すぐ近くにある世界:野鳥,昆虫,航空機などの写真

都市部の近隣でも身近で見られる野鳥を中心に、
捏造(餌付け、ヤラセ)のない「本当の世界」の
写真を載せています。

Film:ゴイサギ飛び立ち|「ぁ、 飛べるんや!」って x x x

2021年06月26日 | 野鳥・鳥類
前記事と同じく...
大昔の フィルムからのプリントを、 一般家庭にも普通にある類の 並なプリンターのスキャナーで デジタル化したもの x x x





いつでも たいてい動きが乏しくて、 動的なシーンに当たる機会が少ないゴイサギが 飛び立つ瞬間。
「ペンギン!?」と思っていた向きには、 「ぁ、 飛べるんや!」なシーンでもあり x x x

フィルムの時代には、 写せるコマ数が、 近代のデジタル環境とは 桁違いどころではなく 遥かに少なかった。
だから、 文言で表せば 同じ「写真」といっても、 現代とは、 写そうとすることへの感覚から何でもが 全く違うものだった。
その、 現代から見れば窮屈だった制約には、 写せる確証がなくて 効率も悪い待ちも 粘り強くできていられた面もあったと思う。

現代では、 動的な画を狙える選択肢が格段に広がったこともあって、 こういう類の状況は 時間の無駄に思えて スルーしがち。

Film:ゴイサギ|ペンギンではない x x x

2021年06月24日 | 野鳥・鳥類
大昔の フィルムからのプリントを、 普通の スキャナー一体プリンターでデジタル化したもの...

こういう機器では、 階調感の調節に時間をかけても、 あまり高くない水準での限度がある。
なので、 元プリントの忠実な再現とか、 撮影から全てデジタル環境と同等の品質を望むのは、 無理があるが x x x



長い時間 殆ど動かないことが多い ゴイサギ。
鳥に詳しくない人が見つけると、 「!?、何か立ってるぅ!」とか 「ペンギンがいる!」とか言われがち。

ペンギン・・・、 ずんぐりぎみの体形で直立して、 背中側が暗めで 腹側が白っぽい配色は、 似てるといえば 似てる・・・か。

セグロセキレイ飛翔|基本の習得に適した種類、ただし...

2021年06月19日 | 野鳥・鳥類
雛に持って帰る虫を捕らえようと 忙しく飛び回る セグロセキレイ。





鳥写真では 当たり前すぎるはずの話ながら・・・

でも、 当たり前すぎることほど、 いちいち語られる機会もないのが 物事の道理。
だから、 どこでも定番の、 優れた写真を撮れる人に付き纏って 聞き耳を立てて、 聞こえた単語を でたらめに繋いだお噺を
『私は 鳥写真に詳しいから、 これほどのことまでも知っている』
として 復唱し合っている集いでの 支離滅裂なご教義の元ネタになることすら少ない部分なのでは...


セキレイの類は、 大抵 どこでもいて、 見通しが利く 開けた場所で、 活発に活動している機会が多い。
そういう特徴から、 “鳥の写真”の初心者が 基本を習得していける被写体として 「特に」適した種類の1つ。

これは、 もちろん、 シーンが 静的でも 動的でも、 ただ セキレイを写せればよいという話ではない。

『鳥が写っている』とは表せるだけの写真なら、 カメラを 鳥がいる方向に向けてシャッターを切りさえすれば、 誰にでも写せる。
ありがちな、 超望遠レンズで スマホなど他より大きく写せる『才能』のご自慢は、 その機材を使えば 誰がやっても同じ。
そんな『○○が写っている』だけを称え合って得意げでいる 門外漢さん同士での“鳥の写真ごっこ”の集いも 無数にあるが・・・

鳥を写すことを目的に行動するなら、 画に求める価値観は、 その鳥を見た証拠になれば満願でいられるのとは 根本から違うはず。
「鳥が写っている写真」が何でも『鳥の写真』でも 「文言としてだけ」なら 間違いではないが・・・
でも、 そもそも、 「鳥の写真」に限らず、 何かをする意向とは、 極度に要約しすぎた文言の共通を作ることではない。
写ってさえいれば目的達成でいられるのでは、 「鳥の写真」では ズブの素人にも含まれない 無関係な部外者としての 門外漢。

写真として初歩の 最低限の体裁を意識するだけでも、 角度や動きの形、光、背景や周囲、など、 同時に揃えるべき要素は多い。
そして、 鳥の多くは小さいので 超望遠でも なるべく近くから写したい... が、 そうそう いつでも都合良くは いかない。
それらを 偶然頼りではなく揃えるには、 「鳥」、「写真」、両方を複合した「鳥の写真」、と、 多角的な 知識とスキルが必要。
鳥の知識は 種名を言えることだけではないし、 写真のスキルは 被写体を画面に入れて写す カメラの操作だけではない。
そういう諸々を的確に習得していくことで、 基本的な体裁を成した画の撮影を 知的な行動で実践できるように、ということ。

どこででも 膨大にあり続けている、 鳥に近付いて行く繰り返しで 追いかけ回すのは、 完全無知な門外漢の証明そのものの愚行。
鳥が行く所に 先回りして待てれば、 そんな、 自身が写そうとする鳥を わざわざ追い散らして自爆し続ける矛盾には ならない。

自身が鳥に近付いて行こうとするのと、 結果的な状況として 鳥の方が近付いて来た形になるのは、 動きの関係が 逆。
そして、 後から 門外漢が真似て その同じ場所で延々と待ち続けても、 鳥は 警戒して寄り付かない。
これが、 完全無知な門外漢には、 自身の浅知恵と混同した妄想で ご勝手に“餌付け”と決めつけたりされるが x x x
あるいは、 『予知能力!?』とか『鳥を操っている!?』などと “超能力”やら“魔法”かのファンタジー妄想も ありがちだが x x x
餌付けでもなければ、 超能力やら魔法でもなく、 「鳥を知っている人」なら全く当たり前の、 幅広く応用も利く 基本中の基本。

どんな分野でも、 まずは 基本が重要。
しかも、 大抵は、 初歩の基本だけでも、 もう 周囲からは プロ級かに驚愕されることが 「できて当然」になる。

機材を買って 時間も労力も費やすなら、 “ごっこ”にしか暮らせないよりも、 実際に より良い画を写せた方が 魅力的なのでは。

鳥写真では、 関わってくる知識やスキルの多くは、 始める前の まだ やったことがなかったうちは 馴染みが薄かったものだろう。
だから、 ごく簡単なことを 少しでも習得するだけで、 すぐに 写せる画の差になって表れる成果に繋がり易い 即効性がある。
加えて、 動的なシーンを狙えるスキルが上がるほど、 撮影機会自体を 遥かに多くできて、 鳥写真への感覚は 更に別世界になる。
そんな断然のお得さを望むなら、 まずは、 地味でも重要な初歩の基本に 手厚く取り組んでおくのが、 結局は 最短最速ルート。
基本を疎かにして ありがたがられる種類に群がり続けるのは、 ずっと ほんの初歩も知らない門外漢のままの 無限ループ。

でも、 動的といえば 動的でも、 長い距離を飛んでいく状況の飛翔写真には、 事情が違ってくる。
セキレイの飛び方は、 ヒヨドリなどのように、 はばたきが間欠的で 軌道が波型になるので、 難度が高め。
だから、 飛翔写真の部分は、 まずは 大きい種類、 そして 直線的に飛ぶ鳥、と、 難度が低いものから取り組んだ方が良い。

「セキレイは 基本の習得に適している」からといって、 鳥は 何にでも同じ文言を復唱していさえすればいいほど単純ではない。

オオヨシキリ飛翔|逆光ぎみで...

2021年06月10日 | 野鳥・鳥類
被写体自体に 影になっている部分があるのは、 加減次第では 立体感がつく効果があったりする。

飛翔写真では 予測できない一瞬の微妙な動きで 写り方が全く違ってきたりするので、 条件が悪めでも 一応写しておくが・・・



これだと、 光の条件としては ちょっと厳しい x x x



無理ぎみながら、 一応 それっぽく纏められた?

ムクドリ・雛に持って帰るのは...

2021年05月29日 | 野鳥・鳥類
画的には、 人の美的感覚からすると ちょっと微妙そうながら...
これも リアルな自然なので。





一度に このヴォリュームで調達できれば、 効率が良い往復だったのでは。

チュウシャクシギ|野を歩む

2021年05月13日 | 野鳥・鳥類
シギ(鴫)は、 少し広めの括りでは、 チドリや カモメと近い種類。

チュウシャクシギは、 イソシギや クサシギより 遥かに大きい。
シギの仲間は、 大きさや形のバリエーションの幅が広い。





前下がりに曲がった 長い嘴など、 都市部近郊でも見られる種類の中では 特徴がある形に面白さが感じられる種類かも。

ツバメ飛翔|奇跡の1枚?それとも? 自己評価は、それぞれ次第

2021年05月08日 | 野鳥・鳥類
種名でのツバメは 光の入り方にシビアで、 他種なら それほど影響しない僅かな差でも 顔の色が出てくれない印象が強い。
光は、 写真では初歩的すぎる要素でも、 速い動きで 常に変化する状況に より高い精度で対応するのは 難度が上がる。





ツバメの飛翔写真は、 難しいのか、 それほどでもないのか・・・
これは、 鳥の飛翔写真の中でも 特に色々な要素がありすぎて、 表すのは難しい。

そして、 そもそも、 求める写真のレベル自体が 千差万別。
だから、 写真の評価も、 自身のレベルの評価も、 難易の表現も、 基準が それぞれによって 全く違うもの。

ツバメは、 なにしろ 形が特徴的すぎるので、 極小のシルエットで写っているだけでも 判別はできる。
スキルというほどのものもなく、 求める写真のレベルも相応に低いと、 砂粒写真で狂喜乱舞して
「私ほどにもなれば、 これほどまでもの撮影にすらも 簡単に『成功』できる」
などと 豪語して、 超絶に優秀なつもりでのご指導の押し売りに 纏わりついてきてしまうのが ありがち。

一方で、 大多数にとっては 実際には一生ないだろう奇跡に夢見る絵空事も遥かに超越した画を 「写せて当然」の人もいる。
でも、 そういう人が、 「ツバメは 簡単には写せない」とか 「ツバメを写すのは 難しい」と表すかもしれない。
それは、 「自身が望む、 より高いレベルの写真は」の意。
そして、 “特に”という一部以外の 殆どを、 平凡で使い道もない“量産型飛翔写真”は 保存しても邪魔、と、 平然と消去。

写せない側からすれば、 一生無縁だろう 想像を絶する“神業写真”が 無数に軽々と棄てられる格差の現実は、 直視しがたい。
その この世界から消し去られる中の1コマでも 自分が手にできたなら... と考えても、 “神”よりも “悪魔”的かも。


飛翔写真では、 たいしたスキルは必要ない機会しかなければ、 写した結果には 撮影者のスキルの差は 殆ど表れない。
そういう状況でなら、 他と比べて上回る差をつけたければ、 その手段は 機材の豪華さを競い続けることだろうが・・・

ツバメの類は、 スキルが際限なく高ければ高いなりに活かした世界に踏み込める機会が期待できる。
豪華機材の恩恵は大きくても、 それだけで 誰でも同じように写せるほど 無味乾燥で退屈な浅い世界ではない。
これは、 自身の現状なりでの 写せた画自体の成果を期待する“実戦”に、 スキルアップに繋がる要素が多くあるともいえる。
そこには、 他の撮影機会への波及効果も期待できて、 向上心があるなら お得な撮影テーマだろう。

ミサゴ・上空から狙いを定めて|背景での制約には...

2021年04月10日 | 野鳥・鳥類
軍用機のオスプレイで 一般の認知度が上がった感もある ミサゴ。







この撮影地も 都市部近郊なので、 ほぼ どこに向いても 背景が雑然としている。
かといって、 “自然的”な鳥と“街的”な環境の 対照的な構成の表現要素として逆利用できる期待も乏しい。
目障りな物がないのは 角度がかなり高い範囲だけで、 画的には単調で無表情な 空だけの背景でも 確保できる範囲は狭い。

「○○が写っている」だけしか見えない向きは、 背景なんてお構いなしに 撮影に『成功』したと喜んでいられるのだろうが・・・
この位置関係での飛び込むシーンは、 使える画になる“かもしれない”期待も無さすぎて、 シャッターを切る気にならない x x x

でも まぁ、 地理的に手近な場所では、 色々と制約が多いのも仕方なしと 割り切りも必要。
その写せる範囲の中に 使える画にできるものを探す、ということになる。

そういう、 ほぼどこでも 風情がある画は望み難い状況での 自分的な考え方では、 空中での一瞬の形を狙うのが軸になっている。

カワセミ飛び立ち|こういうのは写し易い種類、なのだが...

2021年04月01日 | 野鳥・鳥類
元画像は、 何なら PCのデスクトップ背景サイズでも使えるが・・・
光の入り方が あまり良くないので、 通常対応で x x x
まぁ、 これでも 画素数的には L判に長辺一杯で高画質印刷できる目安に足りるサイズ。



これまでにも書いている類の話ながら...

カワセミは、 体形の特徴の1つとして 脚がとても短いので、 歩く動作には不向き。
だから、 ごく短い距離では とても小さな歩幅での 急にスライドしたようにも見える動きで素早く歩くことはあるものの、 ほんの近い距離でも 殆どは いちいち飛んで移動するので、 飛び立ちの機会が多くあって、 予測も かなり容易。
動き出しも、 強く蹴り出せないから?なのか、 「小さい鳥としては」の条件内では 破格の超スローモーション。
周囲の余白的な空間が そう広くはないスケールで狙っていても、 動き出したのを見てからレリーズするとか その後の動きを追いながら写すとか “普通”にやるだけで間に合ってしまうのは、 似た大きさの 他種の鳥とは 感覚が違いすぎる 独特の世界。

この特徴から、 こういう画は 「 回数が多い × 予測し易い × 難度が低め = たくさん写せる 」。
ただし・・・
これは当然、 どこにでも 無数にいてしまう、 “ヤラセ枝”のような小細工の 幼児然とした『積み木自慢』をしていられる面々に荒らされずに済んで 自然な状況がある間は、だが。
そして、 この事情は、 ダイビングのシーンを狙うことでも同じ。
これは、 カワセミの行動を 少しでも見たことさえあれば、 初心者でも容易にわかるにすぎないこと。

当たり前すぎることだが、 鳥写真では、 被写体になる鳥がいて、 撮れる状況があるシーンしか写せない。
そして、 写っているものを文言に置き換えて 「○○(種名)が写っている」とか「○○(種名)が △△(行動)しているのが写っている」と表せば ありがたがられるものに当てはまらなくはない、というだけで 「良い写真の撮影に『成功』した」と はしゃいでいられるものではない。
何が どう写っていても、 距離が遠すぎても、 光が悪くても、 構図内の周囲や背景が悪くても、 ダメなものはダメで 使いものにならない。
だから、 写す価値がある状況が 良い条件では起きなくしてしまう迷惑な存在が居れば(来れば)、 他の誰もがまで 巻き添えにされて、 写したところで価値の低い写真しか 望めなくなる。

カワセミは、 遥か昔から 多くにありがたがられ、 多くが追いかけ回し続けている。
そのため、 本来なら写せる条件が良い場所は、 “ヤラセ枝”の『積み木自慢』に象徴される愚かな面々が 日々 通い続けては、 その集いでは優れているとして称え合うことが求められる 稚拙な写真しか写せないようにしてあげて 荒らし続けていることで、 (カワセミが写ってさえいれば喜んでいられる嗜好ではない意図での) カワセミを撮れる機会は なくなってしまっている。

それでも、 『積み木自慢』の面々の、 既知の撮影地の現場ですら 自身では 唯一のお目当てのカワセミがすぐ近くに来ていても気付けないから、 いつでも そもそもフィールドを見ることもせずに 皆でずっと 他の人が見つけるのを監視しているような能力では、 自力で 他にもカワセミが活動している場所を見つけることは 殆どできない。
だから、 ほんの最低限の知識さえあれば、 他の場所で 条件は良くなくても そこそこには写せる状況は見つけられる。
・・・のだが・・・
当然、 カワセミが目に前にいても見つけられない面々でも、 桁違いどころではなく遥かに大きい「人」は 見つけられるわけで・・・
そこも、 愚かな面々のネットワークが嗅ぎつけるのは 時間の問題で、 また徒党を組んで押しかけては、 いつものように荒らし回ってしまう。
なので、 労力を費やして新しい場所を探しても、 撮れるのは ほんの一瞬だけで、 すぐに お終い。

しかも、 割り込んで来る時には、 そのどれもが 揃いも揃って まず例外もなく、 少し離れた所に順次集結して 頭数【あたまかず】を多く揃えてから、 一斉に、 そして これも また 揃いも揃って 見事なまでの異口同音に
(標準語に近付けて表すと)
「アンタは、 今、 そこで撮ってるよ! アンタは そこで撮っていることに まだ気付いていないのを 私はちゃんとわかっているから“教えてあげた”よ! △☆〇◇《 ←※ ここで ほぼ確実に 歓喜の奇声 x x x 》、 アンタが そこで“先”に撮っているのを “私が”“見つけて”“教えてあげる”ことに『成功』したのだから、 これで、 そこは 1週間前から“私が”自分でも気付かないうちに“先”に“見つけて”いたのを アンタに“教えてあげた”ことになった《 ←※ 単語を並べ替えた 作り替え x x x 》のを、 私はちゃんとわかっている! その証拠に、 アンタは そこで撮っていることに気付いていないのだから 先に来ることはできないということは、 アンタは そこにいるように見えていても 本当は まだ そこにいないことを 私はちゃんとわかっているから、 アンタは 私に教えてもらってから 私の後からそこに来たことを、 私はちゃんとわかっている!」
「そこは 1週間前から 私が先に見つけていたことを、 私はちゃんとわかっている! その証拠に、 そこは、 今も 私が先に撮っている《 ←※ まだ 自身が“そこ”に向かっている途中なのに... 》ことを 私はちゃんとわかっているから、 アンタは 私が撮っている場所に行きさえすれば 私がそこで 自分でも気付かないうちに撮影に『成功』していた良い写真と同じものが撮れると思って、 私の後を尾行て 私の後から来たことを、 私はちゃんとわかっている!」
という趣旨の、 あり得ようがない支離滅裂な文言を 大きなお声で口走り合い、 互いに 肯定し合いながら。

そんな滑稽すぎる妄想世界に暮らしている面々が 群れ集って 嬉々として押しかけてくる 気味悪すぎる行動に、 “人”としての接しようがあるのだろうか??
それでも、 そういう面々は、 どれだけ迷惑だろうと、 ご自由ご勝手に動かれてしまう状況に放たれていることを 直接的に規制したり処罰することは できないわけで・・・
だから、 そういう面々は どこにでも 常に無数にいてしまうので、 その、 僅か数パターン程度の、 個性でのバリエーションすらもなく 毎回毎回 どれもが 「1週間前から」 「私が先に」 「自分でも気付かないうちに『成功』していた」 「その証拠に」 など 細部までそっくり同じ 定型の妄想を繰り返し続けるだけの 非“人”的な言動で 何度となく 度々 纏わりつかれる気味悪さに いちいち困惑したりするような、 一般的には普通だろう感覚でいたのでは 鳥の写真を撮れる場所なんて無いのが現実。

でも、 これでは また他の場所を探すしかなくなるので、 条件が もっと悪い場所でしか・・・、 でも、そこも・・・

だから、 鳥の写真のスキルが高いほど、 カワセミを写す機会自体が 反比例的に少ないものだろう。

そのため、 自身こそが荒らし回り続けている現実とは あべこべに、
「カワセミが来る場所は、 全て 私が先に見つけて教えてあげていることを、 私はちゃんとわかっている」
「私が 他の皆にも優れた写真の撮影に『成功』できるようにしてあげていることを、 私はちゃんとわかっている」
などと喧伝している愚かな面々が 得意満面に仕切ってあげてしまっている『積み木自慢』の集いでは、 稚拙な写真を写しただけで “望み得る最も優れた写真の撮影にまでも『成功』している”などとして 称え合っていられるのが、 周囲と矛盾していないかのようにも見えることにもなるのだが・・・
それは、 周囲の「鳥の写真を撮っている人」からは隔絶されている“ムラ”(特定の嗜好の同類さんだけで集った 小さな世界)の中だけしか知らないからこその見え方。

そして、 これも ありがちな、 “ヤラセ撮影会”に通っていながら、 その集いでは想像もできない写真を撮れる人を知ると 「どこに行けば それが撮れるのか」を訊くのも、 “人”として接することが極めて困難な存在だからこその 関わりようがない言動。
どういう写真を写せるか、よりも、 幼児さながらの『積み木自慢』をする方が魅力的でいるからこそ 実際に その『積み木自慢』をできている幸せを 同類さん同士だけで喜んでいる面々は、 「どこに行けば撮れるのか」などと訊くこと自体が 完全な矛盾。
それとも、 もし、 “ヤラセ撮影会”に通っていながら、 より価値がある写真を撮りたいと思っている『つもり』でいるのなら、 自身が、 何でも、 明確に実在しようもなければ 当然 現に目の前にある実際とも全く違うお噺が あたかも現実かのように ちゃんとわかってしまった妄想を語り合い続けているだけにすぎないと気付くこともなく、 自身が望むような写真を わざわざ 撮れなくなるようにしてあげている、 もしくは、 そういう愚行を ありがたがって 群れ集い続けているのも、 どちらであれ 醜態ぶりは同等。

こういう事柄は、 そういう面々だけでなく、 その周囲の一般の人も、 話として聞く(教えてもらえる)機会が少ないかもしれない。
それは、 知的面で “人”としての 意味を持った会話など成立するはずもない面々には、 社会的なモラル感では、 迷惑を被っていても なお 周囲の方が 知的面に配慮した行動をするべきとされることで、 特に リアル世界での会話のような (いくら 文言として明示することを避けたとしても) 具体的な特定対象を直接的に指すことになる話題に挙げるのは 避けられるからのもの。

そして、 以前にも 他種の鳥でも書いているように、 鳥や 鳥の写真に関しては、 カワセミに限らず どの種類でも、 圧倒的大多数が語り合っているお話の あまりに多くは、 あまりに基本的すぎて初歩的すぎる 根本からの誤りや、 知的面での いわゆる“健常者”なら (鳥には門外漢でも 鳥の知識とは全く関係ない部分の 物事の道理として) 瞬時に 実在しようがないことがわかる 明らかな矛盾を延々と連ねた 馬鹿げた妄想が垂れ流されているのが、 残念な現実。
なおかつ、 当然といえば当然ながら、 自身をご都合良く祀り上げたお噺ほど ご機嫌よく ご熱心に押し売りに励まれるのは 想像に易いように、 あちこちのどこででも 多数が そっくり同じ内容のご自慢を繰り返し続けているお話、 そして、 より華々しく飾り付けられたお話ほど、 支離滅裂ぶりが重篤なものが 特に多い。
だから・・・
一般の周囲も、 “そういう集い”の面々が得意満面に教えてあげているご自慢を聞いて 他の人に そのまま教えてあげる 受け売りの知ったかぶりで得意げになっているのが ありがちだが、 それは、 自身が醜態を晒して (表には出されない内心では)嘲笑されているというような生易しいレベルでは済んでくれない、 もう 今更、 知的面での“健常者”として接してもらえることなど 永久に望めるはずもなくなる言動をしているのでは・・・

ヒバリ囀り飛翔|基礎知識の有無だけで、雲雀...じゃなくて、雲泥の差が

2021年03月13日 | 野鳥・鳥類
一般にも広く知られる、 いかにも春らしく感じられる“あの声”の主。

飛んでいても 地上にいても ヒバリはヒバリでも、 漢字では「雲雀」と書くように、 飛んでいる方が より いかにも、だろうか。

春のうららの・・・な風景の雰囲気と重ねた連想で、 のどかで 穏やかそうなイメージの鳥... かもしれないが・・・
縄張り争いでは 蹴ったりもして格闘することを知っていると、 フォルムに 凶器的な要素も感じられるかも。





飛翔に関連するシーンでは、 どの種類でも、 風が重要な要素になるのは 超々初歩の初歩、 超々基本の基本。
その中でも、 風との関係での判断が 絵に描いたようにド安直な そのまんまで 簡単確実に活かせるシーン。

「囀りながら飛んでいるヒバリが写っている」だけの写真なら 写すのは簡単、だが・・・
残念な豆粒ケツ写真を大量連写して 得意げでいる面々も よく見かける。

“鳥の写真”の基礎的な理解がない門外漢は 「飛んでいる鳥の撮影に『成功』した」とも表せるだけで 舞い上がりがち。
そして、 その世界では当たり前すぎるから自慢にもならない基礎知識は、 なぜか 疎かにされがち。
でも、 基礎がないまま ただ写しただけでは、 殆どは、 評価を云々できる段階の体裁になっていない写真にしかならない。

まぁ、 今のデジタル時代では、 膨大なコマ数を使っても ランニングコストは それほど気にされない、 というより・・・
むしろ、 実際には 稚拙ぶりを晒し続けているだけの醜態でも、 コマ数を多く切ることを 「優れている」と称して自慢されがち。
そういう、 多々いる 無知丸出し自慢さんでも、 片っ端から写し続けていれば 時々は 偶然のマシな画も拾えるだろうが・・・
“鳥の写真”としての体裁がある画を 根拠があっての判断で的確に狙うには、 まずは とても初歩的にすぎない基礎こそ重要。

ツグミ 飛び立ち・飛翔

2021年02月27日 | 野鳥・鳥類




個人的な感覚では、 “小鳥”と表すイメージよりは、 そこそこの大きさがある種類。
大きめなことは、 多種いる もっと小さな鳥と比べれば 機敏には動き難い方向に影響しているはず・・・ だが・・・
それでも 写真で動き感がある画を狙おうとするには俊敏で、 形が良いタイミングの瞬間を捉えるのは そう簡単にはいかない。

カワアイサ はばたき|光がいまいちでは...

2021年02月24日 | 野鳥・鳥類
冬に渡来する水鳥で、 鳥全体の中での括りでは 鴨の仲間。
でも、 もう少し細かく別けると アイサ類で、 体形や嘴が細いフォルム感は、 一般での典型的な鴨のイメージとは かなり違う。
野鳥観察の初心者には、 生態や特徴の多様性のような部分で 興味を引く話題性がある種類だろう。





形は、 飾り的な部分が少なくて、 シンプルな機能性優先スタイルか。
配色は、 はっきり くっきり 大味に塗り分けられているといった感じ。
頭部の緑色が暗めで、 写真では 光に難があると 目視での印象のような色には写ってくれない x x x

近畿中部地域では、 特定の“いる所”では 長い期間 日常的に高い確率で見られても、 それ以外の場所では 稀なのでは。

これは当然、 近隣地域の中でも 「“いる所”で写す事情」と「それ以外の場所での希少性」は 全くの別モノ...なのだが・・・
何でもお幸せでいられる面々は、 ここでも また、 “いる所”では 誰でも当然の確実性に 他での希少性をご都合良く合成して、
「他では誰も写せていない鳥までも 毎回撮影に『成功』できるのは、 私が優れているからだと 私はちゃんとわかっている」
といった、 実態がないご自慢に化けてしまった幻想に逝きがち。
それが、 同類さん同士で称え合って 自身を祀り上げ合うのに好都合なことでも、 ありがたがられがちな種類だろう。

コガモ・ペア飛翔

2021年02月13日 | 野鳥・鳥類
「小鴨」という通り 鴨の中では小さめでも、 飛ぶ速さは 同じ位なので 見た目での印象では 速く感じる。
旋回や急挙動も 他種の鴨よりも機敏で、 コガモの飛び方には スピーディーで動きのキレが良い印象がある。



平常な状況での 複数の鳥が写る画柄は、 僅かでも重なる部分があると そこがNGでボツになることも多いが・・・
でも、 一般論でのセオリーが整うだけでは、 類型を再生産しただけの 没個性になる面もある。

このシーンに なるべく簡潔な背景との組み合わせでなら、 『これは これ』としては、 まぁ ありなのかとも...

リアル世界(現実世界)に ちゃんと実在している本来の情景のままを写した、 “人の勝手な嗜好に合うように状況を作為的に改変して創作された虚構”のない 絶対非演出スナップです。

野鳥写真:大空を自在に翔ける飛翔写真 = 鳥の行動で「最も鳥らしい特徴が表れた魅力」とも言える 飛ぶ姿を中心に、 カワセミ(翡翠),オオタカなど猛禽類(鷹)といった人気の種類から バードウォッチングで“ものさし鳥”にも使われる普通種まで 幅広く。 多くは ネイチャーフォト系や動物写真系のフォトコンテストでの入選・入賞が出ている場所でのものです。 (撮影地は記載しません)
他に、 昆虫写真や ネコ写真(野良ねこ写真)、 航空機 など...
.