それまでは、あまり深く考えたことがなかった。
ステンドグラスの作家さんから
ミラーケースをオーダーいただいて、
「私も、作れば作れるよ。
でも、本職の人に頼んだ方が絶対に早いし綺麗。餅は餅屋、よ。」
なるほど!
私の心に、妙にしっかりとハマり込んだ。
この頃続けて読んだ、数人のエッセイの作者さんたちは
本を出すくらいなのだから当然、
私のようなごく平凡な主婦ではなく
バリバリ仕事で成功して
子育てもしている女性だった。
そして、学生時代に感じた
生きづらさ、付き合いにくさ、
自分はどこか変わっている、
人と同じようにはなれない、
必死で頑張って、肩肘張って、
ガチガチになりながら仕事をし、
子供が生まれてからは子育てに悩み、
体を壊し、親を看取り、あるいは
親との関係にしこりを残したまま
修復できずに長年を過ごし…
そんな紆余曲折を読みながら
大変だなあ、と思った。
私はただぼんやりと幸せに
子供を3人産み、育て、
…それなりに悩みはあったにせよ、
通り過ぎてみれば
なんと幸せだったことか。
自分の人生には、心から満足し
ここまでは上出来だと思っている。
(これからどんな試練が待ち受けるのか、
その覚悟も、いつもできている)
その、親との関係や子育ての悩みは
仕事で成功する素質を持っているがゆえの
ものだったのではないだろうか、と
私は思うのだ。
餅は餅屋。
自分の生かされるべき道がある。
義母にも実母にも
子育て「は」上手い、と言われた(笑)
私が、というより
夫や子供らの気質によるものが大きいと思うのだが
三人とも、無事に、当たり前に大きくなって
人から好かれる人間に成長した。
祖母たちにも優しく、親とも疎遠にならず
あとは孫が生まれればさらに嬉しいけれど、
そこには触れるまい。
苦手なことがある、という人に
いつも言う。
自分のできることで誰かの役に立てば良い。
できないことは、できる誰かが
何の苦もなく手助けしてくれるから
気軽に頼めば良いのよ。
私が縫い物を頼まれたとて、さして苦労はない。
苦手な友人が悪戦苦闘、
時間をかけて不恰好なものを作るより
(出来はどうあれ、
作っている間の楽しさや充実感、
出来上がった時の達成感を得られるならば
それはとても大切な、素晴らしいこと。
ただ面倒で辛くて、落ち込むばかりなら、という前提)
その時間をかけて彼女が、
彼女にしかできないことを
私に、社会に、してくれたら嬉しい。
…ここまで書いて、
実はまだ最後まで読み終えていなかった
「はやく一人になりたい!」の続きを読んだ。
読み残していたわずかな部分には、
今はもういない、両親と兄への思い、が綴られ
「餅は餅屋」という私の先日の感想は
当てはまらないなあと気づく。
それでも、
大学の頃に一人で住んでいたマンションを出て
そのまま帰らず、
あとで母が管理会社に文句を言われながら
部屋を引き払った、というエピソードは
とうてい私なら出来ないし
だから平凡にしか生きられないのか、
平凡は悪くないけれど
子供の頃の私は、何か成し遂げる人になる!と
野望を持っていたはず…
私にはその才能はなかったのだな、
その代わりに今の大切な暮らしを手にすることが出来たのだ…と思うと
そこはやはり「餅は餅屋」なのだ。
ふさわしい場所で
得意なことをして生きる。
それで誰かの役に立つ。
神様はそんな風に私たちを作ったのではないかしら。
助け合い、仲良く生きられるなら、
それが良い。
朝ドラで見た長家の住人たちのように
貧しくても思いやりあいながら。
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