私の人生はホログラフ的な物だとしたら幻想の中で今暮らしているとしたら,「辛い事又孤独感や疑問に対する真実の追究」やはり細い崖の道を直感に頼り意識で進むしかない。後残りのゲームの終点が見えて来るまで期待をかけて下さる方のためにもまだ走り続けよう。自分を投げ出したい。そうも行かない。愛を持って善意をもって接したいからだ又儀と尊厳をいだき自分自身を愛し信じて行こう。それは内に居ます方「神】を見出す事だ。魂はすぐにも宇宙の彼方まで新しい旅立ちが目の前に浮かんで意識はシップに乗っている。これもラストの試練だ。これが幻想のゲームだとしたら私達はなにも失っていないのである。又凄いお金持ちも何一つ持っていないのである。ここはまだ三次元魂の学校だからです。父の姉の夫は大実業家だったので浜松や東京に沢山の映画館を作った。私の母の父祖父が当時名古屋と磐田で牧場をやっていた。母は自転車で朝早くから牛乳配達に出かけた。まだ私は生まれてなく母は忙しく多産の兄弟達の面倒を見たり食事のしたくや毎日山のような忙しさである。母の父「祖父は馬苦労をやっていていつも遠くまで出かけた。ひげが付きあがり眉も濃く色白でいつも注文の靴ワイシャツ乗馬ズボンに女性の靴下止めで柄のステキな靴下を止めていた。大きなパイプは伊達に見えた。祖父は渥美半島の網本の出で模範青年で当時の新聞に載ったそうです。祖父は大きな夢を抱き牛の研究もしていた。いつも朝早くから牛の世話をして若い使用人に教えていた。祖母は豊川の織やの娘でたいへん美しく働き者で祖父はひと目で好きになりすぐプロポーズしたそうです。祖父は中々の実業家で当時牛を二百頭も飼っていたそうである金原明善先生とも親しくしていたようである。女性に好かれもてたようである。祖母は出産と仕事に追われ朝暗い内に川沿いに草刈に出かけた。私の母は忙しすぎて辛くて時々泣いたそうである。母は長女なので弟や妹の世話が忙しく又家の前の長屋の人々がほとんどの皆が手伝いに来ていたからである。山のような仕事が毎日である。そんな母をいつも配達する校長先生の奥様が母の勤勉さと何処となく両親の厳しい仕付けの中に品があるので関心を持ち色白なふっくらした控えめな真面目さと気品に奥様はこの子だと実感して母の家柄が当時中々の出世人物の父を持ち名声もあったからである。祖父の家は古く過去歴々と記したかこちょうがあった。これからが、驚きの母の人生の開幕である。つづく。。。。。。。。ビーナス教子。。☆