すぐ近くにある世界:野鳥,昆虫,航空機などの写真

都市部の近隣でも身近で見られる野鳥を中心に、
捏造(餌付け、ヤラセ)のない「本当の世界」の
写真を載せています。

カワウ 飛翔|光の“水先案内”...

2023年03月25日 | 野鳥・鳥類
“白”主体から 一転、 “黒”主体...



飛ぶ鳥が『写っている』だけで良いのなら、 少なからずの種類は 相応の機材さえ使えば 誰にでも写せる時代、とはいえ・・・
好条件で写すには、 “状況なりの動き”で “光との関係”も速く変化し続ける組み合わせに対応する必要がある。
その複合が良く揃うタイミングが 実際に見える前に判断して行動できる感覚も、 重要なスキルの1つ。

黒っぽい被写体を 質感がある写真に捉えるには、 中間的な色調と比べて、 光の扱いに難しさがある。
これは、 光が少し悪かったのも 明瞭に判断できることでもある。

そこがシビアな被写体で 良い光が“見える”ようになれれば、 少々ルーズでも影響が軽い種類は もっと簡単にできるようになる。
そして、 シビアで難しい...といっても、 カラスほどタイトではない、 ほどほどの加減で 手が届き易い。
光の扱いの部分でのスキル上達への“水先案内”をしてくれるように使える種類、ともいえそう。

ミコアイサ 飛翔|「幸運」が必要...

2023年03月18日 | 野鳥・鳥類
引き続き ミコアイサ...



体形は、 “一般的な鴨”として 身近で代表的なイメージの カルガモやマガモと比べると、 少し細身。
「~~アイサ」と呼ばれる種類の中で見ると、 かなり太くて丸っこい。
意識する範囲次第で、 細いとも 太いとも、 対極の表し方になる。





たいてい個体数が少なくても
『ミコアイサが飛んでいるのが写っている』
の短文に当てはまりさえすれば良いだけなら 機会はある。
実際、 僅か3単語の要素だけで もう思考が容量オーバーする定型残念さんの、 遠い後ろ姿を爆写して得意満面、が定番情景だが...
距離、角度、光、背景、・・・諸条件が良く揃って写せる機会は、 そう都合良くはあってくれない。

飛び立ってしまえば、 スピード感がある。
とはいえ、 上昇や方向転換は 俊敏ではない。
鴨類の飛ぶ能力は、 渡りの長距離移動が重要なので、 直進の効率優先だろう。

近距離の移動では 低空を直線と大きな弧を繋いだルートでしか飛べないのは、 もし飛んだら見られるだろう状況を予想し易い要素。
鳥の飛翔写真では、 写せる結果は カメラ操作スキルの優劣だけが全て、と思われがち?
実際は、 それ以上に、 状況の多面を総合しての知的な行動が重要なもの。
でも、 可能性としては最善の 期待できる行動をしても、 実際に逢えるかは その時の巡り合わせ次第で “運”次第。
そして、 顔が少し悪い向きになっていたような小さな差だけでも 使えない結果に終わる。
なので、 知的な裏付けがある狙いの通りに捉えた結果を 「幸運」とか表現したりもする。
門外漢は それを“偶然に遇えた”と誤解して、 無思考に立った場所で待つだけの偶然任せと混同するのも、 ありがちパターン。



鳥がたくさんいた方が 狙える可能性がある対象が多い代わり、 周囲に写り込むことも多くなる。
重なりが上手く揃えば 周囲の情景として 効果的な要素になる...とはいえ、
「・・・、 邪魔 x x x 」
になる方が 圧倒的に多い。
飛翔写真では、 重なり方を見ては狙えない上に、 動きの形のタイミングまで良く揃わないと使えないので、 “当たり”は出難い。

ミコアイサ 潜水|強迫観念 x x x

2023年03月14日 | 野鳥・鳥類
一応、 “動き”はあるシーンではあり・・・









潜る時の動き方には、 個体それぞれの癖のような差が見え易い。
できれば、 もっと高く跳び上がる個体に来てほしいところ... とはいえ、 そこにある状況しか写せない。

一応は写せる状況があると、 強迫観念的な感覚で、 なんとなく スルーし難い x x x

ミコアイサ|強風の季節には 都合の良さも

2023年03月11日 | 野鳥・鳥類
冬鳥を狙えるのは 風が強い日が多い季節でもあり。

狙いが水鳥の状況では、 風で水面が波立つと
「写しても 画が酷くなりすぎるから 無駄、 残念 x x x 」
で カメラを構える機会もない 完全スルー待機が続きがち。





全体に白が基調で、 白色度も高い。
他種の鴨と同じ露光レベルでは 白トビ感が酷くなるので アンダー側に振ると、 背景も暗めになる。
風が吹き続けて 波で背景が明るい状況しかなくても 悪く影響する加減が軽めで済んだ画を得られる面はある。

“パンダ鴨”ミコアイサ|過去分の供養 x x x

2023年03月04日 | 野鳥・鳥類
このところの鳥写真は、 狙いたい状況が少ない印象が強い。
冬の前の秋から ずっと、 鳥の状況も 天候も 両方面揃って “フィールドが こっちを向いてくれない”感。

特に 寒さが厳しい時期は、 写しに出る機会自体が 壊滅的に少なかった感覚。
まぁ、 その分なのか、 毎冬に 冷えで 手足の指が“死体”化する加減が 近年の記憶にないレベルで 軽く済みそうではあり。

そこで、 このところ過去分を再整理していた中にあった ミコアイサを、 何回かで 供養 x x x







オス夏羽は、 特徴が顕著で、 最強コントラストの 白黒 ハッキリ クッキリ。
「種名が証明できる」「パンダ模様なのがわかる」だけなら簡単でも、 写真は 明暗差が大きい被写体の質感表現は苦手。
条件が良く揃わないと “証拠写真”に留まるのが ありがち。
そして、 同じ画像でも 表示側によって見え方は違うのが顕著に影響する部分が多いので、 鑑賞写真には 扱い難い種類。

コアジサシ飛翔|お魚付きで

2022年07月09日 | 野鳥・鳥類




雛に持って帰るのか、 捕らえた魚を持って。

ダイビングで魚を捕らえる鳥では、 カワセミが運ぶ時は、 枝などに とまった状態で 魚の頭が前になるように 持ち直す。
コアジサシでは、 咥え直すのも 飛び続けながらで、 横向きに持っている。

ツバメ飛翔|翔け回る

2022年06月04日 | 野鳥・鳥類
だいぶ前に募集されていた goo blog トップページ掲載
テキストは、 知っている人には当たり前すぎること... なんですが・・・
当たり前のことに目を向ける気もない 全く違う趣向が 「鳥を写す」の共通だけで一緒くたにされているのが、 困った現状で。

ここからは ツバメの写真。



旋回で傾いて 背中側が見えるタイミング。
こっちを見てるような 雰囲気も??



飛翔シーンを写すと、 目視では何も見えないところにも 虫がたくさん飛んでいるのが写っていたりする。

ツバメの類の 捕食行動は、 飛び回りながら かなり遠くにいる特定の1匹に狙いを定めてから 飛びついていく印象。
虫の近くを通っても、 遠くのうちから捕捉できていなかったものは素通りしているよう。

ツバメ飛翔|低空を駆け抜ける

2022年04月16日 | 野鳥・鳥類
「飛ぶ」ことは 鳥類の特徴的な要素の1つ。
でも、 普段の行動では 結構な距離を 歩いたり 泳いだり、と、 飛ぶのは なるべく少なくしたいらしい種類も多い。
自然界では、 急がず 危険も少なければ、 遅くて 時間がかかっても 体力の消耗を抑えるのは 重要な判断。
「飛ぶ」のは、 “特急券”的な、 費用ならぬ 疲労対効果として 必要なら使っても、 むやみやたらには使えない感もある。

そんな中で、 ツバメの類は、 飛行能力の高さも、 翔け回り続けるところも、 「飛ぶ」ことの魅力を 存分に見せてくれる種類。



背景は、 白っぽい低空が映った川面。
ツバメは、 背景が 他種の白っぽい鳥なら使えなくもない程度の明るめでも、 明暗差で見難くなる影響を 大きく受けてしまう。
かといって、 背景が暗いと 周囲に埋もれてしまって わかり難くなりがちで、 背景との組み合わせの兼ね合いに 条件が厳しい。



顔の辺りには ピントが合った解像感があっても、 少し奥の 胴は 被写界深度に入っていない。

顔や背中の 黒く見えることも多い部分は、 向きと光の角度次第では 青っぽく輝く。
その光で 質感がある画を捉えるのが、 ツバメの写真の要所。
ありがちな、 豆粒砂粒サイズの黒ツブレでも 種名の判別は 輪郭の特徴がありすぎる形だけで断定できることを
「私は、 飛んでいるツバメが写っているのが間違いないことが ちゃんと判る写真の撮影にまでも『成功』している」
と ご自慢の 自称『達人』サンや、 それを崇めての『集い』は、 鳥写真に興味を持ったことすらないからこその 言葉遊び。

近距離に来ても 瞬く間に通過してしまう状況の中に、 あるとは限らないタイミングを予測して狙う、のだが・・・
俊敏 かつ 不規則に移動する 小さな鳥の、 その中でも眼に、 とても薄いピントが当たる必要がある。
撮影倍率が リアル世界で使える画のスケールになると、 正面寄りの角度だと、 被写界深度に入るのは 正に眼元だけ。
そんなシビアなピントが当たったコマで、 光も、動きの形も、背景も、と、 同時に何でもが都合良くは なかなか揃ってくれない。

カラス vs オオタカ...というか、カラスに追われるオオタカ|画的な条件が悪いとAFは外れがちで、それが...

2022年04月01日 | 野鳥・鳥類
鷹は猛禽として知られて、 野鳥観察や 野鳥写真では 好まれて 期待される種類だろう。
一般には 「速い」「強い」とか...のイメージを持たれていがちなのかも。
「カッコいい」とかも・・・

でも、 写真作品や自然番組などで描かれるイメージは、 “人”の側の嗜好で選別されたハイライトシーンのダイジェスト。
それは、 個々のシーン別には それぞれ正当な事実でも、 他にも膨大にある情景が抜けて構成されたイメージ。

フィールドで実際に見る 鷹の姿は 本当のリアルの一端なので、 カラスに追いかけられているシーンも 少なからずある。
そして、 殆どの鷹は、 はばたいて飛ぶのは、 むしろ遅い。
だから、 一度絡んでこられると 振り切れなくて、 カラスが飽きるか諦めるまで続く。

カラスにとって 鷹は“天敵”なのと同時に、 鷹にとっても カラスは 面倒な相手でもあるだろう。



光の条件が悪く、 ピント感も甘かった x x x

こういう 不意に予想外の動きがあるかもしれないシーンでは、 光の条件が悪くても 一応 シャッターを切っておくこともある。
が、 鳥の飛翔写真では、 経験的に、 逆光で無理に写しても ピンボケのコマが続く結果に終わっていることが多い印象が強い。

他にも、 被写体が小さくしか写らない条件では、 背景が全面青空で AFが迷う対象がない状況でも ピントの精度が低いと感じる。
広い画角で 周囲に余白的な空間がより広くあるほど、 画面内への導入や動きを追う難度は低くて済む、 が・・・
その引き替えに、 たとえピントが合って写っても、 たいていは、 たいして見栄えのする画には なってくれない。

その総合で、 大きく写せるのと 光も良く入るのが揃って より好条件になるほど、 AFが当たってくれる確率は高めになる傾向。
逆に、 望み得る最良に写っても たいした画は期待できない状況ほど、 ピントは合っていても“残念な画”すら 得られ難い。
だから、 鳥の飛翔写真では、 良い条件で狙える状況に居られる機会を多く持てることが 成果に繋がる要所。

でも、 平時の状況でまで、 ド逆光の 砂粒ほどにしか写らない遠くでもお構いなしに 大量連写し続けるのが ありがちな情景。
そんな行動しか知らないと、 “残念な画”も なかなか得られないだけの希薄さが、 あべこべに、 希少な ありがたさに化けて、
「私は、 こんなに『成功』し難い 高度なスキルが必要な撮影にも『挑戦』できるほどにまでも優秀なのだ」
とか
「私は、 こんなにも高度なスキルが必要な撮影にも『成功』したことがあるほどにまでも優秀なのだ」
と 陶酔して、 その“残念な画”のご自慢を たいそう華々しい文言で押し売りにお励みになってしまうお方も 多々。

どこにでも、 日頃の日常から あらゆる何でもが わかりようがなくて暮らしている面々は 無数にいるもの。
そして、 聞こえた単語を真似て口走るのが“わかっている”こと、と理解してしまっているのが、 生活上で編み出される浅知恵。
そんな言葉遊びだけで暮らしている面々は、 鳥写真でも、 優れた作品と 自身の写真に 同じ文言を充てられる要素を探して、
「飛んでいる○○が写っている」
果ては
「○○が写っている」
とまで 極度に要約しすぎた短文に“僅かすぎる断片の単語だけの共通”があるのが “同じもの”に化けて 舞い上がって
「~~の撮影に『成功』した」
と 口走るのを、 自身も 優れた作品と同等...どころか、 なぜか 遥かに凌駕する超絶な才覚がある証明にしてしまう。
・・・すると・・・
そんなお方の下に 同類さんだけが群がった『集い』が形成されるのが、 各地で無限に繰り返され続ける 定型の情景。
それは、 そのお話に倣えば 互いに称え合って 自身をご都合良く祀り上げていられるのが ありがたがられるだけの ご事情。
実態は稚拙な自身を 優秀なことにしたい願望では、 ご都合が良い『集い』に閉じ籠もり続けるしかないだけの ご事情でもあり。
例えば、 飛び去って行くツバメを 200mも遠くまで 間断なく連写し続けて得意げなお方のご指導を仰いでいる実例もある x x x
そのお方には、 逆光で飛び去るミサゴを 150mから始まって 1㎞以上の遠くまで 数千コマ規模で 延々と連写し続けた実績も x x x
そんな類の奇行自慢を羨望で崇めていられる『集い』では、 オオタカのような 特に好まれる種類だと、 150mとか 200mでも
「ここまで近くでは まだ誰も撮影に『成功』していない、 全世界の歴史上ダントツ最高の究極チャンス!」
「にめ~た~ぁ(2m)もない! 危ない! ここまで近いと、 はばたいている羽が レンズに当たってしまうぞ! 気をつけろ!」
などとの滑稽なお話に 本気で熱狂しているような情景も、 残念ながら、 全く珍しくもない、 いつも通りの日常 x x x

また、 “逆光”は、 知り得る知識が数少なすぎる面々には、 口走ることが好まれる単語の1つでもあって・・・
それは、 無知すぎるご自慢での自己顕示欲では、 なんだか専門的そう...な用語を口走れるのが 魅惑のプレイ、といったところ。
何でも無知すぎるから、 単語の連呼だけで陶酔して、 それしかできないから 延々と繰り返し続けて重宝される ご事情もあり。
たとえば、 狂乱的に色めきたって 延々と連写している『集い』の面々に、 “独り言”の体裁で わざと聞こえるように
「そんな 砂粒の逆光まで写して 何になるのやら・・・」
と言うと、 モニターに表示した画像を見てから
「△☆※◇~~、 “逆光”! これは“逆光”! “逆光”だから 真っ黒にしか写らないよ!」
と 大きなお声で周囲に教えてあげて、 それを
「“逆光”ほどもの とっってっつもない超~ぉ~高度な専門用語までをも知っているのは 私だけ!! ということは・・・」
「アンタが先に“逆光”だと言ったのは、 私が先に気付いて教えてあげたのを後から真似したと 私はちゃんとわかっている!」
と、 残念なご自慢を語って 優秀を気取っていられてしまうお方が 無数にいてしまうもので・・・
その後は、 毎度のお祭り無限ループが、 爆写しては 皆で“逆光”を含めた文言を得意げに口走り合う 2段階構成に発展 x x x

でも、 “逆光”は、 「写真はスマホだけ」のレベルでも 何も特別ではない程度だろう、 一般でも日常にある 初歩的な知識。
そして、 状況が逆光なのは 写さなくても判断できるもの。
他にも、
昼間の順光側でも 日差しが陰っている時は 陽が射した写真にはならない、
遠すぎる鳥は 小さくしか写らない、
飛び去って行く鳥は 後ろ姿しか写らない、
・・・、
これらも、 写さなくても、 そして、 他者が その撮影者から離れた場所から見ても 最良で どう写るのか推測できるもの。
この程度のことは、 言うのも馬鹿馬鹿しすぎる、 写真に限定されない 一般にも 誰にでもわかる 当たり前すぎる道理・・・
でも、 そんな簡単なことでも わかりようがなくて 想像すら できようもない面々は 無数にいるわけで・・・
だから、 各地で無数に盛況の『集い』では、 いつでも
“今こそ 夢見る写真が写せるのでは”
と、 実際は その可能性などない状況にも 皆で 待ち望んでいるシーンを賑やかに語り合って 期待に胸躍らせていられる、が・・・
それは、 周囲より優れているつもりで 嬉々としていられるほど、 そのお幸せでいるお姿の哀しさが 一層 際立ってしまう情景。

また、 こういう“~~がわからない”での行動には、 どうすればよいのかわからずに まごつくばかり、と勘違いされがちのよう。
当の 何でもわかりようがない面々こそ、 戸惑うことなく 自信満々に行動できることを、 正しくわかっている証拠にしてしまう。
でも、 実際は、 自身が わかっていないことは、 その自身には「わからないこと自体が わからない」のが 当然の道理。
理解が間違っていても、 それが正しくわかっているつもりで、 疑いもせず 倒錯した行動に邁進し続けるもの。
あるいは、 知らないことで 認識もせず 行動しようともしないことにも、 まごつく状況はないところは 同じ。
そして、 言動が 明白な矛盾を連ね続けていても、 自身では気付けないし、 他者から指摘されても その現実が理解できないもの。
これらは、 その当事者には、 “現実とは無関係なことが 現実かのように見えている”ということ。
それを、 他者の視点からの感覚で “○○がわからない”と表して 客観的事実を正しく説明しても、 話が噛み合うはずもない。
「わからないこと自体が わからない」のが わからない、 また更に それが わからない、 また更に、が 無限に重なり続けるだけ。
しかも、 あべこべに、 自身こそが 他者には理解できないことまで知っているとして、 より優れている証明にしてしまうのが 常。

当然、 簡単すぎること程度はわかる撮影者なら、 望み得る最良に写っても無価値な状況では、 何事もなく スルー。
いちいち写す必要もなく、 写さない理由を いちいち大声で叫ぶ必要もなく、 ただ平然と 静かに スルー。
だから、 無価値な状況と気付けずに 色めきたって爆写している時点で、 もう既に、 周囲に 自身の無知を 明確に証明提示済み。
その上に、 写した後になってから“逆光”を連呼し合うことを またご自慢し合っていては、 無知自慢の上塗りでしかない。
そんな『集い』の面々は、 日々 延々と待ち望み続けてきた 狂喜乱舞の歴史的シャッターチャンスを 周囲に教えてあげて、
「良い写真を写されたんでしょうね」
「良かったですね」
と、 にこやかなご挨拶で 軽く受け流されて、 その相手自身は なぜか 写そうともしない、 とか、
「そんなものまで 教えてくれなくていいんですよ」
「そんなものまで 写そうとする必要はないんですよ」
それとも、 会釈したような...違ったような... あるいは 「聞こえなかった?」かに 一言も発さずにスルーされても、 ご勝手に
“教えてもらっても、 私では 撮影に『成功』できるはずがないから、 写そうとすることも諦めるしかないんです”
と、 言われてもいない どこでもどれでも一律に定型のお話が聞こえてしまって、
“私は、 周りの誰もが『挑戦』しようとすることすら諦めるしかない高度なことまでも『成功』できるほど 優秀なのだ”
と化けて、 ますます 自身が超絶に優秀なのだと 確信を深めてしまうだけ。
そんな同類さん同士だけでの『集い』に隔絶されていれば、 その外からは見えている実態に気付けずにいられる、が・・・
それは、 より滑稽なお姿を晒すほど よりお幸せでいられる、 あべこべな優越感での倒錯した幻想世界に暮らしているだけのこと。

鳥写真では、 自慢にもならない ほんの最低限の理解さえあれば、 行動の全ても、写せる結果も、 根本から別の世界になるもの。
そこで何をどう喜ぶかは、 それぞれのご自由でもあり、 かといって、 望んでも ご自由に選べるとは限らないものも あるだろう。

ヒドリガモ(メス)飛翔

2022年03月10日 | 野鳥・鳥類
オスの夏羽が色鮮やかな鴨でも、 メスは、 育巣時に保護色としての効果が高い 地味めな色合いの種類が多い。





向きの角度と 光の角度との組み合わせが、 極端にまでは悪くなくても、 少々 理想的な完全ではなかった。

リアル世界(現実世界)に ちゃんと実在している本来の情景のままを写した、 “人の勝手な嗜好に合うように状況を作為的に改変して創作された虚構”のない 絶対非演出スナップです。

野鳥写真:大空を自在に翔ける飛翔写真 = 鳥の行動で「最も鳥らしい特徴が表れた魅力」とも言える 飛ぶ姿を中心に、 カワセミ(翡翠),オオタカなど猛禽類(鷹)といった人気の種類から バードウォッチングで“ものさし鳥”にも使われる普通種まで 幅広く。 多くは ネイチャーフォト系や動物写真系のフォトコンテストでの入選・入賞が出ている場所でのものです。 (撮影地は記載しません)
他に、 昆虫写真や ネコ写真(野良ねこ写真)、 航空機 など...
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