緑のカーテンとゴルわんこ

愛犬ラム(ゴールデンレトリバー)との日々のあれこれと自然や植物、
本や映画などの勝手な独り言を書き留めています

聖日礼拝

2011年03月27日 | 信仰
今日は通っている教会の祈りのお当番でした。
礼拝の準備を整え、礼拝に集われる方々をお迎えして、教会員を代表して主への感謝の祈りを捧げます。

ずっと私は体調を崩していたので、お当番から外していただいていたのですが、久しぶりにその役目を務めさせていただきました。



教会で祈りを捧げているときに、ここ数週間のさまざまな思いが想起し、まだ多くの方々が震災の後で苦しみ、不安におびえ、寒さに凍えていることに涙がこぼれてきました。

また、ほんの3日前、次兄の奥さんが心室細動で急死したことを思い、残された家族の悲しみ、無念さに心がつぶれそうでした。

こんな苦しみ、悲しみを神様は、どうして私たち人間に与えるのだろうという思いもあるでしょう。被災地からの友人のメールにも、「どうして私なの? こんなことがどうして私の身の上に起きるの?」とずっとつぶやいていたとありました。

それでも神様の前で祈りを捧げていると、こうした人間の悲しみも苦しさもすべて織り込み済みで、なおかつ神様は人間への愛を貫いていらっしゃるのだと思えてきます。生かされている今このときの自分という人間、その瞬間瞬間でしか人間は生を感じられません。そのときを過ぎてしまえば「過去」となり、そのときを迎えていなければ「未来」でしかないのです。

今、苦しさや不安を感じている自分でさえ、一瞬先は生きているかどうかわからない。今さまざまなことを感じている自分があるということ、そのことをまず神に感謝し、あの人ではなく自分が生きているなら、自分がやることはなんなのか、神様の前に額づき、教えを乞いたいと思います。

4年前に大病をして、入院していた病棟で、なぜあの人がああで、私はこうなのか、どこで誰がそう決めたのか、なぜあの人の病状が自分には降りかからなかったのか?とよく感じたものです。生と死の境目は限りなくあいまいなのだと思ったものでした。
でも、それから日を経ると、その思いも薄れてきて、日々捧げる感謝の祈りも日常のなかに埋もれがちのものになりました。
そんな私をまた目覚めさせてくれた今日のお当番でした。感謝です。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 避難してきた花たち | トップ | ナディーヌ・ステア »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
箱根町 (ブルー)
2015-05-20 16:04:43
千年に一度の震災からもう4年。あれから、いろいろありましたが、いま平安に教会生活をおくれるのは幸いです。
何があろうとも、こうした平安な日々を、久しく保つことは、
なにより大切なことだと思います。何はともあれ、できるかぎりの誠を尽くしていきればと思います。ご家族のご多幸を祈念しています。
返信する
草は枯れ花はしぼむ、しかし... (ダッフィー)
2012-05-31 08:58:14
ホントに綺麗な花々ですね。震災、原発などの大きな不安の中にあっても、花たちは本来持つ鮮やかな色をあらわしてくれます。見られていようがそうでなくてもです。エルサレム神殿は異民族の卑劣な術策によりものの見事に突き崩されてしまいました。震災前に崩されてしまった何より大事なものも、それでもあれから一年余、天は失ったすべてをあのとき以上に回復させて下さっていますいま平安理に教会生活を送れているのは誠に幸いです。御夫妻の信仰生活が守られることを祈念しております。
返信する

コメントを投稿

信仰」カテゴリの最新記事