猿の檻に入って猿と一緒に暮らしたい人が居るだろうか?
もしあなたが感覚に蹂躙されるがままになっているなら、猿の檻の中で怯えて暮らしている愚か者と同じです。
猿のような心とは、感覚の奴隷になっている心です。
感覚の欲求を満たすことだけが、猿のような心の望みです。
猿のような心で居れば、ギラつく目で欲望の対象をロックオンします。
イエスの戒めは猿のような心を持つ者には届かないのです。
感覚の欲求に蹂躙されて傷つくのは自分自身のハートの純粋さと、自分自身の高潔な人格です。
神様は人間に対して本能に身を委ねてはいけないとは言いません。
神様が言っていることは簡単です。本能に身を任せるにしても時と場合を弁えろと言っているのです。
様々な聖典には、その事が説かれており、誰もその神の声を聴き違えることはないでしょう。
理性とは人間が道を過たないために、人間に授けられた神の力です。
ブッディ(知性)という言葉には、そのような意味が込められています。
のべつまくなく発情している猿のようで居ることは、発情期のある猿よりも惨めです。
目のやり場に困るなら、見なければ良いのです。
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