すぐ近くにある世界:野鳥,昆虫,航空機などの写真

都市部の近隣でも身近で見られる野鳥を中心に、
捏造(餌付け、ヤラセ)のない「本当の世界」の
写真を載せています。

飛行機(JAL)到着|“夜”感? 視認性?

2024年11月30日 | 航空機
夜景感の滑走路を進む飛行機は、 目視では サイズが似た機種の判別を間違う位にしか見えていないが...
写真は 暗いところを視認できるように 明るさの調整が利く、 とはいえ...



ちょっと 明るく調整しすぎ??
そこに、 目視とは仕組みが違う 写真の原理も加わるので、 写している現場でも見られない 特有の画になる。

写し止めなら、 もう 真横にかなり近い印象の角度かも。
この距離感での流し撮りでは、 鮮明な部分の中心から離れたところは 結構 流れて写るところに、 まだ 斜め感が表れる。

飛行機(ANA)到着|真横に近くなると

2024年11月23日 | 航空機
前記事までの、 鳥写真で遭った残念の話から、 従来の更新に戻る。

雑誌・書籍や新聞など 機械的な印刷での『出版物』に載っていると、 媒体のイメージで 信用されがちだろう。
そして、 表向きの肩書が 社会的には現に通じている『専門家そうな肩書さん』も また。
でも、 話の出所が どこでも、 何でも、 無思考で真に受けられるものは 無い。
もちろん、 無知能で受け売りして 残念さんぶりを露呈していても、 自業自得の 自己責任。
だからこそ・・・
ああいうことは、 直接は関係無い第三者も、 知ることが 他局面での 現実の側で賢明にいられることに有益にもなるだろう、が...
“楽しくない話”にしかならないもの。

・・・ 従来に戻る、ということは...
保存していたコマは 無理ぎみにでも“何か”には使いたい貧乏性で 旧い分の供養の続き x x x



流し撮りでは、 真横から見る角度に近いほど、 鮮明な中心から遠くまで像の流れが小さく、 鮮明に近く写る範囲が広くなる。

[3]“あの写真”の実際と、 某氏と某『鳥の雑誌』の残念ぶりと...

2024年11月16日 | 野鳥・鳥類
前々記事、前記事から続いて、 某『鳥の雑誌』投稿コーナーに掲載された写真に関して...
この“不可解”な一連について書いたとなると、 併せて示しておくのにも 意味があるのかも?、といったところ。


これ単体は、 もし 『あちら』の“不可解”が「これだけ」だったとしたら、 いちいち書くほどでもなかった程度のこと、ながら...

(1回目にも載せた)応募のメールでは

<テーマ:気象>

(ここに画題 : 応募の文面では 漢字とカタカナでの表記)
2017年 4月 大阪府内
(ここにレンズスペック) , F4.5 1/4000秒 ISO 200
「気象」のテーマに含まれるのか、は
少々“びみょ~”な感もありつつ・・・

強風で荒れる水面での捕食行動の一瞬。
自然界では、小さな獲物を捕らえるの
にも、曲芸的な能力での大きな労力が
必要です。

と、 ホワイトバランスの項目は記載しなかったところ、 『あちら』からのメールで わざわざ

掲載にあたり,添付いたしましたこちらのお写真の
・カメラの機種名
・撮影地(市区町村まで)

・ホワイトバランスの設定
をお教えいただきたく存じます。



ホワイトバランスに関しては...
調節が “晴天”“太陽光”からアンバー寄りとか
マゼンタ寄り(緑かぶり感を緩和)、というような設定
だったので、 直接に指定した実数ではないですが、
色温度の部分としては「約5350k」が分かり易いでしょうか。
ただ、 そもそも、
メーカーやソフトの違いにも横断的に汎用性がある情報には
なり難い感じもあって、 参考になるべき対象ほど むしろ
誤った理解に誘導しそうな割に、 そうならない対象には
情報力は弱く...
簡潔な表記で積極的に記載するのは、 意義は『?』の
功罪ある項目にも思えます。

と返信して

ご返信いただきありがとうございます,承りました。
たいへん失礼いたしました。
応募の際に(名字)さまがご提供いただいた情報のみ掲載させていただきます。

の やり取りがあった。

のだが・・・
その結果の誌面では...、 どこから湧いて出たのか、の、 この一連の どこにも無かった『WBオート』と記載されている。

この経緯が、 わざわざのやり取りは無くての 応募から直で、なら、 経験的に、 このテの誤記載は どこでも ありがちな事故。
杜撰といえば杜撰... だからといって “重箱の隅を...”のような批判をするのは、 見識として疑問だろう。

明示しても、しなくても、 『撮影データ』の 型式や数値そのものは、 絶対的に確定している。
これは、 写真を見る側にとっても、 経験や知識が少ない部分ほど 有益に活かせる参考情報にもなるところ。
それが 具体的に明記されていると、 その 機械的な絶対値のイメージから 確かなものとして信用してしまいそう、でも...
どこの場でも、 記載されている内容は、 何でも全てを 無思考で真に受けられるほどの確度は無いもの。
参考に活かすのは良くても、 無思考で何でも受け売りするだけでは、 間違った理解で迷走する原因になったりも・・・
そういう撹乱材は、 前々記事、前記事で書いた、 あたかも解っているかのように語られる 自然言語でのお話だけではない。

わざわざのやり取りがあって、でも、 これ「だけ」だったら、 まだ、 何らかのミス、で流して済ませられる程度のこと。
あるいは、 『あちら』の残念ぶりを指摘した後からでも 有効な対応がされていれば、 この部分の意味も違ってくるだろうところ。
実際、 まだ『あちら』が どう対応するのか判断できない段階で送信したメールでは、 この部分を書くのは省略している。
でも・・・
有効な対応がされないのも含めての、 この掲載の一連が ここまで“不可解”“違和感”ばかりの中に、 ここにも、となると...
これも、 それぞれを個別に切り分けた個々の評価とは違う 全体の事情があって表れた1つだったのかも...、 とも見えてくる。

応募に明記したテーマとは違う扱いにした経緯も、 こちらからは判断できない。
『あちら』が、 どこにでも多々いる、 この世の実際とは違う世界が 見えて聞こえて、 現実も言葉も意味を持たない残念さんか...
あるいは、 一連の“不可解”の各所が、 そもそもから 改ざんする明確な意図を持って掲載したのか...
何であれ、 こういう、 『あちら』を“人”として接することへの 根幹的な疑問が深い実例に満ちた対象とは、 関わり難くなる。


・・・ といっても、 この『鳥の雑誌』の事情からすれば 当然、か。

鳥写真では、 殆ど全てほどが 初心から『ヤラセ』に直行するのは、 一般まで広く 公然の常識。
写真は主要目的ではない バードウォッチングでも、 『餌付け』の『ヤラセ撮影会』巡回が お決まりコース。
そのどちらも一体の内輪では、 『餌付け』『ヤラセ』が『優秀な証明』として 公然とご自慢にご熱心。
でも、 その現実では不都合な対外的になると・・・
そこでは、 自身そのものの『餌付け』『ヤラセ』を罵倒してまで、 全てを真っ当に写してきた設定を声高に語るお芝居に興じる。

それを、 そのお姿の残念ぶりには触れずに 表向きは体裁良く応接してもらえるのも、そっとスルーしてもらえるのも、 社交儀礼...
言及されると自身が不都合なことには触れられずに ご勝手に語っていられても、 その残念ぶりに気付かれていない...のではない。
のだが...
その自身は、 バレずに 巧みに演じられている成功率100%の実例を積み上げてきた...つもり。
そんな内輪では、 なりすませているつもりの“極意”を教え合い、 実践し合って、 成功体験として証明し合っていられる。

それが、 得意げでいれば より得意げでいられるほど、 喜々としていればして より喜々としていられるほど...
知的面での いわゆる健常者は、 見せられる(見えてしまう)側の方が恥ずかしい思いをさせられている、 哀しい活況。
それでも、 残念さんと解っているからこそ、 その場は受け流してもらえるのが 世の中の優しさ。
だから、 残念さんは、 その残念ぶりこそ優れているつもりでいられる 同類の残念さんとしか関われない同士だけで集っていく。

そして、 そんな残念さんの知能では、 自身にはご都合が良い虚構を語っては 実体験の記憶に昇華させてしまうのも 定型。
だから、 ますます、 同類の残念さん同士としか 関われない。
でも、 同類の残念さん同士だけで集えば、 ご勝手な妄想を無限に膨らませて 事実として証明し合っていられることでもあり...
その集いの中では、 実在しない経歴を、 実在しない生態のご解説で証明を補強した 妄想世界での実績がご自慢で、 お幸せ。

そんな、 倒錯した残念に満ちた世界では...
この『鳥の雑誌』が、 残念さんに不都合が生じない世界でなければ、 圧倒的多数層に購買させられる営利活動にはなっていない話。
そちら側の内輪相応なら、 現実とは無関係な言動も必然、と受け取るしかない...のだろう。

続:“あの写真”の実際と、 某氏と某『鳥の雑誌』の残念ぶりと...

2024年11月09日 | 野鳥・鳥類
前記事から続いて、 某『鳥の雑誌』投稿コーナーの写真に関しての 2回目...
専門家そうな肩書さんのコメントの、 画一的には表せないのがナーバスなところでも、 そこにある“違和感”の部分を。


この 専門家そうな肩書さんのコメントの 写真自体への視点は、 写真(静止画)に見える要素を語句に訳した列挙。
・・・、 写真(静止画)へのコメントだから、 それで順当...と思っていられる??

写真で見せられるもの、であり、 写真に見えているもの、は、
“特定の一点から見えた、 特定の一瞬の、 一部分だけ”
が、 写る仕組みの原理通りに『四角い平面』になった、 写真特有の見え方。

そんな写真だけを見て思い描くことは、 その全体で、 写真を見ている側の自身相応が表れたもの。
これは、 文言に挙がることだけではない、 知らず(解らず)に語りようがなく抜け落ちることも含めての“全体”。

こういうところは、 何の文言さえあれば正しい、とか、 何がある(無い)から正しくない、とか...
極度に単純化した画一的な短文との整合で一律に決まるようなものではないのが、 表すのは難い ナーバスな要素。
なので、 実経験が無い 文字的な知識だけしかないと、 語りようがないのも、省略したのも、 区別できない話にしそう、だが...
実経験がある視点からは、 実態があって語られる自然さも、知ったかぶりの不自然さも、“感じられる”ものだろう。

当たり前すぎることだが・・・
“自然”は、 “人の勝手な嗜好”とは無関係に実在しているもの。
『ヤラセ』で “人の勝手な嗜好”に都合良く 多彩に飾り付けた見映えを自慢したところで 『捏造』。

自然の鳥の“ありのまま”を写すのと、 “撮影セット”の箱庭で演じさせて写す『ヤラセ』とでは、
写すまでの準備プロセスも、 必要な知識と情報量と 時間と 労力と etc...も、
実際に写す際の状況も 技能も 把握している空間のスケールも対象物の数も、
事情が“無関係”ほど違うこと。
そして、 (『ヤラセ』の箱庭なら 殆どを事前に整備しておける)周囲・背景などでの不確定要素への感覚も、 根本的に違う。

これは、 実際の経験が無い 門外漢や『ヤラセ専門さん』は、 知る機会が無い。
一応・・・、
『ヤラセ専門さん』と形容しても、 “証拠写真”レベルまで 自然の鳥の“ありのまま”を写すことが一切無い、というのではない。
でも、 『○○が写っている』 『○○が△△している』さえ判れば満願、の世界観とは違う、 作品趣向の写真があるもの。
それを写せるための事情が“無関係”ほど違うことこそが、 殆ど全てほどが 初心から『ヤラセ』に直行する理由そのもの、だろう。
そんな、 “証拠写真”レベルなら“ありのまま”を写すことがあっても 『ヤラセ専門さん』と表すのは、 形容とは そういうもの。
自身が『知らない』ことは、 それを『知らないということ自体に気付きようがない』のが、 当然すぎる 物事の道理。
それで、 『鳥を写す』級にまで極度に要約し過ぎれば同じ短文を充てられる共通だけで混同して語られるのが類型。

また当たり前すぎることだが...
実世界は、 『ヤラセ』の箱庭とは次元が違いすぎる「広大な空間」に 無数の要素が“人の勝手な嗜好”とは無関係に存在している。
それが、 (写っていないものまで)全てが“人の勝手な嗜好”とは無関係に、 それぞれ別々に動いて変化している。


専門家そうな肩書さんのコメントで 『じゃま』と表されているところも含めて、 写っている全てが その一端。

自然を写すのが自然写真、とはいっても、 評価される基準は “人の勝手な嗜好”での感覚。
事実関係としてなら それが実際だからといって、 ただ そのまま写すだけで 高評価される写真作品になることは、 殆ど無い。
自然の“ありのまま”を写すのでも、 背景や周囲の要素で “人の勝手な嗜好”に合わない難がある『じゃま』ができる時には、
周囲にあるものなら、 構図に入らないように フレミングや トリミングするとか...
前景や背景なら、 撮影位置で 重なりを変えるとか...
主要被写体が動くものなら、 難があるところから離れるのを待つとか...
状況は加工しない 撮影自体の技能的な行動で、 より“人の勝手な嗜好”に良く合う画にしようとするのは 現実的な必然。
こうした画作りは、 『ヤラセ』で 写す状況の方を変えて『四角い平面』を整形する創作とは 類似性も一切全く無い、のだが...
残念さんは、 その現場を実際に直接見てですら、 自身の大前提は何でも 他者まで一緒くたにしてしまって、 混同する。
それで、 『ヤラセ専門さん』は、 写真の評価に、 写す状況の方を変えることでしか成立しない指摘をしてあげてしまう、が...
現実の自然は、 無数の巡り合わせが生す一端の 結果的な『四角い平面』の一部分だけを切り貼りして取り換えたりはできない。
『四角い平面』の都合なら 周囲を広く取り入れた方が良いからといって、 そこにも印象が良い状況があったとは限らない。
あるいは、 難があるところ自体は構図内にあっも、 その状況にある動きで 難が緩和するタイミングがあったりする、が...
その『四角い平面』なら好印象の部分も、 一瞬でもタイミングが前後していたら 致命的な難があったのかもしれない。
まして、 いつ、どこで、どうなるのか、を そもそも予測しようがない一瞬のシーンの写り方は、 選びようがない巡り合わせ次第。

これは、 そこにある情景のままを切り撮る画作りに (広い意味での)類似性がある経験があれば 当然に知っていること、なので...
そこにあっただろう世界の見え方が、 結果的な静止画の表面をなぞるだけの『四角い平面』になるのでは 不可解。

写っているものを表す語句なら挙げられても、 全体の連動性は見えずに “静止画での見え方”を別個に切り分けた羅列になるのも、
感想的な感覚が、 実在した時空とは無関係に 『四角い平面』を切り貼りで加工した合成を語るのも、
その状況として 時間進行がある3次元世界の情景を思い描ける知識も経験も無くての 門外漢レベルの感想文では 必然の類型。

自分の写真以外のことを書くと、 ますます“怪文書”になってしまうのだが・・・
左ページの写真への 専門家そうな肩書さんのコメントでは、 特に顕著だろう。
その機会に無かった情景は、 その機会には写せる可能性から無かったこと。
実際の現実が、 『四角い平面』を切り貼りで合成して語る情景にはならなかったのは、 『もったいない』ことなのか?
そんな 合成世界の創造主さまが『もったいない』ではない写真とは、 いつ写せるのだろう?
『四角い平面』の表面をなぞるだけの文言に挙がる要素だけでも多いが、 それだけではない多数が 同時に都合良く揃った情景・・・
それが揃った場所が、 遠すぎても、 近すぎても、 光が悪い方向でも、 光が悪いタイミングでも...
それぞれの距離感が、 離れすぎていても、 近すぎて悪い重なりになっても...
写るどれが1つでも、 向きが悪くても、 動きの中の形が悪いタイミングになっても、 印象が悪い傷や欠損箇所があっても...
周囲に、 印象が悪い構造物や漂流物があっても...
etc... etc... etc...
見えるアラ探しだけに限らず、 『~~だったら もっと良かった』に そこには存在していないものを持ち出したりも定番で...
そんな、 合成世界の創造主さまの中だけの、 実在していない妄想の情景との違いを語ってあげる「だけ」では、 意味を持たない。
その自身は “上から目線”で否定的な言を発した優劣感に酔って マウントをとったつもりでいられても...
その類を挙げる「だけ」なら、 永久に 何にでも指摘してあげて ご指導してあげている気取りでいられるだけの 不毛な戯言。
それは、 実在の状況で より高評価な結果が望めただろう 技能なり理解なりの指南とは 根本から全く似てもいない、のに...
『より評価が高い写真との違いを指導した』
みたいな馬鹿げた要約の短文に置き換えたトンデモ解釈で混同しているらしい残念さんが、 プロ・アマ・一般を問わず大勢。

そして、 “あの写真”での『じゃま』の件も...
これに触れるなら、 類似する撮影経験があれば、 否定的にも 受容的にも 相反する方向性が複合する多角的な考察がある事象。
でも、 その視点で見るのは、 (上に書いたように、) 時間進行がある3次元世界での事情。
『四角い平面』の表面をなぞる「だけ」の 誰が見てもわかることを わざわざ発する「だけ」で完結、では、 意味を持たない。
・・・ 公募の場でも、 自由課題で、屋外でのスナップとは無縁な誰かの講評で、なら、 そうしかならない事態もありそうだが...
事情が違う、 ジャンルを特定した『専門誌』であり、専門家そうな肩書さんでありで そうしかならないのでは、 残念すぎる話。
これには、 専門性の超々初歩も無い...みたいに 論理的風味に表すより...
幼児の、 何でも知らなすぎるからこそ 小っっっさな世界「だけ」が全てでいられて自信満々の使命感で教えてくれて得意げ、の趣。
それが あたかも 専門的な見識かのように扱われるのでは、 単に 無意味な無駄だけではなく、 ここでも また、 極論なら...
それを書いた自身が無駄な存在というだけとは違う、 その自身が存在していない方が良かったことにもなる繰り返し。


前記事の分とも併せて、 この 専門家そうな肩書さんのコメントが、 (安直で平易な“証拠写真”レベルとは違う趣旨での) 鳥の情景を 自然の“ありのまま”で写すことに 僅かでも経験がある視点で書かれているとして接するには、 違和感があり過ぎる。

ここの過去記事でも 度々書いてきたことだが...
実際とは違う世界が 見えて聞こえてしまっていて 『この世のものではない世界』の設定に暮らしている対象とは 関わり難いもの。
まして、 それが喜ばれる集団活動ともなれば、 なおさら。
もっとも、 営利活動では、 社会的道義性より 損得基準の営業戦略で判断されるのが常で...
残念なプロほど、 世の残念さんには 自身との共通を根拠に信仰されるのが、 大口需要獲得に重宝され 重用されそうな事情。
・・・ あるいは、 主催側のところで既に 自身の残念ぶりとの共通で共鳴しての選択なのか...
は、ともかく...
他のコンテストなどでも、 物事の道理として成立していない 露骨に残念な妄想披露が垂れ流されるのは 恒常的に続いていること。
『専門誌』には、 無責任に撒き散らされる膨大な虚構にまででも 少しでも正していく側の気概があるのが当然そうなもの...
だが、 そうではない営利活動でしかないらしい。
だからこそ・・・
社会的意識のキレイ事では、 その残念な状況を 少しでもマシにする為に、 真っ当な内容で関わる必要があるのだろう、とか...
「世の中と関わるのは、 “知的障害者”と関わらされること」
と割り切って、 触らせても不快でなくいられる範囲の、 核心的なものは除けた内容で関わる、とかもあるだろう、とも説けるが...
選ばれたところで、 “残念さん”の“おままごと”に使わせて 愚行に加担しただけにしかならないのは、 当然でしかない。
その残念の度が過ぎる活動に関わるのは、 道義性でも疑問が大きい。
それが 自分に直接関係しての残念、となると、 なおさら、 無関係な他者は無責任に叫べるキレイ事とは 事情が違うことになる。
それは、 言葉も現実も意味を持たない対象には、 当然、 いちいち「さようなら」を言う意味も無いだけの話でしかない。

“あの写真”の実際と、 某氏と某『鳥の雑誌』の残念ぶりと

2024年11月02日 | 野鳥・鳥類
「ここだけを見ても わからない内容」とも思いますが、 某『鳥の雑誌』投稿コーナーに掲載された写真に関して。
ここは、 撮影地や機材情報なども 具体的な詳細は総じて極力明示しない“匿名”のスタンスなので...
当該の対象を直接は明示しないながら、 探せば 事情次第では判り得る箇所はありつつ。

こういうことでは、 『あちら』に残念ぶりを指摘すれば、 以降は タテマエと実際が違う扱いになるだろうことは 想像するに易い。
それで、 多くには、 自己顕示に利用できさえすれば内容も社会的道義性も問わない思考での“損得”の判断で、 スルーする...
あるいは、 むしろ、 表向きは称賛でも演じて見せるのが 賢明な得策として鋭意実践されるところ、なのだろうが...
自分には、 この世の実際とは違う世界が見えて聞こえてしまって 言葉も現実も意味を持たない対象と関わりを続けるのは 難しい。

これについてのメールを『あちら』に送信したのは、 お盆の前、 8月7日。
その上で 『あちら』が どう対応するのか、しないのか、を確認してから書くとなると、 時差が大きくなるもの。
『あちら』は有効なアクションをしないよう...となると、 それが 既に最終的な確定済み、と判断するので...
都合が悪い現実は 指摘されても無視して、 あたかも真っ当な『専門誌』名目の設定を演じ続ける、ということなのだろう。

“書き言葉”では長文になるので、 複数回に分ける予定。
まずは、 具体的な事実がある“あの写真”の実際の状況を中心にした部分についてを。


そもそもの、 応募時に記載していた 当該部分は

<テーマ:気象>

(ここに画題 : 応募の文面では 漢字とカタカナでの表記)
2017年 4月 大阪府内
(ここにレンズスペック) , F4.5 1/4000秒 ISO 200
「気象」のテーマに含まれるのか、は
少々“びみょ~”な感もありつつ・・・

強風で荒れる水面での捕食行動の一瞬。
自然界では、小さな獲物を捕らえるの
にも、曲芸的な能力での大きな労力が
必要です。
※ 元のメールは プレーンテキスト形式、 上記は HTMLの仕様で“複数連続する空白文字は1つだけ”の表示

これを、 なぜ、 明記しているのとは違う、 もう一方の別テーマ名目にしたのか。
それも、 その 別テーマ名目で扱うには当てはまらない一文のところは取り除いてまでの ご丁寧ぶり。

その他にも、 “不可解”と“違和感”ばかり。

専門家そうな肩書さんのコメントも、 「鳥の種名」 「カゲロウ」 「捕食」 ...
写っている要素の幾つかの単語は含まれていて、 ワープロソフトが検知する構文エラーではないだろう体裁には なっているが...
ワープロソフトや 生成AIに入力して 問題を指摘されない体裁なのと、 内容が現実に対して適切かとは 別。
写っている要素の単語の幾つかを含めただけの『織り込み作文』では、 写っている状況と直結するのではない『言葉遊び』。

もちろん、 コメントに書かれているのは、 実際の現場を知らない写真だけを見ての想像。
所詮 全て、 自身の想像は 同じ自身の見識が同じ当然を証明にした自己内連鎖で育んだ濃縮熟成なのは 誰でも同じ必然。
それは、 実際を知っていて見れば、 “知ったかぶり”であり、“妄想”であり、とはいえ...
概要は反しない範囲でなら、 “実際の具体的な状況”との相違は 少なからず寛容に見るべきところ。
ても・・・

この撮影場所は、 『海』ではなく、 汽水域からも遠い、 完全に淡水の河川。


写っているカゲロウだろう虫は、 羽化している過程。
水中での成長を経て、 いよいよ 空中と地上へ進み出る、 劇的な変化の時...
でも、 まだ白っぽいのが明瞭なので、 “初めて飛び立てる”ようになるまでには、 まだ しばらくの時間が必要だろう。
“その時”を待つ、というか、 外敵からも見通しが利いて 捕食されるリスクが高い水面で 運を天に任せるしかない状況。

・・・ 一応 書いておくと...
カゲロウの幼虫が『海』には生息しないのは、 直接の知識は無くても、 自然への基礎的な理解があれば イメージできるはず。

写す事情では、 川面を流れているので、 いつ、どこを通りかかるか 予測できない対象。
それが、 密度は低く、 たまに通りかかっても、 好条件で写せる範囲は数秒のうちに通り過ぎる速さで流れていく。
そして、 写真として期待できる時間帯は、 1日の中で 1時間半とか程度。
その限られた機会の一瞬に 鳥が捕食を狙うシーン自体の巡り合わせが、 そう都合良くは あってくれない。

それも、 天候などで、 そこで望み得る最良を仮定した“絵に描いた餅”でも 鑑賞する写真として使える画になる日は 僅か。
好条件での写真を見ると、 いつでも写せるもののように語られがちだが...、 そういつでも写せるのではない。
同じように、 種名を言えるだけでありがたがられるのではない 身近な普通種には、 何でも簡単に写せると語られがちだが...
居るだけなら ありきたりに見ているからといって、 いつでも 何でも 都合良く写せるのではない。
実際、 今年だと、 この狙いに 10回近く行った結果が、 1コマもシャッターを切っていない、というより...
現場で機材を取り出して 写せる状態に準備しておいてみる状況から、 一度も無かった。
・・・のは ともかく...

淡水域の多くでは、 よほどの強風が吹いていても 波は『海』ほどには荒れない。
そして、 (よほど広い湖なら別だが...、) 風が止めば 程なく 水面は静まる。
そんな 淡水域での波は、 “ここ”の“今”の、 写真に直接は写らない「風」が表れているだろうもの。
だから、 小鳥サイズで このスケールの波でも、 淡水域では “ここ”の“今”にある強風が“見える”要素にもなり得る。

(写真に直接は写らない) その「風」の中でも活動している、 平静な時より困難の度が高い情景が、 伝わることを期待する部分。
『○○が △△している』だけの写真の意向ではない...
それが、 かな部分をカタカナ表記にしたのも含めての画題であり、文章であり、だったのだが・・・

同じ写真を見るのでも、 そこが 淡水域か 『海』かの認識が違うと、 そこに思い描く「風」へのイメージは 大きく違ってくる。
『海』で 印象として推すような「風」が吹いている状況なら、 人サイズのスケールで見ての荒れた波になる。
小鳥サイズのスケールで この波しかない『海』なら、 そこに“見える”のは、 周辺地域までの広域が穏やかな日和の情景では?

同じ写真でも、 状況設定を『海』として見るのでは、 この鳥が「風」に苦労しながら活動しているイメージは弱いだろう、
というより、
とても小さく軽い虫の運動性では ちょっとした一時の風で影響を被って、 鳥は その風の恩恵で獲物に与れそう、というのでは...
画題と矛盾する話にしていて、 表現的な意図であり、応募の意図でありとも、 状況の実際とも、 正反対ほど違う。

それを『応援』してあげるとは、 支離滅裂ぶりに気付けない自身は 楽しげな文章を書ける才覚...のつもりでいられるのだろうが...
何でも無関係に、 ただ自身のスケール感の中に当てはめたような “小ぢんまり”した情景として『応援』してあげても、ねぇ・・・

そして、 残念さんほど、 眼前の現実ですらの万事で 、 自身と同類の残念さんの愚かな妄想披露にこそ同調しているのが 世の常。
まして、 その妄想披露が、 あたかも専門家そうな肩書さんで、 出版物の活字印刷で、ともなれば、 なおさらのこと。
そんな、 専門家そうな肩書さんの妄想披露を真に受けて 『実際とは違う状況』の方が見えてしまう 同類の残念さんは多そう。
これには、 そう簡単にあるのではない写真を “残念さん”同士の“おままごと”で“無駄”に使われた感の 不快と嫌悪しかない。

あるいは、 写真を見れば、 専門家そうな肩書さんのコメントが 実態とは違うだろうことが 確定的に推定できる人もいるだろう。
でも、 テーマのところから 応募に明記してあるのとは変えられている経緯は 知り得ない。
これでは、 専門家そうな肩書さんのコメントを、 応募者の方が虚偽を書いていたものを踏襲したことでの誤りとも思われかねない。
こちらからは 知りようもなければ 対応もしようがないところで 不実の評価を着せられるのでは、 馬鹿げた迷惑。

専門家そうな肩書さんのコメントが、 無駄なだけとは違う、 むしろ 何も書かなかった方が良かった、のでは、 極論なら...
それを書いた自身が無駄な存在というだけとは違う、 その自身が存在していない方が良かったことにもなる。


そして、 この 専門家そうな肩書さんのコメントの 写真自体への視点は、 写真(静止画)に見える要素を語句に訳した列挙。
・・・、 写真(静止画)へのコメントだから、 それで順当...と思っていられる??

その、 画一的には表せないのがナーバスなところでも、 そこにある“違和感”...は、 次回の予定。

飛行機(JAL)到着|実写特有

2024年10月26日 | 航空機
一部分だけが鮮明で 周囲が流れて写る、というところの文字的共通だけなら、 露出間ズームにも似た要素がある写り方でも...









露出間ズームなら、 実際には静止している物でも “スピード感”の印象を演出した画を作れる。
そして、 かつての 撮影からプリントまで全て銀塩の時代とは事情が違う 近代では、 画像加工でも 同じ効果を作れる。
だから、 静体の露出間ズームなら、 現場で実写を決める甲斐が 銀塩の時代より薄い x x x
あるいは、
動体を高速シャッターで写し止めた画に 露出間ズームの画像加工をするのは、 実写のままとは考え難いのが解る画になったりする。

対して、 被写体は 一部分が鮮明で 周囲が流れて、 その他が全面均一に流れた写り方は、 実際に動いている物の「実写」特有。
・・・まぁ、 加工した画像を貼り合わせて 似せた画を作れなくもない、が...
常識的には、 そんな手間をかけてまでは やらないだろう、というところ x x x

飛行機(J-AIR)到着|小さめの機種では

2024年10月19日 | 航空機
画角固定の流し撮りで 被写体自体も場所によって流れて写る加減は、 鮮明に写る部分から遠いところほど 大きくなる、ので...



被写体自体の流れを 動きで表れる“視覚的な効果”と見るなら、 小さめの機種では この“効果”は弱め x x x
逆に、 普通っぽくて わかり易く見えるともいえるか。

飛行機(ANA)到着|斜めの角度の流し撮りでは...

2024年10月12日 | 航空機
この距離での 機体を斜めから見る 画角固定の流し撮りでは、 原理的に、 機体が鮮明に写るのは 一線状の部分だけ。
・・・ 厳密に言えば 「一点だけ」だが...
滑走路の飛行機は 間近から広角では写せないので、 流す加減が よほど極端に大きすぎなければ、 一線状の周辺という感覚。



近くを通過していく被写体は、 高速シャッターなら全体が鮮明でも、 連写すると コマ毎に 見える角度と大きさが変化していく。
低速シャッターでは、 その 被写体の見える角度と大きさが露光中にも変化する加減が 大きくなる。
画角は固定でも、 追っている被写体の見え方が変化する分で 被写体だけ露出間ズームに似た写り方になる、といったところ。

もちろん、 追尾が正確に合わないと、 鮮明に写っている部分が無い「単にブレているだけ」になる x x x
そして、 “どこか”には合っていても、 「そこでは、ねぇ...」な位置になっていると、 使えない没コマ。

それが、 機体の鼻先から 航空会社のマークがある垂直尾翼までの “どこ”に合っているのが良いと思うかは、 それぞれ次第。
Aさんなら「完璧!」と思う位置が鮮明なコマでも、 Bさんは 「ここでは、ねぇ...」で 没にして消し去るかもしれない。
そうすると、 逆に、 Bさんなら「完璧!」を、 Aさんは 消し去ることでもあり。
あるいは、 Cさんは 一部以外が流れて写るのを 動きでの視覚的な効果とは見なくて、 機体全体が鮮明に写らないとNG、とか...
これは、 どれが客観的に正しいとかいうことではない、 好みの部分。

飛行機(IBEX)到着|“車高”低め

2024年10月05日 | 航空機
ジェットエンジンが機体後方にある機種。
ジェット機では、 エンジンが主翼の下にあるレイアウトも 昔から類型多数だが、 これも 昔からあったフォルム感。

主翼の下に構造物が無いので、 主翼が胴体の上部にあるプロペラ機並みに“車高”が低い。





A滑走路で離着陸できる小さめの機種でも、 B滑走路に降りる時もある。
ANA系は 短距離で減速していれば近回りするので、 伊丹スカイパークの北端辺りでは 目前の滑走路は通らないことも多い。
JAL系は、 ターミナルの北側を使う位置関係で、 短距離で減速していても 最寄りの誘導路に入ることは稀。

ウスバキトンボ飛翔|急挙動

2024年09月28日 | 昆虫・“虫”の類
飛翔写真でも “とまり”の静体でも、 非演出スナップは 殆どのコマが 既存と似たような画の繰り返しになるもので x x x



でも、 時には・・・



元サイズで見ると、 ちょっとピントが甘かったコマながら x x x

急挙動の瞬間の姿。

リアル世界(現実世界)に ちゃんと実在している本来の情景のままを写した、 “人の勝手な嗜好に合うように状況を作為的に改変して創作された虚構”のない 絶対非演出スナップです。

野鳥写真:大空を自在に翔ける飛翔写真 = 鳥の行動で「最も鳥らしい特徴が表れた魅力」とも言える 飛ぶ姿を中心に、 カワセミ(翡翠),オオタカなど猛禽類(鷹)といった人気の種類から バードウォッチングで“ものさし鳥”にも使われる普通種まで 幅広く。 多くは ネイチャーフォト系や動物写真系のフォトコンテストでの入選・入賞が出ている場所でのものです。 (撮影地は記載しません)
他に、 昆虫写真や ネコ写真(野良ねこ写真)、 航空機 など...
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