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NHKのEテレの番組「こころの時代」で、旧約聖書の「コへレトの言葉」が取り上げられていました。なかなか落ち着いて見る機会がなく、録画しておいたものを昨日たまたま見ることができました。
『それでも生きる 旧約聖書「コへレトの言葉」』全6回の番組だったのですが、私が見たのは最終回第6回の『それでも「種」をまく』と題された3月21日放送のものでした。コへレト書の研究者で牧師でもある小友聡氏と批評家・随筆家の若松英輔氏の対談により旧約聖書のコへレトの言葉を21世紀のコロナ禍の現在の視点で紐解いていく番組でした。
https://youtu.be/NDYa4KOxSqg 「こころの時代」のその回の番宣動画がネットにアップされています。
コへレトの言葉は最近いろいろなところで取り上げられていて、目にすることがふえています。一番話題になったのは、昨年アメリカのバイデン大統領が勝利宣言演説の中でコへレトの聖句を引用したことでしょうか。すべての出来事には「時」があると書かれたコへレトの書から「すべてに時期がある。建てるに時があり、収穫するに時があり、植えるに時があり、癒やすに時がある。いま米国は癒す時なのです。」とトランプ前大統領との選挙での苛烈な戦いと分断からアメリカ国民が互いに向かい合い敵対するのをやめようとバイデン大統領は語り掛けました。
コへレトの書(旧約聖書の伝道者の書)にはたくさんの示唆的な名言が書かれているのですが、中でもとても心に残る聖句からの引用です。元の聖書の聖句は以下の通りです。
旧約聖書 「伝道者の書」第3章1~3節
すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。
殺すのに時があり,癒やすのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
そして、同じ第3章11節には、
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
というクリスチャンの中では、とても有名な聖句が書かれています。私も大好きな聖句の一つです。
「こころの時代」それでも生きる 旧約聖書「コへレトの言葉」全6回は、2020年11月に第1回が放送され、2021年3月に終了したのですが、私は最終回の内容を朝日新聞テレビ欄で読んでその回だけ録画して見ることができました。
第1回は「コへレトの言葉」とは何か 第2回は人生のはかなさを知る
第3回はすべての出来事に「時」がある 第4回は「幸せ」はどこにあるか
第5回は「今」をみつめる 第6回はそれでも「種」をまく
以上の内容で放送されました。各回とも講師は同じお二方、小友聡氏と若松英輔氏です。
第6回だけを見たのですが、とても素晴らしい内容で、コロナ感染の広がりの中で多くの人が不安や焦燥に駆られている今、ぜひ見ておくべきたくさんの気づきと勇気を与えられる番組だったと思います。
「朝にあなたの種を蒔け、夕方にも手を休めてはいけない」とコヘレトは語り掛けます。どんなに苦しくとも、与えられた命がある限り、今この時を生きよ、蒔いた種のどれが芽を出すか人間にはわからない、この種なのか、あの種なのか、あるいはみな芽吹かないのか、それでも手を休めることなく夕べまで種を蒔き続けよ、とコヘレトは言います。
このコへレトの言葉は、マルティン・ルターの言葉と言われている「たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日私はリンゴの木を植えるだろう」という有名な名句を思い出させます。どんな絶望のなかにいても、今自分に与えられている役目を粛々とやり続ける、芽がでないかもしれないが、それでも休むことなく「種」を蒔く。この先の見えないコロナ禍の中でも、できることをやり続けることが今の私たちにとって必要なことだとコへレトは言っているのかもしれません。
「それでも種をまく」という1節からさまざまな広がりと深みのあるお二人の考察を聞くことができ、とても満たされた思いを持ちました。すでに放送が終わってしまった第1回から第5回までも、ぜひ機会を見つけて拝見したいと思いました。
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