他人とちょっとでも付き合いが長くなると、アラばかりが目につくようになってしまう。
人は、親の背中を見て育つとよく言われる。
幼い頃に経験していないことは、大人になってやり方が分からないのだ。
松本伊予がテレビに出てて、子育て論を問われ、ごまかそうとしたけど逃げられなくて「えっ?ちゃんと答えなきゃダメなの?」といっていた。「伊予ちゃんはお嬢様だから怒られたことなくて、起こりかたがわからなんだよ」だってさ。あの人、顔はきつそうなのにねw
自分は幼い頃の褒められた記憶がない。
本当に、本当に思い出せない。
怒られた記憶は数限りなくあるけど、褒められて嬉しかったってことが全く思い出せない。
何をして怒られたのかってのは全く覚えてなんだけど、ぶん殴られて、押入れに入れられて、いくら大声で泣いても無視されて、みんなが隣の部屋でさも楽しそうに(おいしそうに)焼肉食べてるとか(結局食い物かよ)。花火大会を見に行くのに、近所のスーパーに買出しによって、みんなで買い物に行くと時間がかかるからって父親が一人で買い物に行って母親と兄弟と車で待ってて、したら弟がトイレに行きたいって言い出して、どうしても行きたいって言い出して、父親が帰ってくる前に行ってきちゃえって母親と弟が行っちゃって、私は一人で車で待ってて、したら父親が先に帰ってきて、なんか知らないけど何でいないんだってむちゃくちゃ怒って、ぶん殴られて、怒ってるところに母親と弟が帰ってきて、したら母親に「出発する前にトイレ行かしとけっていっただろ」って更に怒って、そのまま車に乗って家に帰った。家で母親もあたしもぶん殴られて、あたしは花火に行きたかったし弟と玄関の近くで泣いてて、したら父親はビール飲みながら母親にずーっと怒鳴ってて、母親はそういうのになれちゃってるから全く何も言い返さなくて、あたしはもう父親もビール飲んじゃったし、伺う予定だった花火の見えるマンションに住むおうちの人にも「もう行かない」って電話しちゃってるからいけないってわかってるけど、腹が立って。そんなことで怒る父親にも、全く何も言い返さない母親にも腹が立って、でも泣いてるしかなくて、弟を抱きしめながらずっと泣いてて、誰もあたし達のことを守ってくれないから、そうするしかなくて、したら父親も気まずいと思ったのか「子供も泣いてるだろ」って、お前がそんなつまんないことで怒るから悪いんだろって思うし、それをいわない母親にも頭にきて、何とか2人に仕返ししてやりたいって思って「おいなんで泣いてるんだ」っていわれたから「パパとママが喧嘩してるから悲しい」って大嘘ついて仕返しした。そういわれるのが一番困るだろうから。そんなつまらないことでそこまで怒る父親にものすごく腹が立ったし、弟ばかりであたしのことを守らない母親にも腹が立ったし、誰も何も言い返さないのにも腹が立った。
そんなくだらないことを今久しぶりに思い出してみたら、案外詳細に覚えているもので…。涙が出る。
だからあたしはそん時から、黙ってたっていいことなんか1つもないって思って、反抗ばかりするようになったんじゃないかって思う。
そういうおかしな親に育てられても立派に成長してる人は沢山いるし、呪縛から逃れられないのは自分自身の弱さの問題だ。
だから私が人を褒めたいと思っても、怒ってばっかりいるダメな奴ってのは私自身の問題で言い訳はできない。
今私が、他人に迷惑をかけたら、当然私の責任なわけだ。
まぁそんな感じで、高校2年で父親から離れるまで、ずーっとそんな全く理解できない理由でぶん殴られてきた。父親の母親を見てるとやっぱりそういう人で、この人に育てられたからこういう風にしかできないんだって思う。
そうなると私もやっぱり子供を持ったら、そういう風にしかできない気がしてものすごく怖い。だから私は子供を持たない。子供を生んで私にそっくりな子が生まれたら申し訳が立たない。遺伝もあるけど、そういう風にしか育てられないと思う。こう年を取って、母親が私を生んだ年齢にもうすぐなるというところにきて、やっぱり子供は欲しいかもしれないと思うけど、恐怖の方がはっきり言って大きい。そういうのに巻き込まれてるうちのおっさんには本当に申し訳ないと思うし、感謝の言葉しかない。
とにかく褒められたという記憶が全くない。
かわいがられたという感じはあるけど、冷静に考えるとエゴの押し付けでしかなかったし、母方の祖母も小言ばかりだった。褒めてくれる人は一人もいなかった気がする。
だから今褒められても、素直には受け取れないし、言葉の裏を考えてしまう。人が何かを強調した言い方をするときは、何かを隠しているときだと思う。そういう風に深読みできるってのは確かに私の長所だ。こないだもインタビューに行って、「沢山取材を受けてるけれどもあなたの質問の仕方は全く今までと違う」といってくれて、途中からスイッチが入ってしまって、ものすごい量の情報を提供してくれた。物事を深く考えていて、その深さを知ろうとする私の質問を意図を汲み取ってくれた好例だ。だがしかし、この追求癖は99%邪魔にしかならない。普通の人はそこまで深く考えてないし、だから私が変なところにこだわって詳しく聞きだそうとすると「そんなことも考えてないの?」って侮辱された気分になってしまうんだと思う。表面的だけのインタビューの方法も覚えなければいけない。
クライアントに対してもそうだ。
何を求めているのか?っていうのをしつこく聞きすぎると、迷惑にしかならない。それだけレベルの高い原稿を仕上げられる能力もまだないのに、そういうところにこだわりすぎるのは癪に障るだろうと思う。
でもさ、例えば今度本1冊させてもらうんだけど、目次見てさ、つまんんなそーって思っちゃったら、ヤル気なくすじゃん…。そんな本は既にどこかで出版されてるよ…って思っちゃう…。だからこの本はどんな人を読者に想定してるんですか?誰が読んで満足させられたら成功なんですか?って聞きたくなってしまう。一人の人間も満足させられないのに、多くの人を満足させられるわけがないんだよ…って思っちゃう。その目次は、監修とか編集には「全部網羅されてる」って評価されてたけど、作った人本人も「よくできてるから」って言ってるけど、本当かよ、本当に読者はそう思うのかよ…って私は思ってしまう。下っ端なのに傲慢すぎますね。本当に。よく使ってくれるよ。
想像力がたらなすぎる。全く足りない。私だって全く足りないのに、私より足りないのに出版でプロってなんだよ…って思ってしまいます。傲慢すぎますね。本当に。こうやって文章にすると自分の傲慢さがよくわかるわ…。
だから私は、私のやりたいことをやろうと好きなようにやろうと思うのなら、もう自分自身が力をつけて、0から100まで自分でやる仕事をするしかないんだと思う。
私にしかできない仕事を自分で作って、自分でやるしかないんだと思う。
文句を言いたくなったら、そう思って我慢しなければいけない。
傲慢なのは私だ。
人は、親の背中を見て育つとよく言われる。
幼い頃に経験していないことは、大人になってやり方が分からないのだ。
松本伊予がテレビに出てて、子育て論を問われ、ごまかそうとしたけど逃げられなくて「えっ?ちゃんと答えなきゃダメなの?」といっていた。「伊予ちゃんはお嬢様だから怒られたことなくて、起こりかたがわからなんだよ」だってさ。あの人、顔はきつそうなのにねw
自分は幼い頃の褒められた記憶がない。
本当に、本当に思い出せない。
怒られた記憶は数限りなくあるけど、褒められて嬉しかったってことが全く思い出せない。
何をして怒られたのかってのは全く覚えてなんだけど、ぶん殴られて、押入れに入れられて、いくら大声で泣いても無視されて、みんなが隣の部屋でさも楽しそうに(おいしそうに)焼肉食べてるとか(結局食い物かよ)。花火大会を見に行くのに、近所のスーパーに買出しによって、みんなで買い物に行くと時間がかかるからって父親が一人で買い物に行って母親と兄弟と車で待ってて、したら弟がトイレに行きたいって言い出して、どうしても行きたいって言い出して、父親が帰ってくる前に行ってきちゃえって母親と弟が行っちゃって、私は一人で車で待ってて、したら父親が先に帰ってきて、なんか知らないけど何でいないんだってむちゃくちゃ怒って、ぶん殴られて、怒ってるところに母親と弟が帰ってきて、したら母親に「出発する前にトイレ行かしとけっていっただろ」って更に怒って、そのまま車に乗って家に帰った。家で母親もあたしもぶん殴られて、あたしは花火に行きたかったし弟と玄関の近くで泣いてて、したら父親はビール飲みながら母親にずーっと怒鳴ってて、母親はそういうのになれちゃってるから全く何も言い返さなくて、あたしはもう父親もビール飲んじゃったし、伺う予定だった花火の見えるマンションに住むおうちの人にも「もう行かない」って電話しちゃってるからいけないってわかってるけど、腹が立って。そんなことで怒る父親にも、全く何も言い返さない母親にも腹が立って、でも泣いてるしかなくて、弟を抱きしめながらずっと泣いてて、誰もあたし達のことを守ってくれないから、そうするしかなくて、したら父親も気まずいと思ったのか「子供も泣いてるだろ」って、お前がそんなつまんないことで怒るから悪いんだろって思うし、それをいわない母親にも頭にきて、何とか2人に仕返ししてやりたいって思って「おいなんで泣いてるんだ」っていわれたから「パパとママが喧嘩してるから悲しい」って大嘘ついて仕返しした。そういわれるのが一番困るだろうから。そんなつまらないことでそこまで怒る父親にものすごく腹が立ったし、弟ばかりであたしのことを守らない母親にも腹が立ったし、誰も何も言い返さないのにも腹が立った。
そんなくだらないことを今久しぶりに思い出してみたら、案外詳細に覚えているもので…。涙が出る。
だからあたしはそん時から、黙ってたっていいことなんか1つもないって思って、反抗ばかりするようになったんじゃないかって思う。
そういうおかしな親に育てられても立派に成長してる人は沢山いるし、呪縛から逃れられないのは自分自身の弱さの問題だ。
だから私が人を褒めたいと思っても、怒ってばっかりいるダメな奴ってのは私自身の問題で言い訳はできない。
今私が、他人に迷惑をかけたら、当然私の責任なわけだ。
まぁそんな感じで、高校2年で父親から離れるまで、ずーっとそんな全く理解できない理由でぶん殴られてきた。父親の母親を見てるとやっぱりそういう人で、この人に育てられたからこういう風にしかできないんだって思う。
そうなると私もやっぱり子供を持ったら、そういう風にしかできない気がしてものすごく怖い。だから私は子供を持たない。子供を生んで私にそっくりな子が生まれたら申し訳が立たない。遺伝もあるけど、そういう風にしか育てられないと思う。こう年を取って、母親が私を生んだ年齢にもうすぐなるというところにきて、やっぱり子供は欲しいかもしれないと思うけど、恐怖の方がはっきり言って大きい。そういうのに巻き込まれてるうちのおっさんには本当に申し訳ないと思うし、感謝の言葉しかない。
とにかく褒められたという記憶が全くない。
かわいがられたという感じはあるけど、冷静に考えるとエゴの押し付けでしかなかったし、母方の祖母も小言ばかりだった。褒めてくれる人は一人もいなかった気がする。
だから今褒められても、素直には受け取れないし、言葉の裏を考えてしまう。人が何かを強調した言い方をするときは、何かを隠しているときだと思う。そういう風に深読みできるってのは確かに私の長所だ。こないだもインタビューに行って、「沢山取材を受けてるけれどもあなたの質問の仕方は全く今までと違う」といってくれて、途中からスイッチが入ってしまって、ものすごい量の情報を提供してくれた。物事を深く考えていて、その深さを知ろうとする私の質問を意図を汲み取ってくれた好例だ。だがしかし、この追求癖は99%邪魔にしかならない。普通の人はそこまで深く考えてないし、だから私が変なところにこだわって詳しく聞きだそうとすると「そんなことも考えてないの?」って侮辱された気分になってしまうんだと思う。表面的だけのインタビューの方法も覚えなければいけない。
クライアントに対してもそうだ。
何を求めているのか?っていうのをしつこく聞きすぎると、迷惑にしかならない。それだけレベルの高い原稿を仕上げられる能力もまだないのに、そういうところにこだわりすぎるのは癪に障るだろうと思う。
でもさ、例えば今度本1冊させてもらうんだけど、目次見てさ、つまんんなそーって思っちゃったら、ヤル気なくすじゃん…。そんな本は既にどこかで出版されてるよ…って思っちゃう…。だからこの本はどんな人を読者に想定してるんですか?誰が読んで満足させられたら成功なんですか?って聞きたくなってしまう。一人の人間も満足させられないのに、多くの人を満足させられるわけがないんだよ…って思っちゃう。その目次は、監修とか編集には「全部網羅されてる」って評価されてたけど、作った人本人も「よくできてるから」って言ってるけど、本当かよ、本当に読者はそう思うのかよ…って私は思ってしまう。下っ端なのに傲慢すぎますね。本当に。よく使ってくれるよ。
想像力がたらなすぎる。全く足りない。私だって全く足りないのに、私より足りないのに出版でプロってなんだよ…って思ってしまいます。傲慢すぎますね。本当に。こうやって文章にすると自分の傲慢さがよくわかるわ…。
だから私は、私のやりたいことをやろうと好きなようにやろうと思うのなら、もう自分自身が力をつけて、0から100まで自分でやる仕事をするしかないんだと思う。
私にしかできない仕事を自分で作って、自分でやるしかないんだと思う。
文句を言いたくなったら、そう思って我慢しなければいけない。
傲慢なのは私だ。