村上春樹マニアとしては、新作が出れば当然発売日に購入し、
こそこそと家に籠もって読むわけです。
まだ1巻を読んだだけだけど、今回はイイ!!!!
カフカとか、アフターダークで離れちゃった人かもーん!って感じだよ。
彼が彼自身のことをちゃんと書いてる。
そういう作品は面白い。
でもそれだけじゃだめ。
しかし、完全なる創作もまた…だめなんだよ。
「風の歌を聴け」と「ピンボール」はとにかく過去の経験を文章にした。
文体を考え抜いて。
だから、文体自体はおもしろいんだけど、面白くない。
ねずみとキスギになった友人は多分存在したんだと思う。
4部作はその彼に捧げた、彼のため、いや、春樹さんが春樹さんの中の彼を消化するために書いたものなんだと思う。
彼との経験に、スパイスを加えた作品はむちゃくちゃすごいことになった。
つまり「羊をめぐる冒険」では羊男で、「ダンスダンスダンス」では、キキと五反田君といるかホテル。
五反田君も彼が投影されているそんな気がする。
この4部作で、彼は消化された。
じゃぁノルウェーの森は?
これは直子に捧げたものなんだと思う。
直子と、そして緑(奥さん)に。
ねずみとキスギと五反田君に置き換えられた彼は、多分実際に存在して、実際に死んだんだと思う。
でも、直子は物理的に死んだのかどうか、確信が持てない。
彼の死を共有した女の子は多分実在したんだと思う。
そして、多分深い中になってしまった。でも、愛とかパートナーとかとは違った。
直子は僕のパートナーではなく、あくまでキスギのパートナーだった。
だから、緑(文京区の布団屋の一人娘)を選んだ。
直子と深い中になっていながら、緑を選んだ罪悪感…ノルウェーの森は、そのことに対する言い訳なんじゃないかなと…。
村上さんの中で、書くべきこと(追悼)が済んで、文章を書くということが体になじんできた。
技術が身につき、意欲もわいた。
そこで、龍さんのコインロッカーベイビーズという刺激を受けて、
完全なる物語である「世界の終わり」が誕生した。
そのあとは、創作であり実験。
経験ももちろん入ってるけど、多分意識してそういうことは避けたんじゃないかと思われ。
ねじまき鳥にしろ、カフカにしろ、
心理学のことらしいけど(私は心理学を知らないのでわからん)
わからん私にはわからん話。
で、今回。
ネタばれになっても別にいいよね。
文芸春秋に寄稿してしまうほど頭に来ていた人が居て、
つまり安原さんという編集者が、自分の生原稿を流出させたという頭に来ることがあって、その人が死んだ。
でも、春樹さんはジャズバーのマスターではなく、職業的小説家という技術を身につけているから、それをそのまま書かずとも、スパイスを加えて、物語にすることが出来るわけです。
1巻を読んでわかったことなんですが、親子関係もとても登場するんです。
これ、下世話な言い方ですが、むちゃくちゃ面白い展開ですよ。
誰かが死んでるという部分が4部作とかぶります。
攻撃的になっているという部分で、世界の終わりとかぶります。
世界の終わりと、4部作の後期が、今の春樹さんの技術で表現されたら…
よだれが……
私は下品な人間なので、下品な物言いしか出来ません。
春樹さんの両親はまだ健在なのかなぁ…
そこらへんも深読みしてしまうわけですよ。
それはそれとして、
強く思うことがひとつあります。
何か、物を作ろうと思っている人は、絶対に村上春樹を読んではいけないと思います。
彼の翻訳したものは別ですが、オリジナルの作品は絶対に読んじゃいけません。
絶対に読んではいけません。
うまくいえないけど、
モノを作るということは、オリジナルを作るということです。
村上春樹は、この世ではものすごく珍しい、
完全なるオリジナルです。
しかも、かなりレベルの高い。
村上春樹がこれまで触れてきたものを村上春樹が消化した、
ひとつの答えです。
村上春樹を読んで、オリジナルを作ろうと思ったら、
村上春樹を消化しなければいけません。
これ、どんなに力のある人でも、何十年もかかることですよ。
つまり、もう、読んだらオリジナルなんて作るのは無理ってこと。
影響受けないわけにいかないもん。
絶対読むな。
そう思う。
こそこそと家に籠もって読むわけです。
まだ1巻を読んだだけだけど、今回はイイ!!!!
カフカとか、アフターダークで離れちゃった人かもーん!って感じだよ。
彼が彼自身のことをちゃんと書いてる。
そういう作品は面白い。
でもそれだけじゃだめ。
しかし、完全なる創作もまた…だめなんだよ。
「風の歌を聴け」と「ピンボール」はとにかく過去の経験を文章にした。
文体を考え抜いて。
だから、文体自体はおもしろいんだけど、面白くない。
ねずみとキスギになった友人は多分存在したんだと思う。
4部作はその彼に捧げた、彼のため、いや、春樹さんが春樹さんの中の彼を消化するために書いたものなんだと思う。
彼との経験に、スパイスを加えた作品はむちゃくちゃすごいことになった。
つまり「羊をめぐる冒険」では羊男で、「ダンスダンスダンス」では、キキと五反田君といるかホテル。
五反田君も彼が投影されているそんな気がする。
この4部作で、彼は消化された。
じゃぁノルウェーの森は?
これは直子に捧げたものなんだと思う。
直子と、そして緑(奥さん)に。
ねずみとキスギと五反田君に置き換えられた彼は、多分実際に存在して、実際に死んだんだと思う。
でも、直子は物理的に死んだのかどうか、確信が持てない。
彼の死を共有した女の子は多分実在したんだと思う。
そして、多分深い中になってしまった。でも、愛とかパートナーとかとは違った。
直子は僕のパートナーではなく、あくまでキスギのパートナーだった。
だから、緑(文京区の布団屋の一人娘)を選んだ。
直子と深い中になっていながら、緑を選んだ罪悪感…ノルウェーの森は、そのことに対する言い訳なんじゃないかなと…。
村上さんの中で、書くべきこと(追悼)が済んで、文章を書くということが体になじんできた。
技術が身につき、意欲もわいた。
そこで、龍さんのコインロッカーベイビーズという刺激を受けて、
完全なる物語である「世界の終わり」が誕生した。
そのあとは、創作であり実験。
経験ももちろん入ってるけど、多分意識してそういうことは避けたんじゃないかと思われ。
ねじまき鳥にしろ、カフカにしろ、
心理学のことらしいけど(私は心理学を知らないのでわからん)
わからん私にはわからん話。
で、今回。
ネタばれになっても別にいいよね。
文芸春秋に寄稿してしまうほど頭に来ていた人が居て、
つまり安原さんという編集者が、自分の生原稿を流出させたという頭に来ることがあって、その人が死んだ。
でも、春樹さんはジャズバーのマスターではなく、職業的小説家という技術を身につけているから、それをそのまま書かずとも、スパイスを加えて、物語にすることが出来るわけです。
1巻を読んでわかったことなんですが、親子関係もとても登場するんです。
これ、下世話な言い方ですが、むちゃくちゃ面白い展開ですよ。
誰かが死んでるという部分が4部作とかぶります。
攻撃的になっているという部分で、世界の終わりとかぶります。
世界の終わりと、4部作の後期が、今の春樹さんの技術で表現されたら…
よだれが……
私は下品な人間なので、下品な物言いしか出来ません。
春樹さんの両親はまだ健在なのかなぁ…
そこらへんも深読みしてしまうわけですよ。
それはそれとして、
強く思うことがひとつあります。
何か、物を作ろうと思っている人は、絶対に村上春樹を読んではいけないと思います。
彼の翻訳したものは別ですが、オリジナルの作品は絶対に読んじゃいけません。
絶対に読んではいけません。
うまくいえないけど、
モノを作るということは、オリジナルを作るということです。
村上春樹は、この世ではものすごく珍しい、
完全なるオリジナルです。
しかも、かなりレベルの高い。
村上春樹がこれまで触れてきたものを村上春樹が消化した、
ひとつの答えです。
村上春樹を読んで、オリジナルを作ろうと思ったら、
村上春樹を消化しなければいけません。
これ、どんなに力のある人でも、何十年もかかることですよ。
つまり、もう、読んだらオリジナルなんて作るのは無理ってこと。
影響受けないわけにいかないもん。
絶対読むな。
そう思う。