歩いています。